|
泊めてもらったコテージ(本来 山小屋という意味らしいです)の部屋は
畳で言えば20畳ぐらいの広いスペースで、
隣にはバス、トイレットルームが完備されていてとても快適です。
こんなきれいな建物です。
このコテージに限らず、ホームのすべての建物が、
広い敷地の中にポツリポツリと建っています。
部屋と玄関の間には、このようなキリスト教の礼拝スペースまであり、
ここはゲスト専用の建物のようです。
2月の南インドの気候は、
日本でいえば初夏から真夏といった感じです。
ベットは薄いシーツを下に敷き、
上は何もかけなくてもいいぐらいの快適さです。
日本のようなエアコンは一般家庭にはめったにありません。
冷房はもっぱら天井に付いている天井扇がブンブン音を鳴らしながら
風を送ってがんばっています。
普通の扇風機も電気屋さんの店先でよく見かけましたが、
あまり家庭の中には入っていないようです。
久しぶりのインド、やはりむなかなか熟睡することができません。
あふれる好奇心を抑えられず、
夜が明けるのを待たず外に出てみようとしましたが、
なんと玄関のドアが外から鍵を下ろされていて開けることができません。
な、なぜだ ・・・ 少々あせりました。
どうドアを動かしても中からは開けることができません。
そうこうして一時間近くはたったでしょうか、
夜が明けるほんの少し前ぐらいから
外で明るい男の子たちの話し声が聞えてきました。
ホームの男の子たちが起きてきたようです。
男の子たちのコテージは、私がいるコテージから少し離れているのですが、
こっちの方に近づいてきた男の子にドアをガタガタさせながら声をかけ、
外から下りている鍵を開けてもらいました。
外に出てみると、
可愛い小学生ぐらいの男の子たちが外の掃除をしたり、
水場で洗濯や水浴びをしています。
どの子に声をかけてもみなとてもフレンドリーで、
なんだか朝からとてもハッピーになりました。
ホームの中をぐるっと回って子どもたちや建物の様子をみたり、
自分のコテージに戻ってふたたびベットでゴロンとしたりゆったりと時を過ごしていると、
午前7時前ぐらいにスレッシュさんがコテージを訪ねてきてくれました。
今日は結婚式があるので、是非一緒に参加しようとのことです。
インド到着早々結婚式に参列とはすごくラッキーです。
愛用のカメラを持って出かけようとしましたが、
なぜかカメラがありません。
ひとしきり荷物の中を探し回ったのですが行方不明です。
仕方がありません。一抹の不安を残して手ぶらで出発です。
車は昨夜乗ったのと同じタイプのジープですが、
今度はなぜか救急車です。
救急車に乗って移動とはちょっと変な気分です。
ところで上の車の写真、日本の車と明らかに違うところがあるのですが、
どこだか分りますか?
ナンバープレートとかじゃなくて、“これがインドの標準仕様”という
明らかなる違いです。
少し考えてみてください。
答えはこのページのもう少し下のところに書きますね。
車で20分ほど走り、結婚式の会場に着きました。
二階建て(三階建てだったかも)の集会所のような建物で、
ヒンズー教の結婚式が執り行われています。
写真は撮っていないのですが、
ネットから拝借したイメージ画像を二枚アップしときます。
結婚式の会場は二階でした。
前方にきれいな衣装に身を包んだ新郎新婦が並んで座り、
親族らしき人たち、呪文(?)をずっと唱え続ける僧侶のような方が取り囲んでいます。
私も椅子に座りながらその様子をしばらく眺め、
最後にはスレッシュさんと一緒に新郎新婦のそばに進み、
祝福をさせてもらいました。
けれどもまだ朝の7時です。
なんでこんな早い時間から結婚式をするのだろうと思っていたのですが、
ヒンズー教の結婚式は夜通し行われるものらしく、
参列者はその間自分の都合のいい時間に参加するのだと後になって聞きました。
祝福が終わると一階に下り、朝食です。
長い机が何本も並び、たくさんの人が食事をしています。
インドのお皿はバナナの葉っぱです。
自分の目の前に適当な大きさにカットしたバナナの葉っぱが置かれ、
そこに食事が並べられます。
それを右手でモシャモシャ食べている間に、
日本で言うカレーのルーのようなものを入れたバケツを持った人が回ってきて、
足りなければ好きなだけ足してくれます。
食べ終わったらバナナの葉っぱを二つにたたんでフィニッシュです。
その用済みの葉っぱは、自分でゴミ入れに捨てたり、係の人が回収したりして、
最後はそこらへんの道ばたに捨てられ、
それを野ブタや牛が食べるという超原始的循環社会が成り立っているのです。
美味しい食事をいただいて車でホームに戻ります。
車の窓から物珍しそうに外を眺めていると、
道ばたのインド人も珍しそうに私を見てくれます。
田舎で外国人はやはり珍しいのでしょう。
ホームに戻って再度カメラを探してみるのですが、
どうやっても見つけることができません。
最後にカメラを確認したのは、チェンナイに向かう飛行機の中ですから、
もしかしたら入国手続きの時に紛失、もしくは盗難という可能性が濃厚です。
インドではたくさん写真を撮るのを楽しみにしていたので、
かなりのショックを受けましたが、落胆ばかりはしていられません。
スレッシュさんにインドでカメラを買うといくらぐらいするのか聞いてみました。
するとコンパクトなデジカメだと、
SONY製品がRs15,000(約48,000円)、ノーブランド品でRs5,000(約16,000円)
だとのことです。
これは日本で買うより高いですね。
インドの物価を考えると、かなりの高額商品です。
けれども仕方がありません。
どこかで新しいカメラを手に入れることを検討するしかなさそうです。
と落胆していると・・・ホームの職員のラジさんが、
なんと私のカメラを手に持ってやって来るではありませんか!!
