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5月21日 ロックアイランド


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今朝は5時半にカンニャクマリに向けて車で出発の予定になっていたので、
5時15分にケイタイのアラームをセットしてから眠りました。
いつもその頃には、寝たり起きたりしているのですが、
一応アラームをセットしておけば安心です。

私のケイタイは、今年の正月に買った SONY S002 (au) です。
グローバルケイタイですので、ここインドでの送受信も可能です。
通話料が高いですが ・・・ 。



小型でカッチリした笹かまぼこのようなスタイルがとても気に入っているのですが、
カタログを見ると本来女性をターゲットにしてものらしく、
その点がちょっと気になり、
お正月に買った「男前豆腐正月セット」の中に入っていた「男シール」を
ベッタリと貼り付けています。

インドのケイタイは日本のものより小型です。
そしてケイタイは本体そのままで使い、
ストラップを付けたものは一度も見たことがありません。

私のケイタイは、絶対に落とさないように首からかけられるストラップを付け、
師ヨガナンダの写真の入ったキーホルダーを付けています。


スギルタン宅のテラスのベンチに腰を下ろしていると、
5時40分頃、運転手さんがやって来て、
車の準備をしてくれました。

ホームからカンニャクマリのコモリン岬までは車で10分ほどです。
夜明け前から混み合っている岬の近くで下ろしてもらい、
朝日が見える場所まで歩いて行きます。

土産物屋さんもぼちぼち店開きです。



カンニャクマリのコモリン岬は、インド全土から観光客、巡礼者が訪れます。
大きな荷物を抱えたイスラム教徒の方たちもいます。



今日もどんよりと雲が立ちこめています。
今の時期は、雲がない快晴という日はほとんどないのです。



朝日が見えたのは、太陽が海岸線からだいぶ上ったところでした。
それでもそれを見つめる多くの人は、
太陽が見えた瞬間に両手を合わせ、口々に祈りの言葉を唱えています。
ここで拝む朝日はやはり尊いのです。

岬の露店には、洋服や鞄、日用品など
普通の店で売っているようなものまで売られています。



日本人の感覚だと、観光地に来てまでなんで?
と思うのですが、それでも買う人がいるから商売が成り立つのでしょう。



商店の並ぶ通りでは御輿を担いで練り歩いています。
通りの両脇は、昨日はなかった青々とした葉っぱで飾られていて、
祭りのムードをかき立てます。



歩き回るのはしんどいし、店に入って食事をするにはお腹はへっていないしで、
仕方がないので、ロックアイランドに渡るボートを並ぶ列に加わることにしました。
時間は6時40分、ボートの乗船時間は8時ですので、まだだいぶ時間があります。
インド人は、待ったり並んだりするのが大得意です。



乗船時間1時間以上も前なのに、もう長い行列ができています。
すみません、行列の写真を撮り忘れたので、上の写真は17日のものの使い回しです。
けど列の並び様はほとんど同じですので。 m(_ _)m

日本だと列はだいたい二列ぐらいで並ぶものですが、
インドはキッチリ一列で並びます。

ただじっと、列が動くのを待って同じ場所に立ち続けます。
その間、いろんなものを売りに商売人がやって来ます。
絵はがき、地図、サングラス、ネックレス、ティー・コーヒー、お菓子、・・・、
日本だとこういう物売りは、結構うさく臭く見られがちですが、
インドの人は、サングラスやネックレスなんかを、
しっかりと品定めしながら買ったりしています。

インド人にとっては、普通の店で買うのもこういう所で買うのも、
感覚としてはあまり変わらないようです。

それと物乞い、いわゆる乞食ですね、
こういう人たちも頻繁にお金を無心しに来られます。
おばあさんが多いようですが、
中には乳飲み子を抱え、手で口に何かをいれる動作をし、
つまり「何か食べるためにお金をくれ」ということを盛んに訴えます。

私は物乞いには一切お金を渡したことがないのですが、
列が動く直前に、太もものあたりを誰かが突っつくので見てみると、
小さな四歳児ぐらいの女の子の物乞いが、
私を見上げながら、タミル語で何か懸命につぶやいていました。

鮮やかな青いワンピースを着、耳にはピアスをしたその女の子、
瞳がとても大きくて、ちょっとびっくりするぐらいきれいな顔立ちをしているのです。
あまりの可愛らしさに心が動き、また写真も撮りたいと思ったのですが、
物乞いの子どもを興味本位で写真に撮るのはやはりためらってしまい、
またそのためにお金を渡すのは良心が咎めます。

