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8月26日

日付をはさみ、カンボジアのプノンペンから韓国の仁川までは、
所要時間5時間20分、時差の関係で時計はさらに2時間進み、
仁川到着予定は朝の7時10分です。

さすがにくたびれ果てました。
体の大きな私は飛行機の中で眠ることができません。
ほんの一瞬ウトウトしたでしょうか、時間にして30分も寝ていないと思います。

飛行機は韓国行きのアシアナ航空、韓国の航空会社です。
ですから機内食はビビンバでした。
これまですべての食事の写真を撮ってきましたが、
このたびはさすがにカメラを取り出すパワーがありませんでした。 (>_<)

名札を見ると、キャビンアテンダントの方たちはほとんど韓国の方のようですが、
日本が上手なのには驚きました。
簡単な言葉しか交わしていませんが、
イントネーションはほぼ90%バッチリです。

それぞれの座席の乗客の最終到着地を記した一覧表を持っておられるようで、
第一声から日本語で話しかけてこられます。

韓国語と日本語はイントネーションが似ているのでしょうか、
韓国人機長の英語の機内アナウンスは、
カンボジアのクメール・イングリッシュとは比べものにならないぐらい
聴き取りやすいものでした。


予定の時刻に飛行機は仁川国際空港に到着しました。
韓国の空は、熱帯であるカンボジアの空とは明らかに異なります。
日本の空と同じですね、もうちょっとだけ秋を感じさせる雲の形です。



飛行機の中では、ソウルのガイドブックを開き、
降りたらどこに行こうと考えるゆとりはまったくありませんでした。

本音を言えば、どこにも行かず、
このままどこかで横になりたいという気持ちなのですが、
せっかく韓国に来て、また乗り継ぎ時間も10時間50分とたっぷりあるので、
どこに行こうか、取りあえずは空港のマックに入って考えることにします。



私ホットコーヒー、伊藤さんはホットコーヒーとホットケーキを注文しました。



そのコーヒーの大きいこと ・・・ 、
大きなカップに並々とコーヒーが注がれています。
ホットケーキのシロップの容れ物も大きかったですよ。
写真中央の手前がバター、その後がシロップです。
シロップの容れ物は、タンクって感じです。

19日に仁川に降り立った時は、鉄道でソウルまで行ったので、
今度はパスで行くことにします。

バスのいいところは、バス停がたくさんあり、
自分の目的地に近いところが選べることです。
けど今日は国立中央博物館に行こうということになったので、
その近場のバス停がよく分からず、
最もオーソドックスなソウル駅に行くことにしました。

高級リムジンパスの料金は、空港鉄道の直通列車よりも少し高くて
15,000W(ウォン)、日本円で1,000円ちょっとです。





ほとんど待つことなくバスは来ました。
ふかふかの三列シートはゆとりがあって快適です。



けどちょっと冷房が効きすぎです。
寒すぎてなかなか寝ることができません。

窓の外には高層ビルが、
ソウルの街は高層ビルが多いのです。



ソウルの高層ビルは、同じ形式のものがまとめて何棟、何十棟と建っています。
個性がないとつまらないと思うのですが、
近代的なピル群も、昔の公団住宅といった感じです。

また土地の区画整理の仕方が日本とは少し違うのでしょう、
高層ビルが建ち並んでいるかと思うと、
そのすぐ横に平屋のバラックがたくさんあったりして、
街並みに統一感があまり感じられません。

それともうひとつの特徴は、
たぶんほとんどのビルが住宅だと思われるのですが、
ベランダがほとんど目に入ってきません。
生活様式の違いでしょうね、ベランダを作るぐらいなら、
部屋を広くした方がいいという考えかもしれません。


ソウル駅まで1時間15分、直通列車よりも30分ほど余分にかかりましたが、
無事目的地に着きました。

大きなソウル駅を横切るような形で地下鉄の駅を目指します。



ここから国立中央博物館のある二村(Ichon)までは、乗り換えなしで四つ目の駅です。
先日2回地下鉄には乗ったので、券(カード)の買い方、路線図の見方、
一回用カードの払い戻しの仕方はマスターしました。 (^o^)v