昨夜ジープに乗った時、私は助手席に座っていたのですが、
どうもその時にズボンの右ポケットにしれていたカメラが、
スルリと下に落ちてしまったようで、
車のシートの下に落ちていたのだそうです。
インドは暑い国だからと、ゆったりめの薄い綿パンをはいていたので、
ポケット周りがゆるゆるだったのです。
ホン〜トによかった!!
一気に気分は幸せモードです。
ちなみに私が持っていったカメラはこの Nikon COOLPIX 、
値段は安いですが、
4GのSDメモリーカード(2,500円 超安値)を入れて、
インドにいる間に1,200枚の写真と動画を撮ってくれました。
このホームページで紹介しているインドの写真はすべてこのカメラで撮ったものですが、
値段の割にはなかなかのものだと思います。
ジャパンテクノロジーは偉大です!
インドにいてる間は、
“自然に根ざした生き方をしているインドはすごい。それと比べて日本は・・・”
というのと
“日本の技術力は世界一、やっぱり日本はすごいな。”
というこのふたつの思いが交錯していました。
男の子たちがいたコテージは、こんな風に緑の木々やきれいな花に囲まれています。
ここチェンナイ バダメルパッカムのホームは、男の子と女の子合わせて165人、
26エーカー(約10.5ha)の敷地に7つのグループに分かれて生活しています。
朝洗濯していた衣服やシーツはこんな風に干されています。
今は乾期ですので、お昼頃にはすっすかり乾いています。
部屋の中はこんな感じ、きれいに整理整頓されています。
左端に写っているのはラジさんのお腹!
壁に掛けられている子どもたちの衣類、
右の男性がラジさん、
車を運転してくれて、私のデジカメを見つけてくれたありがたい人です。
子どもたちの一週間のスケジュール表が大きく張り出されています。
この画像だけ撮った原寸でアップしました。
画像をクリックし、拡大して子どもたちのスケジュールを確認してみてください。
簡単な英語で書かれています。
規則正しい生活で、一週間の食事メニューも決まっていて、
朝夕はキリスト教の礼拝(PRAYER)があります。
ホームの中にたくさんの椰子の木が生えています。
このホームに限らず、南インドには椰子の木がたくさんあります。
その椰子の木になる椰子の実の果実のことをココナッツと言いますが、
ある人が“常夏の国”のことを“ココナッツの国”と勘違いして覚えていた
という話を聞いたことがあります。
たしかに南インドのような常夏の国にはココナッツも多いので、
あながち間違いではないような気がしますね。
ホームにはこんな遊具もたくさんありました。
きれいな花をたくさん咲かそうとしたら手入れが肝心です。
トゲのあるバラの生えているところに裸同然で入って大丈夫でしょうか?
女性の職員の方はカメラをとても恥ずかしがっていました。
写真を撮られることの大好きなインド人としては珍しいタイプです。
バラを片手にちょっとポーズ!