その子は小鳥がくちばしで餌を突っつくような強さで、
しばらく私の足を触り続けていました。
今もその感触がリアルに残っています。

インドでは、物乞いとしてお金を稼ぐため、
故意に子どもの目をつぶしたり手足を切断するということが実際にあるそうです。
それも生きていくため、
親や周りの者がする一種の愛情表現と言えなくはないのかもしれません。

限りなく過酷な現実ですが、
一昨年のアカデミー賞を受賞した「スラケムドック・ミリオネラ」にも
そんなシーンが出てきました。

物乞いに渡すのは、せいぜい1ルピー、2ルピー、あるいは5ルピー硬貨でしょう、
5ルピーだとしても日本円の10円玉一枚のようなものです。
私たち豊かな日本人にとっては、取るに足らない金額です。

豊かさを享受している私たちは、
貧しい物乞いの人たちに施しをするのがいい事なのでしょうか?
それで彼らが、そしてみんなが幸せになれるのでしょうか?

吸い込まれるような美しい瞳の女の子の物乞いと出会い、
そんな答えのでない問いが頭の中を駆け巡ります。

またその女の子と出会って、
初めて物乞いというに対して深く考えるようになった自分というものに、
とても情けない思いがします。


8時前に列は動きだしました。
乗船場の横の浜辺は漁港になっていて、捕れた魚を網から出しています。



救命胴衣を着けて乗船します。
列に並び始めてから船に乗るまで、ちょうど一時間半でした。



乗船料は往復で20ルピー(40円ちょっと)、
広島の宮島に渡るフェリーが片道170円ですので、約1/8ということになります。
距離が短いしインドですからそんなものでしょう。



上陸すると、ヴィヴェーカーナンダ寺院に入るための
入場料が10ルピー(20円ちょっと)必要です。
入る前にサンダルを脱ぎます。



変わった形の散水機ですね。
向こうに見えるのが、なんとかというインドの有名な詩人の像です。
すみません、何度名前を聞いても覚えられません。 <(__)>



またまた写真にゴミが写り込むようになりました。
また口でブローして取り除いときます。

そびえ立つヴィヴェーカーナンダ寺院は、全面にきれいな装飾が施されています。









一通り寺院を見て回り、岬に戻り歩いていると、
太鼓の響く音が聞こえ振り返ると、
大きな象がのそのそと歩いていました。



間近で見る象はやはり大きいです。
その迫力だけで気分がハイになります♪



朝から何も食べていないので、さすがにお腹が減りました。
本格的な食事をする気にはなれないので、
軽くティーとお菓子で休憩です。
これで10ルピー(20円ちょっと)です。



帰りはバスに乗って帰ろうと思ったのですが、
バス代はいくらか分かりません。
ちょうど小銭が乏しかったので、500ルピー紙幣で支払いをしようとすると、
お釣りがないと断られてしまいました。

小銭がどうしても欲しかったので、他の店に行き、
ファンタ・オレンジのペットボトル(たぶん600ml)を買って飲みました。
暑いインドでよく冷えた清涼飲料水はたまりません。 (゚∀゚)

冷たいジュースや水のペットボトルは、だいたい25ルピー(50数円)です。
日本円としては安いものですが、
インドで支払うと、すごく贅沢品を買っている感覚になります。

バス停でバスを待ちますが、
オールタミル語の表示は、当然私には理解不可能です。



目的地を告げ、何度も周りの人に確認しながらパスに乗りました。
ホームのある場所は「マダラムドラ」というのですが、
私の発音が悪く、何度言っても理解してもらえません。
仕方がないので、近くの有名な地名を言って車掌さんに料金を支払いました。
青いシャツを着て立っているのが車掌さんです。



インドのバスの車掌さんは大忙しです。
片手にバスチケット、何種類もの紙幣を握りしめ、
新しく乗ってきた乗客から料金を受け取ります。



そして降りる乗客のいるバス停が近づくと大きな音の笛を鳴らし、
バス停での停止を運転手に促します。



私の支払ったバス代は4ルピー(8円ちょっと)、
最初は400という意味が分かりませんでした。



インドはルピーの下に、その百分の一の価値のパイサというお金の単位があります。
ちょうどアメリカのドルとセント、昔の日本の円と銭の関係と同じです。
けれども今はもうパイサはほとんど使われていないようです。