韓国はスマートフォンの普及率が日本よりも高いように思います。
見るケイタイ、見るケイタイ、ほとんどがスマートフォンって感じです。
ここは首都ソウルだからかな。

地下鉄の中でもケイタイを触っている風景は、日本と変わりありません。
ちょっと盗撮みたいですね、申し訳ございません。




二村駅で降り、案内板の指示通り歩いて行くと、
すぐに国立中央博物館に着きました。



広い、大きい、きれい、センスがいい、・・・
その威容に圧倒されてしまいます。





建物もまだ新しいように見受けられます。
調べて見ると、2,005年の完成、敷地面積93,000坪、延べ面積41,000坪、
世界でも6番目の大きさだそうです。
  <韓国国立中央博物館 韓国語サイト>
  <韓国国立中央博物館 - Wikipedia>









建物と建物の間からソウルタワーが見えます。
ソウルの街を歩く時、ソウルタワーは目印としてとても役立ちます。



入場料を買おうと思い窓口に行くと、
最初は窓口の女性がハングルで話して何を言っているのか分からなかったのですが、
こちらが日本人だと分かると、
「無料です」と日本語と丁寧に答えてくださいました。
常設展はなんと無料なのだそうです。 w(*゚o゚*)w

案内所で日本語の音声ガイドを借りました。
音声だけのものと画面付きのものがあり、
下の画面付きのタイプは3,000Wでした。





この音声ガイドがものすごく役立ちます。
展示物の前のガラスには番号が貼られていて、
その番号を入力すると、画像、文字とともに、その案内が日本語音声で流れます。



石器時代の出土物からはじまり、歴史を追って無数とも思われる展示物があり、
それをひとつずつ丁寧に見ていくと、たっぷり丸一日かかってしまうでしょう。



中央は吹き抜けになっていて、テーマごとに四階まで展示室があります。



伊藤さんは元高校の社会科の先生だっただけあり、
こういったすべての展示物に興味津々といったご様子です。

私も美術品は大好きですので、
時を忘れ、疲れを忘れて鑑賞に耽りました。

けれどやっぱり仏教関係のものが特に心惹かれますね。
日本人の魂でしょうか。







日本語の解説は、やはりちょっとおかしなところがあったりします。
「 ・・・ 蒐集して参りました。」、
ここで謙譲語を使うのは間違いですね。



収集家が自分の所蔵品を寄贈したコーナーがあり、
外国の美術品も数多くあるのです。
これはどこのものでしょう、バリ島でしょうか。



ガンダーラの彫像は、その凛々しさに目が釘付けです。





こんな価値ある美術品が山のようにあり、
もうただすごいとしか言い様がありません。



日本の美術作品を展示したコーナーもあります。



こんな曲線美を持ったなまめかしい仏像は、
日本で見たことがありません。
これぞ芸術作品、美術作品 ・・・ 、私にとって仏像の新境地です。





日本のコーナーには、鎧甲、屏風、浮世絵なども展示されています。





佛様のコーナーです。



大きな佛様が並んだこのコーナーは、
威圧感のある重厚な空気が流れています。



女の人が一人立っておられますね、
それで佛様の大きさが分かるでしょう。



魂のこもったこれだけの仏像を、今の仏師の方は作ることができるでしょうか。
歴史、伝統の技というもの、そしてそれを作った当時の人の思いというものが、
どんな言葉よりも雄弁に心に響いてきます。



壁に飾られた巨大な壁画、
たぶんそれを飾るため、展示室の一部分吹き抜け構造にしたものと思われます。






そして、・・・ そして、そして、
圧巻は何と言ってもこの弥勒菩薩様、半跏思惟像です。



この美しさ、・・・ 言葉で表現できる限界を超えています。
私は日本の国宝第一号である京都広隆寺の弥勒菩薩像が、
数ある仏像の中でも一番好きなのですが、
この半跏思惟像は、広隆寺のものとほとんど同じ形であり、
同等の魅力を持っています。

広隆寺のものはもう少し細面で、より女性的ですが、
こちらの弥勒菩薩様は、ほんの少し逞しさを感じさせます。

日本人も韓国人も、素晴らしいものを素晴らしいと感じる感性は同じなのでしょう、
この半跏思惟像は、一体だけ特別のブースに展示されていました。
ふたつの民族に共通する美の感性があるということを、とても嬉しく思います。

