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宿泊先のコテージでは、朝の4時から大きな音で音楽が鳴り始まりました。
ここはヒンズーの聖者ヴィヴェーカーナンダを冠した施設ですので、
巡礼者の宿泊用ということなのでしょう。
今朝は午前6時40分が日の出の時刻ということで、
まだほのかに暗い午前6時に宿泊先を出発、
全員でお題目を唱えながら朝日の見える浜辺を目指します。
浜の近くに立派なキリスト教の教会があります。
カンニャークマリ近辺は十字架の架かった建物がよく目に入りました。
クリスチャンの方の比率が高いようです。
ここカンニャークマリはインド人にとって大切な聖地のひとつで、
全国から巡礼に訪れる方がたくさんおられます。
そこで袈裟を着て、太鼓を叩きお題目を唱え歩く東洋人の集団は、
まわりのインド人たちの注目の的でした。
海の向こうに見えるの左側の島がヴィヴェーカーナンダ岩と呼ばれるところで、
ここでヴィヴェーカーナンダは三日間瞑想にふけったと言われています。
岩の上にある建物がヴィヴェーカーナンダ記念堂です。
インドの地図を見ていただくとよく分りますが、
( インドについての基礎知識をご参照ください )
ここカンニャークマリはインド最南端で、アラビア海、インド洋、そしてベンガル湾、
3っの海流が合流する地点です。
たしかに浜辺にいると、大地の底、海の底からわき上がってくる
巨大なエネルギーのうねりを感じます。
地形的に大自然の力が凝縮された場所は、
人間の思考、精神にも大きな影響を与えるはずです。
ヴィヴェーカーナンダもこれだけエネルギーの高い場所であるが故
瞑想によって何かを掴むことができ、
インドの人たちから聖地として崇められているのでしょう。
日本が生んだ超人空海も、太平洋に突き出した高知の室戸岬にある洞窟で修行をし、
虚空蔵求聞持法を体得したと言われています。
風水的に言えば龍穴と呼ぶのでしょうか。
自然の地形が持つ偉大な力は無視できないものがあります。
浜辺のご来光の拝める場所に立ち、
全員でひたすらお題目を唱えながら朝日が昇るのを待ちました。
しばらくすると、水平線の向こうからオレンジ色に輝く朝日が顔をのぞかせてきます。
この日は幸い天気がよく、水平線付近にほんの少し雲が見える程度で、
きれいな朝日を拝むことができました。
朝日が少しずつ昇る間も、しばらくはお題目を唱え続けます。
朝日に向かって一心に祈る姿、まさに感動的です。
ほんの少し場所を移して朝日を撮りました。
なんとも幻想的で素晴らしい写真ですね。
岬(コモリン岬)の先端、つまりインド最南端の場所に行って、
みんなで写真を撮り合いました。
本当は、最南端のポイントは上の写真の所から少しずれているそうです。
けどそんなこと気にしません。ノープロブレムです。 (^-^)v
ルンギーもさまになってきました。
年配の女性信者の方から
「おたくはスカートがよく似合いますね!」って言われてしまいました。
スカートって ・・・ 、私は変態じゃありませんから。 (>_<)
岬の食堂に入り、みんなで朝食タイムです。
私の隣に座った小坂篤史さん、真面目な信者さんです。
バナナの葉っぱの上に載ったインド風揚げパンのプーリです。
手のひらでグシャッとつぶし、添えられた物をかけながら食べます。
プーリも横の添え物(カレー?)も欲しければいくらでも持ってきてくれます。
けどこの時は、最後に店が提示してきた金額があまりに高いので
ちょっとトラブりました。
こちらで一人一人何を食べたのかを集計すると、
店の方が大ざっぱに倍以上請求していたようでした。 w(*゚o゚*)w
コモリン岬では、小さな子どもさんを連れた若い日本人夫婦と出会いました。
向こうから声をかけてくれたのですが、
奥さんが日本山妙法寺の開祖である藤井日達聖人と同じ阿蘇の出身で、
日本山妙法寺の方たちとともに平和行進をしたことがあるとのことで、
とても懐かしがっておられました。
実は後日その彼女と ・・・ 、何日か後の日記をお楽しみに。 (*^・^)
昨夜から滞在しているのはこんな素敵なコテージです。
このヴィヴェーカーナンダを記念した宿泊所には
いろんなグレードの部屋があるのですが、
今回はスギルタンの紹介で、最高の部屋に安く泊まらせてもらうことができました。
ありがたい限りです。
コテージの周りには緑がたくさんあって、
孔雀も何羽か歩いているのを見かけました。
やはり人を警戒するようで、こんな後ろ姿の写真しか撮れませんでした。 (^^;)
Google Earth の画像からコモリン岬周辺をキャプチャーしました。
コテージからご来光を拝んだ場所まで歩いて15分程度です。
大きな道路から立派な門をくぐって宿泊施設に入ります。
ほとんど写真を撮らなかったので、こちらも衛星からの写真でイメージしてください。
コテージで本を読んだりしてしばらく休憩した後、
どこかに行こうとウロウロしているとちょうど佐藤さんと出会ったので、
彼女と一緒に岬まで散歩することにしました。
朝前を通ったキリスト教の教会に入ってみました。
天井の高いとてもきれいな教会で身が引き締まります。
お祈りをしているインド人は真剣そのもので、
インドと西洋が合体したような不思議な空間でした。
浜辺を歩いていると目の前をヴィヴェーカーナンダ岩に行く連絡船が通っています。
急遽佐藤さんと相談し、船に乗って岩(島?)に渡ることにしました。
人がたくさん乗り込もうとしている船の所に直接走っていったのですが、
「船に乗るんなら、あっちで乗船券を買ってから ・・・」
と少し離れた建物に行くよう指示されました。
切符を買って船に乗り込むまでの間、ベンチに座って待ちました。
写真を撮ろうとしたら、隣のインド人が自分の子どもがかぶっていた帽子を持って、
私の頭にかぶせてしまいました。
よく似合ってますか?