マダラムドラのバス停からホームまでは百数十メートルとすぐ近くです。
ホームに戻り、シャワーを浴びてベットに横になります。
今日の朝寝は格別に心地いいものでした。 (^o^)v

お昼のカレー、魚はフィッシュカレーとして食べるより、
お皿の左にのっかっているように単体で食べる方が美味しく感じます。



フィッシュカレーはどうも生臭いような感じがします。
魚だけは、インドよりも日本の方が種類も豊富で美味しく感じます。

それと果物のパパイヤも甘くて美味しいですが、
ちょっと生臭い感じがしますね、
他の日本人に言ったら、「それ、分かる気がする」と言ってました。


今日はアフターランチの昼寝はせず、
昼食後はすぐに自転車に乗ってコッターラムのネットカフェに向かいました。



ネットカフェの隣の昨日コンクリートを打った現場は、
今日はコンクリートの乾燥待ちでお休みです。
スラブ(二階のフロアー)がたくさんの木の棒で支えられています。



ネットカフェで1時間ちょっと過ごし、いつもの作業を終えました。
もう慣れたもので、受付、料金の支払いもスムーズです。
そしてなぜか席も決まっているのです。

帰り道、蓮池の淵にきれいな教会があるので、
ちょっと写真を撮りに立ち寄りました。



黄色いタワーの上の赤十字がきれいです。
赤い花とベストマッチですね。
けど花の手入れが大変でしょう。



教会のすぐ左横に、まったく同じ色合いの家が建っていて、
そこにはオームという真言が書かれています。
30 みたいな文字です。



キリスト教とオウムは関係ないでしょうが、
宇宙の真言オウムは、インドのベースのようなものです。

日本では残念ながらオウム真理教の影響で、
オウムのイメージがすっかり悪くなってしまいましたが、
オウムは、あうん、陰陽と同じ、
開いて閉じる、宇宙の最もシンプルな共生関係を表した
素晴らしい真言(マントラ)です。

この店の前に書かれたレンゴリの六芒星も、
上向きの三角形と下向きの三角形、
ふたつの状態(エネルギー)の共生関係を表しています。



この建物は小さな駄菓子屋さんなので、ちょっとだけ見せてもらいました。





可愛い駄菓子をひとつ買おうと思って値段を聞くと、
指を一本立てるので、念のために10ルピー紙幣を出すと、
お釣りを9ルピー返してくれました。

らくだの形でしょうか、
色の鮮やかな少しふわっとした味のほとんどないお菓子です。



インドには、道ばたで様々な動物と出くわします。
鳩の群れがいましたが、日本と違って近づいてもほとんど逃げようとはしません。



男の子たちがクリケットをしていて、
私を見つけて手を振ってくれました。



しばらく腰掛けて彼らのプレーを観戦していたのですが、
パラパラとほんの少し降っていた雨が本格的になりそうだったので、
大急ぎで自転車をこいでホームに戻りました。





部屋でのんびりしていると、階下で誰かがドアの鍵を開けて中に入ってきたようです。
様子を見に下りてみると、スギルタンのお母さんとお手伝いさんが、
掃除にやって来たようです。

ちょうどその時は停電で暗く、こんな写真しか撮れませんでしたが、
私の部屋の周りもほうきできれいにしてもらいました。



インドの掃除道具は日本のものと比べると使い勝手が悪く、
ほうきもただ枝を丸く束ねただけですので、立てて使う事ができず、
ほぼ横に寝かしたような状態で、床をなでるような感じで掃いていきます。

けれどもそのほうきを、このお手伝いさんはとても上手に使い、
ゆっくり丁寧に、部屋の隅々まで掃き清めてくださいました。

そのしなやかで無駄のない美しい身のこなし方は、
見ていて飽きることがありません。

インド人の職人技のような技術力は、
この日記でも何度か書いてきましたが、
そのベースとなるものは、強靱な腰の力、
つまり臍下丹田(おへその少ししたの体の内側)に気がこもっているということ、
そしてその上に立つ体幹(体の中心感覚)保持能力が
優れている点にあるのだと感じます。