大韓民国国宝 金銅弥勒菩薩半跏像、これを見ただけで、
ここソウルに来た意味がありました。





いや〜、すごい、素晴らしい!
私の貧弱な語彙で、この思いをどう表現すればいいのでしょうか、
これだけのものを一気に見せられて、
私の中の美的感覚は、完全にオーハーフローしてしまいました。 (☆o☆)

これだけの規模の施設を作るには、
かなりの費用と人々の手間がかかっているでしょう。
そして膨大な価値ある美術品を集めるのに、
どれだけの人が尽力したことでしょうか。

ここに来て、数々の美術品、歴史的遺物を目にし、
韓国の人たちが、自国の歴史や文化に強い誇りを持ち、
それを必死で護っていこうという強い気概を持っていることを感じました。

この博物館は、大げさな言い方ではなく、
明らかに韓国が国家の威信をかけたものであり、
歴史や文化を護るということは、それに値する価値のあるものなのだという意識が、
見ている私にヒシヒシと伝わってきました。
この感覚は島国日本にはまったくないものです。

博物館には無料で入ることができ、
ストロボを焚かなければ、写真の撮影も自由です。

文化、伝統、歴史を護り、広く伝えていく、
この姿勢には見習うべき点が多くあります。


感動で胸はいっぱいになりましたが、
午後1時を回り、お腹の方がすいてきました。

博物館にもレストランはありますが、
もっと庶民的な店で韓国料理を食べてみたいので、
次に行こうと考えている戦争記念館の近くまで行ってみることにしました。

戦争記念館のある三角地(Samgakji)は、博物館に行く時に乗った地下鉄を、
反対方向に二駅戻ったところです。

私の持ってきた「まっぷるソウル’11」は、
グルメやコスメ、韓流スターの情報は満載ですが、
戦争記念館に関することは、ソウルの全体地図に記載があるだけで、
紹介文はどこにも載っていません。

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日本人て、なんでこんなに意識が低いんだろ ・・・ 。

三角地の駅から地上に上がったところには、
何軒かの飲食店が並んでいて、
その中の一軒に入りました。

壁にハングルでメニューと値段が掲示されていますが、
私たちはそれを読むことができません。
「メニュー」と手でメニューブックの形を示しながら尋ねると、
外の写真の入った看板を見ろと、外に連れて行ってくれました。



私は左端のご飯の入ったものを選びます。
そして伊藤さんも同じものを。
私は選ぶ時は人と同調することなくサッと選ぶタイプです。
その方が他の人が選びやすいかなと思うからです。

伊藤さんは私と違い、
たぶん店の人の作る手間を考慮してのことだと思いますが、
たいてい私と同じものを選ばれます。
伊藤さんは、心優しい人格者なのです。 (^o^)v



突き出しで大根キムチ、カクタキが出てきました。
美味しいのでモリモリいただきます。
隣のトウガラシは激辛でした。 (>_<)



韓国の公衆電話は可愛いですね。
お店にあったので撮りました。



しばらくすると、こんなのが出てきました。
これ、なんて言うんでしょう。
石焼き鍋に入ったお粥です。



お粥の中に薬味を入れていきます。



真ん中手前がゴボウのような野菜かなと思ったら、
牛肉の大和煮みたいな味がする佃煮でした。
茶色い容れ物に入っているのはアミ、つまり小さなエビです。

これはなかなかいけました。 (^o^)v
やっぱり庶民派料理はいいですね。
熱々で最後まで美味しく味わえました。

壁にポスターが貼ってあり、
「母酒」という文字と説明書き、一番下に1,000Wと書いてあったので、
それを頼んでみました。

こんな茶色いお酒です。



この味、どこかで飲んだ記憶があります。
う〜ん、思い出しました。養命酒です。

これは「マッコリ?」と店のおばさんに聞いてみたら、
そうだと頷いていましたが、
ネットで調べると、母酒(モジュ)は、マッコリに各種エキスを混ぜて作るのだそうです。