船に乗るには全員救命胴衣着用です。
女子高生らしき団体が船に乗り込んできました。
女の子たちはキャーキャー大騒ぎしています。
波が高かったので船はけっこう揺れましたが、あっという間に岩に到着しました。
船賃は往復でRs20(約64円)、
岩に着いてヴィヴェーカーナンダ記念堂に入るのがRs10(約32円)です。
この場所て゜日の出、日の入りを見る人が多いのでしょう、
ふたつの時計で日の出、日の入りの時刻を表示しています。
カンニャークマリは海に突き出た突端ですので、
インドで唯一海から登る朝日と海に沈む夕日をひとつの場所で見ることができるのです。
右に見える岩がヴィヴェーカーナンダ岩とヴィヴェーカーナンダ記念堂です。
海を隔ててコモリン岬を見たところです。
右手にウサギの置物が見えますが、あれはゴミ箱です。
あのタイプのゴミ箱をいろんな場所で見かけました。
岩から見えるまわりの景色をぐるっと動画で撮ってみました。
赤いシャツを着てカメラを構えているのが佐藤さん、
シタールの音がインドっぽいですね。
島に一緒に渡った女子高生(もしかしたら中学生?)となぜか仲良くなりました。
写真を撮っているとワサワサと集まってきました。
佐藤さんに頼んで彼女たちと一緒に写真を撮ってもらいました。
水色のサーリーを着ているのが引率の先生です。
つまり先生公認です!
ちょっと光線の具合が悪いので、角度を変えて撮り直してもらいます。
あっちだこっちだとバタバタしていると、男の子まで来てしまいました。 ヾ(。`Д´。)ノ彡
けど女子高生に囲まれるなんて、人生でそうあることじゃありません。
こんなハッピーでいいんでしょうか?
もしかして、毎日お題目を唱えている御利益かも?
この大ニュースは、日本でもテレビで放送されたようです。 w(*゚o゚*)w
失礼いたしました。 m(_ _)m
船で岬に戻り、お土産物屋さんの並ぶ通りを二人で行ったり来たりしていると、
向かうから歩いてくる阿部さんとバッタリ出会いました。
彼女も交えて三人でランチを食べました。
二人はピザのようなものを注文し、私はオーソドックスなセットです。
( オーソドックスなっていいながら、料理の名前を忘れてます (^◇^;) )
女の子は興味を引くものが違いますね。
とにかく甘いものが好きみたいです。
昨今はやりの言葉で言うと “スイーツ” ってやつですね。
好きなだけあってよく名前も知っています。
私なんて毎日食べてる料理の名前ですら覚えられないのに ・・・。
二人は甘いお菓子を注文し、私もほんのひとかけらだけお裾分けしてもらいました。
バナナの種類がたくさんあり、他に南国のフルーツもいくつか並んでいます。
常連客のような人がフルーツジュースを作ってもらいお持ち帰りしていました。
お持ち帰りの容器がなんとビニール袋、口をしっかり輪ゴムでくくってます。
インドだから当然なのですが、
甘く熟した果物のまわりは大量のハエが飛び交っています。
そんな果物を小さく切ってジューサーに入れるのですが、
“もしかしてハエも一緒にジューサーの中に入っているかも?”