腰、体の中心が安定しているので、
そこを起点とする手足の動きがスムーズなのです。
これは武道などにも通じる身のこなし方の基本です。

家でいえば、基礎とその上の真柱がきちんとしているということです。


部屋を掃いていただくので、部屋に散乱していた服や小物をひとまとめにしました。
床には蚊取り線香の灰、細かいチリ、ホコリ、虫の死骸、木の実、・・・
いろんなものが随所に散らばっています。
これまでは「郷に入りては郷に従え」とばかりに、
インド流で乱雑なまま過ごしていたのですが、
部屋をこざっぱりと片付け、気になっていた床のホコリをきれいにしてもらうと、
驚くほど部屋の空気がよくなりました。

これには本当にビックリ、目が開かれた思いです。 w(*゚o゚*)w







日本とインドでは、気候、食、生活、習慣、・・・
すべての面において大きな違いがあり、
そこにインドに来る価値があると考えていましたが、
その最も基本となるものはまったく同じであるということを、
私がモットーとしている掃除によって気づかされました。

ちょうどインド人の腰、体幹の力が強く、
それでもって様々な職人技が発揮できるように、
その基本となるものがあっての文化の差なのでしょう。

パワフルなインド人たちに掃除、整理整頓の習慣が身についたら、
もっとすごいことになるでしょう、
と思っていたのですが、よく考えたら、
彼らも整理整頓ができていないわけではありません。
ただ浄と不浄の感覚が日本人と異なるだけなのです。


部屋を掃き掃除していただいたことに刺激を受け、
トイレ、洗面台も、手元にある掃除道具で掃除しました。
洗面台はティッシュを水で濡らし、また棚にあったブラシを使い、
石鹸をつけて何度も磨き上げました。
便器もトイレ用の洗剤があったので、
トイレ用の棒ブラシに洗剤をつけて擦ります。

写真を撮るほどきれいにはならなかったのですが、
それでも日本的感覚で “めちゃめちゃ汚い” から
“めちゃ汚い” ぐらいにはなったと思います。

部屋や中央のフロアーの床も、
ぞうきん代わりの濡らしてティッシュで気になる汚れを拭き取りました。
元々がツルツルしたきれいなフロアーなので、
少し磨けばとてもきれいになります。
「ありがとうございます」あるいは「ナンドゥリー」(タミル語でありがとうの意味)と
言葉に出しながら磨いていくと、
ティッシュはすぐに真っ黒になります。

部屋のものもきれいに分類し、
いらないものはまとめてすべて部屋の外に出しました。

これだけで、本当に部屋の中にいても気分爽やかです。
明日はできれば町でいい掃除道具を手に入れて、
もっと本格的な掃除に取り組みたいと思います。 ^^☆


ホームの中を散歩している、まかないのおばさんが、
ココナッツの内側を削っていました。
これは夕食の材料になります。





これも夕餉の支度です。
かまどの火は、いつ見ても心を落ち着かせます。



おばさんにティーを入れてもらい、
ちょっとしたティーブレイクを楽しみました。

スギルタン宅のテラスの前を通ると、
こんなお菓子を出してもらいました。
特に黄色いのは、少しジューシーで美味しいのです。



今日は昨日のような風はなかったものの、
少しまとまった雨が降り、花がいきいきと輝いています。

葉っぱを揺らす風が植物にとっての呼吸なら、
恵みの雨は、植物にとっての美味しい食事なのでしょう。



























夕方部屋で横になっていると、
下からスギルタンに呼びかけられました。

「蚊取り線香を炊いているのなら止めた方がいい、健康に悪いぞ」とのことです。
どうして二階の部屋で炊いている蚊取り線香が、
外から分かってしまうのでしょうか???
部屋の中にいててもほとんど臭いなどしないのに、
その感覚の鋭さに驚愕します。 w(*゚o゚*)w

部屋を片付け、いつもより早めにカメラのメモリーカードをパソコンに入れたので、
夕食の時に持っていったカメラは、メモリーカードを入れ忘れたままでした。 (>_<)
片付けするのはいいですが、慣れないことをするとついポカをします。

掃除をしてもらった時、
家の内側にキーを差した状態のまま外側から別のキーで鍵を開けたので、
鍵の調子がおかしくなりました。



うまく開け閉めができず、キーを抜くこともままなりません。
ついには外側からキーをロックすることができなくなってしまったのですが、
明日朝直してくれるというので、ひとまずは安心です。


心地よい部屋で、これからはより心地よいインドを楽しみます。 ヽ(^o^)ノ



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