ホームの中には花だけではなく動物も。
こんな牛が黙々と草を食べています。
鶏も飼われていました。
インドはヒンズー教徒が圧倒的ですが、
ヒンズー教徒は聖なる動物とされる牛を食べません。
またイスラム教徒も少なからずいて、
彼らは豚肉を食べません。
食べ物が宗教によって異なる不思議
ですのでインドでは鶏肉は羊とともに貴重な動物性タンパクの摂取源です。
大きな貯水設備のような池のようなものがありました。
中はこんな風になっています。
小さな魚がたくさん泳いでいて、この魚も食用になるとのことでした。
ラジさんの洗濯すがた、頭がちょん切れましたゴメンナサイ。
お昼の時間になって、スレッシュさんご夫妻と一緒に昼食をいただきました。
こんな感じの典型的なインド料理です。
魚があるのでちょっと豪華です。
いつも笑顔で柔和なスレッシュさん。
美味しい食事を作ってくださったスレッシュさんの奥様。
お世話になりました。
インドでは食事を手で食べるので、
食べている間女性がこまめにお給仕をしてくださいます。
奥さんが手にしているバケツには何かの食材が入っています。
食品ケース、洗濯、そしてトイレの水を貯めるため、
インドではカラフルなバケツが大活躍です。
椰子の実のジュースがとても美味しいと日本で聞いていたので、
スレッシュさんに是非飲ませて欲しいとお願いしたところ、
すぐに新鮮なジュースを飲ませてくれました。
まずは椰子の木(ココナッツツリー)に登って実を下に落とします。
椰子の実でちょっとポーズのラジさん。
これを大きなナタのようなもので頭の部分を切り落とします。
こんな風に穴が空いたら、ここから中のジュースを飲むことができます。
待望のココナッツジュース一気飲みです。
結構量がありました。
ビール中ジョッキー一杯分ぐらいはあった気がします。
味は美味しかったですが、生っぽいちょっと複雑な風味です。
ゴメンナサイ、言葉で表現できません。
結局インド・スリランカに一ヶ月いる間にココナッツジュースは8回ぐらい飲みました。
今夜午後8時、寝台列車に乗ってチェンナイからずっと南に下った
サンカランコービルの町まで寝台列車で行くことになっています。
スレッシュさんのホームを午後4時に車で出発しました。
先の救急車の写真の所に書いたインドの車の特徴はお分かりになったでしょうか?
上の青いジープを見てください。
左サイドに(日本では)本来あるべくはずの左ミラーがありません。
バスや大型トラック、タクシーなどにはありますが、
インドの普通乗用車には、左サイドのドアミラー(フェンダーミラー)がないのです。
あの無謀で危険きわまりないインドの道路を左ミラーなしで走る・・・、
まったく考えられません。
スレッシュさんに左ミラーなしで左サイドをどうやって確認するんだと聞いてみたところ、
彼は済ました顔でルームミラーを指さしました。
これがインドの常識なんでしょう。
私としては言葉がありません。
途中車を停めたところで写真を撮りました。
向こう側に見える黄色いトラックは、
インド最大の自動車メーカー“TATA(タタ)”の車です。
つい先日(3月26日)、タタが高級車として名高いジャガーとランドローバーの
ブランドを手に入れたというニュースを耳にしました。
「ジャガー」「ランドローバー」インドのタタが買収へ
経済成長著しいインドの強さを象徴しているようです。
車はホームの近隣駅に停まり、
ここからはスレッシュさんと二人でチェンナイの中心にある
チェンナイ・エグモア駅に列車で向かいます。
列車を待っていると、地元の子どもたちが、
外国人である私が珍しいらしく、こちらを見て何かコソコソ話をしています。
子どもが大好きな私は、こちらから「ハロー」と話しかけ
コミュニケーションをとると、
子どもたちはすぐに親しみを込めて近づいてきてくれました。
男の子たちは大はしゃぎ。
女の子も恥ずかしそうに喜びを表現してくれます。
インドの子どもはなぜこんなに屈託なく心の底から明るいのでしょう?
