トイレ掃除は心磨き
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何故公衆トイレ掃除か?


殺人、虐待、ストーカー、テレビドラマの世界が繰り広げられている現実。
「何故?」が「またか!」になっている。
いつからこうなったのだろう。
何が悪いのだろう。
皆誰しもが犯人捜しの旅に出るが、正解を手にする者が果たしているのだろうか。
世の中、何もかも便利となった。
安くていい物がたくさんある。
しかし、それに満足していない。
一生懸命やる者がやらない者から批判される。
真面目に生きるのが馬鹿らしいと多くの人が言う。
誰もが、自分は悪くないと言い切る。
しかし現実は狂っている。

皆自分のことは大切にしているが、他人の物は全く無関心である。
見渡すと汚れた所が多い。
自分のエリアはきれいにしてもエリア外は放ったらかし。
公共の場をきれいにするのは、それを仕事とする人のみ。
損得の二進法に生きている者からすれば、自らが汚したとしても、そこが自分のエリア外ならば、掃除するのは損となる。
かくして公共の場は、いつもゴミの山となる。

損得の二進法に生き続ける者は、日々心を荒ます世界にいる。
彼らに汚れた環境を与えると、怒りの感情をむき出しにする。
人の心は目の前に見えるものと同化するのである。
現実を見ると、犯罪は汚れた所で発生している。
汚れが荒んだ心に怒りの点火をするのである。

この世で一番汚れているところはどこだろう。
汚れているのに放ったらかしになっている所はどこだろう。
そう、そこは公衆トイレである。
皆が使い汚しながら、水を流すだけの掃除が現実である。
長年の間、汚れは石となり周辺に悪臭をふりまく。
その悪臭は、人の心を一瞬にしてマイナスにする。
いかに綺麗な花壇を作ろうと、大きなビルを建てようと、そのトイレは全てを一瞬にして帳消しにする。

今の狂った世は、プラスがない為に生じたのではない。
マイナスが多いが故に生じたものではなかろうか。
もし仮に国民一人一人が自ら汚した所を自らの手と足を使い綺麗にしていくならば、世の中が瞬間に良くなるのは間違いないことであろう。
しかし、大半の者はこう言う。
私はそこを汚していない、と。

ならば問う。
昔貴方が汚してそのままにしてくれたのは誰ですか。
母であり近所の方が綺麗にしていてくれたことを氣付くべきである。
かって人知れず汚れた所を綺麗にしてくれた人に自分もなろう。
そして少しでも心穏やかな人が増えるよう地域の公衆トイレを掃除していこう。
地域の平和と安全は確実となるであろう。

世の中の一番汚い所を自らの手で掃除し便器を輝かせる時、達成感と感動に包まれる。
そして輝く便器を使う人が、その輝きを見て感動する姿を見る度、これこそ世直しの実践と確信する。
人は輝くものを見ると感動し変わるのである。
世直しとは余(自分)直し。
その実践は公衆トイレの掃除から。
志ある者が立ち上がり、共に感動することを期待するものである。


先川孝德 拝                     .

    

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