そんな素朴な疑惑を払拭しきれませんでした。
あの立派なキリスト教の教会を横に見ながらコテージに向かいます。
建設現場でよく見かけた鉄筋の束ですが、なんでこんな風に曲げているのでしょうか?
日本では考えられません。
こうした方が運搬するのに楽だから、という理由なのでしょうが、
強度的に心配が残ります。
地震のないインドだから大丈夫なんだと思いますが、
たまにインドでビルが倒壊したというニュースも耳にします。
学校の門から子どもたちが出てくるところと出会いました。
右奥のピンク色の袋は綿菓子屋さんの綿菓子です。
子どもたちは何を話してもにこやかです。
コテージに戻り、次は何をしようかと思案しました。
明後日22日スリランカ行きの飛行機に乗るまで丸二日まったく予定がありません。
数名のお上人さんたち、女の子たち、コテージには何人か残っているのですが、
石谷上人は法要の後片付けのため再びサンカランコービルに戻ってしまわれました。
一緒にスリランカに行くメンバー以外は、三々五々カンニャークマリを離れてしまいます。
これまで楽しかった分、別れは辛いものです。
手持ちぶさたげにコテージのまわりを散歩していると、
スギルタンの奥さんと運転手が私を迎えに来てくれました。
話を聞いていなかったのでちょっとビックリしました。
スリランカから帰ったらスギルタンのホームに行かせてもらう予定でしたが、
行く前の空いた時間も自分の所に来るよう計画してくれていたようです。
コテージを離れていなくてよかったです。 (^-^)v
スギルタンのホームはカンニャークマリの中心部から車で20分ほどのところです。
途中大きな塩田がいくつかありました。
「ナチュラルソルト(自然塩)」ですね。
二人の写真はこんなのしか撮りませんでした。申し訳ない。 m(_ _)m
途中の道はココナツやバナナの木が生い茂り、まさに南国リゾートの趣です。
なにやら工事中のキリスト教の教会がありました。
奥さんが説明をするのに「スナ~ミ」と言ってますが、最初は何か分りませんでした。
よくよく聞いてみるとツナミ(津波)なのだということが理解できました。
ここ海沿いのカンニャークマリは、2004年クリスマス直後の12月26日に起きた
スマトラ沖地震の際、巨大津波に襲われ、
多くの人の命が奪われ、たくさんの家屋や橋、道路が崩壊してしまいました。
ここにはまだ当時の被害の爪痕が生々しく残っています。
普段地震のないインドの建物、橋などはひとたまりもなかったようです。
スギルタンの家は広いホーム(孤児院)の中に建っています。
ホームの名前は『Saint Boniface Anbaham』(セント・ボニフェイス・アンバハム)、
お父さんの代から続いている孤児院です。
スギルタンの家に着くと娘のスギラが花束を持って迎えてくれました。
花束をもらうなんて何年ぶりでしょうか。感激です。 (*^・^*)
8ヶ月ぶりに会うスギラは少し大人になったようで、
ちょっとだけ気恥ずかしかったです。
リビングに腰掛けるスギラ、後はいつも料理を作ってくれたセルビアカーさんです。
荷物を部屋に置き、スギラにホームの中を案内してもらいました。
子どもたちはみんな両手を合わせ、
「ワナッカム」、「グットイブニング」とタミル語や英語で挨拶をしてくれます。
男の子は嬉しそうにに元気よく、女の子は少し照れくさそうにしています。
「インドの女の子は恥ずかしがり屋だね」とスギラに言うと、
「私もよ♪」と答えてました。
キリスト教に基づく運営をしているホームでは、
朝夕のきまった時間に礼拝があり、
子どもたち全員が礼拝堂に集まり地元タミル語の賛美歌を歌います。
私はステージの上の椅子に座らされ、
スギルタンがみんなに私の紹介をしてくれました。
その後で私に一言スピーチを求められ、あせってしまいました。
緊張しましたね。大勢の子どもの前で。
「みんなとお友達になりたいです」
そんなことを言ったように記憶しています。
スギルタンの家に戻って夕食をいただきました。
右がスギルタンの奥さん、左が奥さんの妹のジャクリーンさんです。
妹さんはあまりにもよく奥さんと似ているので、
最初お見受けした時、奥さんが眼鏡をかけてこられたのかと思いました。
インド人の兄弟・姉妹は、日本人よりも顔が似ている傾向があるように思えます。
気のせいかもしれませんが ・・・。
けど奥さんの妹さんの名前は分るのに、
スギルタンの奥さんの名前が分りません ・・・。
万事こんな調子で申し訳ないです。
けどインドですから、すべてノープロブレムでいけるでしょう。
やっぱり私は前世インド人なのでしょうか?
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