きっと日本の子どもも昔はこうだったのでしょう。
ここでは写真を撮りませんでしたが、
ホームにはいかにも貧しそうな親子もいました。
インドの貧しい子どもはだいたい裸です。
小学校高学年ぐらいの子どもでも丸裸だっり、
ズボンやパンツをはいていなかったりします。
インドの貧しい人々の暮らしは、日本の常識からは考えられないほどのものです。
北行きの列車に乗ってチェンナイ・エグモア駅に向かいます。
インドのレールは広軌です。
つまりレールの幅が日本の新幹線と同じ広さで、
普通のJRや私鉄が採用しているレールの幅よりも40センチ広いのです。
ですから列車の幅がゆったりしていて、
横三人掛けのシートがふたつ並んでいます。
それとインドの列車は急行などを除いてすべて車両と車両を行き来する通路がなく、
独立した構造になっています。
これは犯罪防止が目的だと聞きました。
ですので車両の一番端っこに設置された横幅いっぱいに設置されたシートには、
9人ぐらいの人が並んで座ることができます。
恥ずかしかったので、あまり大胆に写真を撮ることができませんでした。
左下のトランクケース(サムソナイト)は私のです。
今回インドに出発する直前に、
南インドタミルナード州の地方語(ローカルラングウェッジ)である
タミル語のとても分りやすく楽しいテキストブックが発売されました。
この本がどこへ行ってもものすごくうけるんです。
列車の中で見ていると、近くの席の人も顔をのぞかせ、
いつしか会話が盛り上がります。
「日本から来た」と言うと、ふたつ向こうの席の女の人が、
「私の知り合いが名古屋にいる」って言ってました。
けど若い女性で恥ずかしいのでしょう。
私に直接ではなく、私たちの隣に座るボーイフレンドらしき人を通して
コミュニケーションしてくれます。
インドの女性は奥ゆかしくていいですね。
ところで、インドは多言語国家だということをご存じでしょうか。
インドの公用語はヒンディー語ですが、
この言葉をインド全国民が喋れるわけではありません。
私の行った南インド(インドの南の方という意味です)タミルナード州は、
ひとつの地方語であるタミル語を話します。
学校でもヒンディー語は習いません。
私の持っているインドのRs10(10ルピー 約32円)紙幣をスキャンしました。
“Sample” という赤文字を加えていますが、ガンジーさんの肖像が書かれている表面の
“600”という数字は最初からメモ書きされていました。
裏面の左端部分を拡大してみます。
ここに地方語である15種類の言語で、
このお札がRs10であるということが書かれています。
上から、アッサム語、ベンガル語、グジャラート語、カンナダ語、カシミール語、
コンカニー語、マラヤーラム語、マラーティー語、ネパーリー語、
オリヤー語、パンジャービー語、サンスクリット語、タミル語、テルグ語、ウルドゥ語、
となっているのだそうです。
< インドの公用語について >
チェンナイ・エグモア駅に着きました。
夕方のラッシュアワー、たくさんの人でごった返しています。
インドの駅は改札口がありません。
誰でも自由に駅構内に入ることができます。
キセル乗車する人はいないのか心配してしまいます。
見つかったら厳罰を処されるのでしょうか。
インドで長距離列車を予約して乗り込むのは至難の業です。
電話で予約をし、出発するホームを確認しに行って、
列車やホームに張り出される一覧表に載っている自分の名前を
確認しなければなりません。
寝台車には“SLEEPER CLASS”という文字が書かれています。
スレッシュさんがホームに張り出された乗客一覧表を確認してくれてます。
私の名前もありました。
『 VAKAI NOBUO 』、あの ・・・、バカイって ・・・ 、
本当はサカイなんですけど ・・・。
サンカランコービルまで距離にして約550キロ、
寝台急行列車の料金はRs278(約900円弱)ですので、
日本的感覚で考えれば激安ですね。
ホームには一番乗りでしたので、
まず自分の指定された座席の下に大きなトランクケースを納めました。
北インドでは荷物から離れる場合、
荷物をチェーン錠でどこかにくくりつけておかなければならないのですが、
治安のいい南インドではその心配がないそうです。
しばらくして私の座席のそばにも人が座りはじめました。
その人たちにスレッシュさんが一声荷物を見てもらうよう声を掛けて、
二人で列車のホームを離れました。
駅をすぐ出たところにいろんな料理やお菓子を売っている売店があり、
そこで車中で食べるための弁当を買いました。
さすが列車の中で食べるための弁当ですので、スプーンが付いていました。
すっかりお世話になったスレッシュさんと握手をして別れを告げ、
約11時間かかる寝台夜行列車の旅のスタートです。
座席は三列シートが向かい合い、それぞれベットは三段、
その通路を挟んだ反対側は、一人ずつが向かい合って座り、
ここは二段ベットになっています。
私は二段側の上のベット、一番いい場所みたいでとても快適でした。
ベットには、カーテンも毛布もシーツもありません。
天井の扇風機がブンブン音を立てて風を送り、それでちょうどいい塩梅です。
インドの夜行列車は自動車と同じ、
夜中中汽笛をバンバン鳴らしながら走ってました。
インドは人が平気で線路の上を歩くのですから、
カーブの手前とかは大きな音を鳴らさないと危ないのでしょう。
それとしょっちゅう臨時停車していましたね。
なんだかよく分りませんが、とにかくすべてに大ざっぱなのがインドなのです。
|