けどこれもホント美味しかったな〜♪
あんまり美味しかったので、写真をもう一枚。 ^^☆



この写真を見るとまた飲みたくなってしまいます。
一杯1,000Wといえば約80円、サンガリアコーヒー並みですよ♪

お店のおばさんは明るい人で、
いろいろな身振り手振り、英単語の羅列でコミュニケーションを取りました。
韓国語の簡単な挨拶の仕方を教えてもらい、
早速それを使って挨拶させてもらいます。

韓国の人に、日本人に対する印象を悪く持って欲しくないという気持ちが強くあり、
食べ残すことなく、食べた後の食器の向きもきれいに揃え、
店を後にしました。

今回の旅はとてもバタバタだったので、
準備が十分にできませんでした。
本当なら、韓国とカンボジアの言葉で、
ありがとう、こんにちは、さようなら、うれしいです、美味しいです、・・・
これぐらいは暗記しておくべきでした。
要反省です。


店を出て道路を一本渡ると、戦争記念館の建物の頭の部分が見えてきます。
かなりいかめしい、いかにも軍事施設といった建物です。

戦争博物館も、中央博物館同様、そのあまりの威容に圧倒されてしまいます。
  <戦争記念館 (韓国) - Wikipedia>
  <戦争記念館 韓国語サイト>



建物の前には国連旗をはじめとした各国の国旗が掲揚されています。
これは朝鮮戦争を韓国とともに戦った国の国旗と思われます。



これは歴史的な建物でしょうか、もしくは旧軍隊の施設でしょうか、
なんとも威圧的な雰囲気を醸し出しています。



国、州ごとに、朝鮮戦争で亡くなった兵士の名前を、
墓碑銘として通路の左右数十メートルに渡って掲示しています。





この先にある、入り口の前の券売所はすべて閉鎖されていました。
もしかして今日は休館日なのかも ・・・ と思ったのですが、
今はここも博物館と同じく入館料が無料なので、
券売所の窓が閉じられていたのでした。

繰り返しますが、なんでここがガイドブックに載っていないのでしょう。
『明洞の○○という店のこってりダシがたまらない!』、
そんな情報より、この戦争記念館の紹介文の方が、
よっぽど伝えるべき価値があると思いますが ・・・ 。 (#+_+)


ここにも日本語の音声ガイドがあるそうなので、
案内所の女性に尋ねてみると、
「ありません」とすげなく言われてしまいました。

日本で言うところの朝鮮戦争は、
韓国では韓国戦争と呼ぶのですね。
それにしてもこれは明らかにおかしな日本語です。
『貧困の中で情熱的われた戦時に行教育は ・・・ 』



ここは主に朝鮮戦争をはじめとする、
朝鮮半島の戦争をテーマらしたところのようです。

いかに苦しい中、必死に戦争を戦い、耐え抜いたのか、
そんなことを示す模型がいくつも展示されています。







これを見て、原爆資料館の被爆直後を再現した模型を思い出しました。

「戦場試験室」でしょうね、これは。



この前を通り過ぎてしばらく行くと、
係のおばさんからにこやかな笑顔とともに、
ハングルで何かしゃべりながら、手招きをされました。
どうやらここに入れということのようです。

扉を開けて中に入ると、ほとんど真っ暗闇で、足元すらまったく見えません。
恐る恐る一歩ずつ中へ入っていくと、
山間(やまあい)の戦場を模した舞台が目の前にあり、
時折光とともに銃声が轟き、爆弾が炸裂し、
なにやら兵士らしき男の叫び声が聞えます。

どうも山間の戦場を疑似体験できるところのようです。
こんな人里離れた真っ暗闇の山の中で、いきなり自分の体に銃弾を撃ち込まれ、
激痛とともに身動きが取れなくなったら一体どんな気分でしょうか、
一瞬ですが、戦争の恐ろしさを身近なものとして感じました。

実際の兵器も数多く展示されています。



日本ではこんなところはないでしょう。



彼女たちは三脚の付いたカメラ持参で、
セルフタイマーで自分たちを撮りまくっていました。





外にも戦車や飛行艇、大型の兵器がずらりと並んでいます。





ものによっては中に入ってみることも可能です。



伊藤さんが、この飛行艇の中に入ってみたいと言われるので、
私もお供して入りました。



パラシュート部隊の乗組員が、
全員連続して無事目的地に降り立つことができるようにだけを考えられた、
なんとも機能性のみの殺伐とした室内です。



この機内を見ただけで、戦争がいかに無味乾燥で人間味のないものかが分かります。


これだけの規模で、過去の戦争の歴史、国防に対する心構え、
実際の装備を見せるというのは本当にすごいことです!

