トイレ掃除は心磨き
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***  トイレ掃除感想文  ***


心をみがくトイレ掃除

                                                            竹内光弘

 「うっそー。ホントにここを掃除するの?」「まじー?」「きったなーい」・・・。吉田警察署管内のある高校のトイレで、語尾を引っ張る口調の女子高校生たちが、口々に叫ぶ。暑かった昨夏、特に日差しが強い日だった。便器には黄ばみが目立つ。排せつ物も付着している。強烈なアンモニアのにおいが、それに追い打ちをかける。
たじろぎを見透かしたように、掃除の指導者の声が響く。「それでは始めてください」。指導者はボランティア団体「広島掃除に学ぶ会」のメンバーである。きっぱりとした口調に押されるように、ざわめきは静かになった。しかし「ゴム手袋がない」と不満そうに言う生徒もいれば、便器から遠く離れて、ホースの水で洗い流そうとする生徒もいる。
 その情景を見ながら、指導者はスポンジを手に、便器を抱え込むようにしながらみがき始めた。ゴム手袋はしていない。素手である。それを見た生徒たちは、しばし無言だった。「きったなーい」の声も出ない。トイレ掃除に取り組む指導者の姿は、彼女たちには驚きだったろう。あっけに取られた顔は、私には感動している表情に見えた。
 生徒たちも腹をくくったようだ。二十分くらいたったころから、全員が指導者と同じように、黙々と素手で便器をみがき始めた。便器の石灰化した付着物は、ヘラでこすり落とす。サンドペーパーやタワシも使う。
 近くの小学校のトイレも含め、住民と生徒計三百人で取り組んだ作業は、一時間半で終了した。帰路につく生徒たちの顔がすがすがしい。短時間の中で、多くの人との出会いがあっただろうし、新たな体験があったはずだ。「よかったなあ」。私自身、流れる汗とともに、心の汚れを落とした思いだった。

 トイレ掃除は「減らそう犯罪」対策を視野に入れた青少年育成策の一つである。簡単に言えば、便器をみがきながら心をみがくのが目的だ。だれもが嫌がるトイレ掃除に、生徒たち自ら、汗を流して取り組んでもらう。無報酬の作業を終える頃には、嫌悪感は達成感になり、それは静かな感動にもなる。
 トイレ掃除が効果的だと確信したのは、今から五年前に遡る。広島西警察刑事官だった私は、暴走族対策に追われていた。
 当時、JR五日市駅を拠点にする二つのグループがあった。ある夜、全署員で、蝟集(いしゅう)している少年たちを一斉に検挙・補導した。と同時に、彼らの大切な刺繍の入った特攻服を脱がせ押収した。その補導後、頭にひらめくものがあった。それがトイレ掃除だった。
 人間は悪いことをすればするほど「これではいけない」という気持ちや、「善いことをしたい」という心が芽生えるはず、という予感だった。その思いが、暴走族とトイレ掃除を結びつける発想となった。
 そうは言っても、無理強いはできない。私は捜査員に、少年たちの説得を依頼した。突飛な依頼に、捜査員は戸惑いの表情を浮かべた。周囲からは「あいつらがやるわけはないよ」の声が聞こえてくる。ところが掃除は実現の運びとなった。もしかして善いことをしたら特攻服を返してもらえるのでは、と彼らは考えたのだった。

 十七名の少年が広島県五日市駅に集まり「広島掃除に学ぶ会」の指導のもと、こちらがびっくりするほど立派にやり遂げた。しかも終了後、特攻服を返してほしいとは言い出さなかった。その時もその後も一切言わなかった。それまでに経験したことのない心地よい感動を、服を返してもらうことにより失いたくないのだと、私は少年たちの目から読み取った。
 その後も、暴走族グループによる掃除は、地域の人たちの協力を得ながら、何回か続いた。まじめに取り組む少年たちの姿を見れば、地元の人の見る目も変わってくる。冷ややかな視線に慣れていた少年たちには、その視線の変化は新鮮なものだったに違いない。以後、駅前にたむろすることはなくなった。
 あの少年たちが更正するのは無理と決めつければ、その時点で可能性はゼロになる。あの当時のトイレ掃除は、決して全員とは言わないまでも、多くの少年たちの更正に役立ったのだと信じている。

 凡事徹底という言葉がある。吉田警察署の署訓の一つでもある。警察官として、やるべきことをきちんとやることが大切なのは言うまでもない。私にとってトイレ掃除はその延長線上にある。
 この四月以降、休日を利用して、管内で計十回のトイレ掃除を実施した。署内は防犯組合に買っていただいた掃除道具約五十人分を車に積み、管内各方面に足を運ぶ。そして、地域の人と一時間半ほど汗を流し、達成感と感動を分かち合う。その都度、反響が大きく、参加した署員にも勢いがつく。
 治安回復の目標を達成するためには、警察のみの努力では限界がある。地域の人たちとのパートナーシップが大切である。周囲に目をこらせば、利害損得を超えて社会のために貢献している人や団体は、少なからず存在する。そのような志の高い人たちと積極的にかかわり、相乗効果を上げていくことを、もっと前向きに考えるべきではないだろうか。

       たけうち・みつひろ ( 広島県吉田警察署署長・当時 )   「致知」 2003年2月号より

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