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ヨガナンダ



2018年3月6日 ・・・ 分かち合い

何事も一度は経験し、徹底してそれを通り過ぎるとそのことを卒業し、
自然と次なる段階へと進めるものです。

自分は子ども頃は手の付けられないいたずらっ子で、
学校で先生に叱られる回数は断トツでクラスNo.1でした。
その後幸いにして不良グループに入ることなく、
高校を卒業する頃には、
今度は逆に社会のためになることをやってみたいと思うようになりました。

それから約四十年、これまで数多くのボランテイアを経験し、
それに割いた時間や労力は膨大なもので、
最早ボランティアが生活のほとんどすべてと言っていい時期もありました。

なぜそんなにボランティアに熱心なのか。
理由はただひとつです。
それが好きだから、
それをしている時、自分の魂が喜ぶのを感じるからです。

自分は心の中の好き・嫌いという感情をとても大切にするタイプなので、
好きなことに傾倒してしまうのは必然なのです。


「サカイさんはいろんなボランティアをして偉いね♪」
とよく言われますが、
これは自分が好きでやっていることで、
他の人がパチンコや夜の街を飲み歩くのと同じです。

ボランティアは利他的行為だと言われますが、
好きでそれをやっているのなら、
利己的も利他的もまったく区別がありません。

自己犠牲の上の行為など長続きはしないと思います。
最低限自分の場合はそうです。


自分がこんなにボランテイアが好きなのは、
子どもの頃何不自由なく育ち、
親の愛情をしっかり受けてきたからだと思います。

特に自分の場合は母の影響が大きいように感じます。
母も、母方の祖母も極めて世話好きな人間で、
家にあるいろんなものを他人様にあげては喜んでいました。

晩年その母に親不孝してしまったことは自分の心の大きな傷ですが、
幸いにして最期の時に母の無限の愛をしっかりと感じ取ることができ、
その母の恩に報いたい。
今ではそれがボランテイアをする隠れた最大の原動力になっています。
  <母の愛>

人様のお世話をさせてもらい、
その方が喜んでくださると、
そのお顔の裏に母の笑顔を見るような思いです。
これはたぶん生涯変わることがないでしょう。


ボランテイア精神が旺盛なのは、
自分の心の中のいい面ですが、
人間ですので、当然その逆である邪な黒い心もたくさん持っています。

人間の頭で描く表面意識には限りがあり、
ひとつの思いを抱いている時は、他の思いは裏の方に隠れてしまいます。

自分が心のいい面を発揮して活動している時は、
心の中の欲望渦巻く黒い部分は影を潜め、
一時の心の平安を味わうことができます。

ですから自分の心はそれを知っていて、
黒い部分を隠したいがゆえ、
懸命にボランテイア活動をしているのかもしれません。
これは無意識的ですが、
潜在意識がそんな判断をしているように感じます。

特にインドにいる時はそんな感じです。
貧しくとも楽しく暮らす子どもたちに囲まれ、
本当に一生涯ここで暮らしてもいいと思えるほど幸せを感じます。

それは心の中に喜びを感じるとともに、
様々な欲望が消え、
その軽やかさがとても心地よく感じられるからです。


そんな喜び、心地よさを感じる場を持てる自分は幸せです。
けれどそれを知らない人が世の中にはたくさんいて、
そんな人にはなんとかそれを伝えられたらと願います。

公衆トイレを掃除したり路上のゴミを拾うのは、
それをすると最高の爽快感が得られるからです。
できればこの喜びを多くの人と分かち合いたい、
いつもそう考えています。

トイレを平気で汚すことのできる人は、
きっとトイレ掃除をした後の爽快感を感じたことのない人でしょう。

公園にゴミをそのまま放置する人は、
掃除をした後のキレイな状態を喜びを持って眺めたり、
近隣の人たちの感謝の声を聴いたことのない人たちなのだと思います。

今も義務教育には『道徳』の時間があるのでしょうか。
たぶん類似した教科はあるでしょう。
その時間は座学ではなく、実際に身体を動かし、
その喜びを体感する、
そんな授業であって欲しいといつも考えています。

子どもたちが大きなカバンを持って夜遅くまで塾に通うのならば、
その十分の一か百分の一の時間でも、
そんな喜びを感じられるボランテイア体験をしてもらいたいものです。

幼い頃の喜びの体験はいつまでも消えることはありません。
それは一生涯の財産です。


ボランテイアというものは、
利己的なものと利他的なもの、
その境をなくす活動であるとも言えます。

そしてその本質は『分かち合い』です。

人間は自らが生き、
永続的に子孫を残すことのできる偉大な生命システムを持っています。

それこそがまさに神の分身である証だと感じるのですが、
その生命システムの偉大さに反するかのように、
地球上ではまったく稚拙なレベルでの諍いが頻発しています。

今も地球上では約八億もの人たちが飢餓に瀕し、
その裏では日本をはじめとした多くの先進国で
有り余った大量の食糧が廃棄されています。


今から29年前の平成元年、
その頃は岡山に住んでいて、
そこでは神智学系の伝導瞑想という集団での瞑想を熱心に行っていました。

その神智学で言われていた世界を救うキーワード、
それが Sharing、『分かち合い』です。

当時も大きな問題となっていた世界的な富、食糧の不均衡は、
今もまったく変わることがありません。

あれから地球環境はより一層悪化の一途を辿り、
人類存亡の危機は極めて現実的な問題として目の前にあるにも関わらず、
人類は相変わらず自らの利益を求めることに奔走しています。

これは教育だけで簡単に解決できる問題ではありませんが、
まず一人一人の人間が、
できることをできる時にできるだけやっていく、
これしか解決の道筋はないものと考えます。


昨日からひろさちやさんの『般若心経入門』という本を読みはじめました。
まだ最初の方しか読んでいませんが、
そこに素晴らしい話が書かれていました。

般若心経入門―生きる智慧を学ぶ (日経ビジネス人文庫)般若心経入門―生きる智慧を学ぶ (日経ビジネス人文庫)
ひろ さちや

日本経済新聞社 2004-07-01
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施しをすることを布施と言い、そのお布施の話です。

ひろさんの娘さんがまだ幼い頃、
小さなケーキをお友だちの家からもらって帰ってきて、
弟と半分に分けて食べることになりました。

娘さんになぜ半分に分けなければならないのか尋ねると、
「だって分けないと弟がかわいそうだから」と答えたので、
ひろさんはこう言いました。

「それは違うよ。 
 弟がかわいそうだから分けるのならそれは『お恵み』です。
 お父さんもお母さんも、ひとつのケーキを二人で分けた方が美味しい、
 そう思える子に育って欲しいんだよ」

ひとつのケーキを二人で分けて食べて、
その方が美味しいと思える心、
それが布施の心、なのだそうです。


このメッセージは本当に心に染みました。
こんなふうに布施、分かち合いの心を子どもたちに伝えられたら、
どんなに幸せで心豊かになれるでしょう。

分かち合いは世界を救う大きなテーマです。
そしてそれを広げていく最善の方法は、
まず自らがそれを実践することです。

その実践は、半分に分けたケーキを美味しい思えるように、
喜びとともにあらねばなりません。

結婚式のスピーチでよく言われます。
「これからは苦しみは半分、喜びは倍に ・・・ 」

人間は誰しも他人との関わりの中で、
心の喜びを膨らます術を身に付けているはずです。

その分かち合いの術を、それぞれ自分の立場で実践していきましょう。
自分のため、そして世界のために。

2018.3.6 Tuesday  
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