国立中央博物館で、自国の文化、伝統、歴史を護り伝えていく気概を感じ、
ここ戦争博物館で、兵力を通して自国を守り抜く固い決意を感じました。

徴兵制のある韓国では、街中のコンビニや地下鉄など、
ごくありふれたところで迷彩色の軍服に身を包んだ兵士の姿を見ることができます。
別段いかめしい顔つきをしているわけではなく、
普通に買い物をし、恋人と語らい、日常の街の景色の中に完全に溶け込んでいます。

すべての面において、韓国、そして韓国の人々は、
国を愛し、国体を守り抜こうという意識を、
日本と比べはるかに強く持っています。
それは過去の歴史でそれが脅かされてきたからであり、
また今現在も、それを強く意識して護っていかなければ、
いつ他国から脅かされるかもしれないという危機意識の表れであると思います。

それに対して私たち日本、日本人は、
戦後急速にアメリカ式民主主義が社会や思想、生活すべての中に入り、
今も竹島や尖閣問題を見ても分かるように、
きわめて弱腰の外交で、目に見える形で少しずつ周りの国から、
主権が侵されるような状態になっています。

マスコミをはじめとした多くの企業に外国資本の手が伸び、
貴重な水源地の土地の多くが、
中国をはじめとした外国人によって買い占められていると言われています。

日本の独立国としての主権は、
もう完全に危険水域に入っていて、
もう一歩も先に進めない状態にまで来ています。
しかもそれに対する危機意識が国民にはほとんどなく、
それがまたこの状態を放置させる要因となっています。

韓国と同程度まで、とは言いませんが、
私たちももっと国を愛し、日本の文化、伝統、歴史、
そして領土を護っていかなければなりません。

外交はお人好しであればいいというものではないのです。


けれどもここで、私の希望的観測を大いに含めた意見を述べさせていただきます。

我々、そして私という個が所属するカテゴリーを、
どこで区切るかということは、社会的に、そして生きていく上で大きな問題です。

観念的な世界も含めて考えれば、、
まずはこの時空はすべてが一体です。
根本はひとつ、表面の形は違っても、すべてはつながっているのです。
これを強く意識する、これはひとつのカテゴリーに対する考え方です。

それを少しずつ狭めていけば、
宇宙の中の銀河系、太陽系、これもまたカテゴリーです。

そして地球全体、これは地球生命体ガイアとも呼び、
ひとつの循環する生命維持装置と考えられ、
ここに意識の重点を置く人は多いでしょうし、
またそうしなければ人類全体が生き残っていけないぐらい、
我々は地球環境に対して大きな影響力を与える力を持ってしまいました。

さらに範囲を狭めれば、人類全体、
人類は一家みな兄弟、こういったカテゴリーで物事を考えることもできます。

その次には、アジア、ヨーロッパという地域でも考えられますし、
やはり独立した国というものが、
周りの他のものとハッキリと区別することができる大きくて明確なカテゴリーです。

その次に州や都道府県、市町村、学校や会社などの所属している社会集団、
親戚家族、そして個人へとつながっていきます。

このマクロからミクロまで、
数多く区切っていくことのできるカテゴリーの中で、
なぜ国というものを突出して強く意識していかなければならないのでしょうか。

そんなことは頭で考える理屈ではなく、
多民族が共生する地球上で社会を維持していくため、
当然のことだと言えばそれまでなのですが、
私たち大和民族である日本人は、
和を以て尊しとし、他の民族と差別化を図り、
自分たちの文化や思想を護っていことという考えが、
根本的に弱いのではないかと思われます。

