トイレ掃除は心磨き
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***  トイレ掃除感想文  ***


「公衆トイレ掃除の会」に参加させていただいて

 先日は「公衆トイレ掃除の会」に参加させていただいてありがとうございました。
 大変感動したのですが、私は自分がどのように感じたのかをじっくりと腰をかけて考えないかぎり、うまく言葉に言い表せないことが多く、感想を文章にまとめるのに少し時間がかかってしまいました。
 まず感動したことは、このボランティアが私たちにとって大変身近なもので、始めようと思えば、時と場所を選ばずにできるものであったことです。
「トイレ」は、私たちにとって一番身近なものです。誰もが毎日、必ず使うものです。ある人々は、ボランティアというと、とても大きく、また時にはどこか遠くのことを考えがちです。たとえば、アフリカにある貧しいの国々の恵まれない人々に物資やお金を送るとか、実際に現地に赴いて人々を身体的、精神的に助けるなどです。只今私の娘もアフリカのケニヤに赴き、そこで宣教活動や貧しい人たちへの物資の供給、医療キャンプでのお手伝いなどをしております。それは素晴らしい奉仕であって、変化やチャレンジを好む活動的な若者たちにとっては魅力的な奉仕であると思います。しかし最近私は、本当の奉仕とは、実際にはもっと身近なところにあるということに気づきました。日本は確かに物質的に恵まれていて、貧しい国の困っている人たちを物質的に援助できます。でも物質的な豊かさが真の幸せをもたらしてくれるのかと言いますと、必ずしもそうでないことを皆様も気づいておられるのではないでしょうか。物質的に豊かになるにしたがって、心の豊かさを見失ってしまうこともあるのでは
 今回トイレ掃除に参加させていただき、マザー・テレサ女史が言っておられた言葉を思い出しました。

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。」(1981年4月、初来日の際)

 この「手近なところ」でできる奉仕であること。それが、トイレ掃除で感動的なところだったのだと思います。私は思うのですが、彼女が「貧しい人々」と言ったのは、文字どおりに物質的に貧しい人々はもちろんのこと、精神的に貧しい人々のことも言っておられたのではないでしょうか。
 「トイレ」とは不思議なもので、人が毎日必ずお世話になっているにもかかわらず、最も蔑まれる場所です。「汚い」と言って掃除を嫌がる方もおられます。
 清潔なトイレは使って気持ちのよいものです。ですから、自分のためばかりではなく、人様のためにトイレを掃除するというのは素晴らしい奉仕であると思いました。
 また謙遜な奉仕でもあります。謙遜は、今の時代に欠けてきた徳であると思います。これは愛と同義語であって、自分よりも、他の人の幸せを優先させるということです。人々が、もっと譲り合い、助け合うようになるならば、世界はずっと幸せな場所になることでしょう。公衆トイレの清掃ほど、謙遜を身につけるのに良い奉仕があるでしょうか?
 帰りに押し花のされたきれいなしおりをいただきました。それには「トイレ掃除は心磨き」と書かれておりました。まったくそのとおりだと思いました。そして、世界を良くしたいと思うならば、まず自分自身や身近な所から始めることが大切だと実感しました。人間一人一人の心がけで世界は変わっていくのですから。
 これからも、参加させていただきたいと思います。

ファミリー・インターナショナル所属 宣教師 川口 徹
< 千代田ホームスクール >

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