また日本が島国であり、
他国から領土を侵犯された経験がほとんどないということも、
その思想を今に至るまで伝えてきた大きな要因でしょう。

これは偶然ではなく、その思想を護るべき与えられた必然だと思われます。

けれども今のように交通、通信、軍備が発達し、
多くの国が領土や資源や貿易の利権を巡り、
日夜しのぎを削るような時代には、
和を尊ぶ思想は、世界の中で適応することができなくなっています。

だけれども、そういう時代だからこそ、
もう人間の持つ欲望や、物質至上主義が行き着くところまで行ってしまった
今という時代だからこそ、
和、そして輪を大切にし、自らを強く主張することなく、
周りのものとの融和を旨とする大和思想が大切になってくるのだと思います。

そしてその上で、これから人類を救う道における
日本の役割をまっとうしていくべきだと思います。

これはきわめて理想論であり、
そんなことを唱える以前に日本が侵犯され、
国自体が亡くなってしまうことすら今の現状では大いに考えられるのですから、
異論を唱えられる方も多いと思います。

私も自分の考え方に絶対の自信を持って主張しているわけではないのですが、
いずれにせよ、これからの日本の行く末を真剣に考えるならば、
現在の日本の置かれている状況はどうであるのか、
世界の現状から見て日本は今どういう立場に置かれているのかという、
『己を知る』ということをしっかりと行うべきです。


戦争記念館からソウル駅までは地下鉄で二駅です。
ソウル最後の記念にと、二人でぼちぼちとソウル駅まで歩くことにしました。



二駅間とはいえ、けっこう距離がありました。
カンボジアほどではないですが、日差しが当たると汗が出てきます。

私は日本の自宅を出た時からずっとサンダル履きで通したのですが、
さすがに歩きすぎて、指の鼻緒に当たる部分が少し痛くなってきました。
この一週間よく歩きました。

ソウル駅までは標識が出ているので迷うことはありません。
けれど雑然とした街並みは、高層ビルの横にきたない雑居ビルのような建物があり、
またゴルフの練習場があったりと、
まったく韓国一の大都市の中心部とは思えません。
これは急激に都市が発展していったからなのでしょうか ・・・ 。

駅近くの高層ビル建設現場です。
またまたここも、同じ様式のビルが並んで建っています。
韓国の人は、同じ形のビルをまとめて建てるのが好きなのですね。



ソウル駅の手前で地下街に入り、
行きに地下鉄に乗るために下ったエスカレーターを、
今度は駅に向かって昇っていきます。



帰りは時間が確実な直通の空港鉄道A'REXに乗り込みます。
所要時間は約45分です。

仁川空港はアジア最大のハブ空港で、飛行場の中はいろんなものがあるそうです。
今回はすぐにソウルの街に繰り出して、
ゆっくりと見学する時間がなかったのですが、
またいずれ機会があれば、時間をかけて空港見学をしたいものです。



仁川から広島空港までは1時間20分、
これはほとんどあっという間という感覚です。

仁川を出るとすぐに夕食が出てきました。
少し元気になった私は、今度は写真を撮ることができました。 (^-^)



金曜日の朝に出て、翌週金曜日の夜に帰着、
ちょうど一週間ぶりの日本です。

今は緊張で体に力が入っていますが、
連日の寝不足は、たぶんこれからどっと疲れとなって出てくるでしょう。
  (と、帰国して四日経った今書くのも変な気持ちです。 ^^☆ )

空港では、行きにたまたま一緒だった
平岡さんと広大の先生方一行ともまた顔を合わせました。
行きも帰りも広島・仁川便が同じだったようです。


7泊8日の韓国経由カンボジアの旅、
振り返ってみて、かなり密度の濃いものだったように思います。
カンボジアに長く滞在していた伊藤さんに同行したお陰で、
素晴らしい経験がたくさんできました。

この場を借りて、伊藤さんに深く感謝いたします。

今回の旅で得た経験を、これから活かしていくべく、
これまで同様、日々一歩一歩歩んで行きます。
そしてそれを、旅でお世話になったすべての人たちへの恩返しにしたいと思います。


カンボジア、韓国、そして日本の平和と幸せを祈って、かんぱ〜い♪
   ( ^^)/▽*▽\(^^ )

2011.8.26 Friday  

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