ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



永遠のヨギー

今日、魂の師と仰ぐパラマハンサ・ヨガナンダの生涯を記録した
「永遠のヨギー」を広島市内の映画館で観てきました。



ヨガナンダが偉大な霊的哲人であることは、
彼の記した書物によってよく知ってはいましたが、
数々の映像やこれまで知らなかったヨガナンダの言葉と触れ、
ヨガナンダをこれまで以上に身近に感じることができました。


釈迦やキリストと同じように、
ヨガナンダもまた、生まれ出でた時から偉大な聖人としての役割を
予言されていた存在です。

ヨガナンダの師匠の師匠であるラヒリ・マハサヤは、
ヨガナンダの生誕の時に彼の両親に、
彼が将来外国にインドの文化を広める役割を果たすであろうことを告げました。

ヨガナンダは幼少期から己の師となるであろう人の存在を
たびたびビジョンとして見ていて、
その師となる存在、スリ・ユクテスワと初めて出会った時、
互いに師弟関係であることをその場で確信し、
師はヨガナンダに向かって、
「ずっと待っていたよ」と言葉をかけたとのことです。

これなどは、唐に渡った弘法大師空海と、
後に伝法灌頂を授けられる恵果阿闍梨との出会いを彷彿させます。

人間の持つ想念や運命は、
時空を超越しているといつも感じてはいるものの、
その超越したものの中での心や言葉をやり取りを知ると、
やはり驚嘆せざるえません。

人類レベルでの大きな役割を担う聖なる存在は、
時空を超越した大きな流れの中にあるのでしょう。


ヨガナンダは、西洋社会にヨガやインド文化を初めて伝えた聖人です。
そのことは本にも詳しく書かれていますが、
当時の映像を見て、
それがいかに苦難を伴う偉業であったかというこが強く感じ取れました。

精神文化が伝統として深く根付いているインドと、
物質主義が大きく花開いた開拓民の土地アメリカとでは、
まるで真反対とも言える文化であり環境です。

そのインド文化とは対極にあるアメリカに、
生まれ出でた時から伝導の使命を持ち、
またある時から魂の叫びとしてその意志を自ら感じ取ったヨガナンダが、
インドの心地よい環境を捨て、
単身船でアメリカに渡っていきます。

インド人であるヨガナンダとアメリカ人とでは、
肌の色も服装もまったく異なります。
また渡米当初はヨガナンダもさほど英語が流ちょうではなかったと思われます。
そんな中、即物的なアメリカ人たちにヨガの精神を説くことが
いかに困難であったことか・・・。
均質的であると言われる日本人同士ですら、
考え方の異なる者同士が話し合うのは大変な作業です。
ヨガナンダのアメリカでの伝導の旅路の困難さは想像を遙かに超えています。


自らの意志で心臓の鼓動や呼吸を停止させ、
自由に超意識状態であるサマディー(覚醒)に入ることができたヨガナンダは、
求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)を会得した空海と同様、
体験したことすべてを記憶するという超人的な能力を活かし、
彼自身の精神世界の旅路、そしてその間に出会った聖者の語ったことや生き様を、
仔細に記録しました。

それがAppleの創始者スティーブ・ジョブズのiPadに唯一入っていた、
そしてビートルズのジョージ・ハリスンが、
家に何冊も置いていて、それを必要な人たちにすぐにプレゼントしたいう
パラマハンサ・ヨガナンダ著『あのヨギの自叙伝』です。
これは聖典と言っても差し支えないものです。

あるヨギの自叙伝あるヨギの自叙伝
パラマハンサ・ヨガナンダ

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ヨガナンダは晩年、この本を書き記すことに全力を傾注していったのですが、
それはヨガナンダが生きた証としてこの本を残そうとしたのであり、
遠からぬ日に自らの肉体から脱することを
予感していたのではないかと思われます。

その本の中に、ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワ、
そのまた師であるラヒリ・マハサヤのことも詳しく書かれていて、
そんな偉大な聖人たちであっても、
時に人と対する時、感情と呼べるものを感じさせることがあったとのことです。


映画の中で、敬愛してやまない師スリ・ユクテスワを亡くした後のヨガナンダは、
側近の弟子の言葉によると、
それまで以上に深く内面を見つめる時が多くなり、
以前のように気楽に声をかけられる存在ではなくなった、
と語られていました。

偉大な聖人ヨガナンダであったとしても、
大切な師の存在を失ったことは、
心に隠すことのできない大きな空洞を作ったのでしょう。
ヨガナンダの悲しみ、寂しさを感じ、胸が痛みます。
ヨガナンダは聖人ではありますが、やはり弱さを抱えた一人の人間です。

ただし『あのヨギの自叙伝』によると、
スリ・ユクテスワは死後、ヨガナンダの眼前に、
生前とまったく同じ肉体を身にまとって再臨したと記されています。


ヨガナンダは生涯インドの僧院や洞窟にこもり、
一人心の内を見つめる修行生活をしていれば、
安穏とした一生を送ることができたでしょう。

けれど彼の魂はそれを許さず、
多くの人に喜びと魂の目覚めを与えるため、
アメリカという異国に渡り、苦難の生涯を送りました。
それもやはり救済の旅をした仏陀やキリストと同じです。

ヨガナンダがアメリカで伝道活動をしていていたのは、
第二次世界大戦を挟んだその前後です。

日本は1945年8月15日に終戦を迎えましたが、
インドはそのちょうど二年後の1947年8月15日、
イギリスからの独立を勝ち取りました。

そしてその数年後、インドがアメリカに大使館を置くこととなり、
インド大使に着任したビナイ・セン氏を歓迎する晩餐会が、
ロサンゼルスのビルトモアホテルで催されました。

ビルトモアホテルは、ロサンゼルスのダウンタウン(中心街)にあり、
日本でいえばホテルニューオータニやホテルオークラ等に相当する
歴史と格式のある大きなホテルです。

そのホテルの大きな広間で開かれた晩餐会に、
アメリカで最も有名なインド人としてヨガナンダが招かれ、
歓迎のスピーチを行いました。

そしてそのスピーチの後、
「これから肉体の衣から脱する」と周りに告げ、
瞑想状態のまま入滅(マハ・サマディ)されました。

ヨガナンダの肉体は、その後奇跡の不朽状態を示したとされています。

これがその入滅直前、
ビルトモアホテルで撮られたヨガナンダ最期の微笑みです。




これまで何度か書いてきましたが、
平成元年、初めての海外旅行でインドを訪ね、
インドに着いた直後から、そこが自らの魂の故郷であることを直感しました。

そして帰国して数ヶ月後、ヨガナンダのことを知り、
その本に書かれているインドの様子に、
まるで故郷の風景を見ているような懐かしさを感じました。

翌平成二年、二度目の海外旅行でアメリカを訪れ、
まったく期せずして最初に三泊したホテルが、
ヨガナンダが入滅したビルトモアホテルだったのです。

そのことを帰国後しばらくしてから気がつき、
偶然という奇跡に魂が震えました。


今日は映画の中で、ビルトモアホテルでのインド大使晩餐会、
ヨガナンダの入滅直前の様子を動画で観ることができ、
26年前に訪ねたホテルの様子を思い出し、
時空間があの当時に逆戻りしたかのような感覚を覚えました。

ヨガナンダは大きな使命を持ってアメリカに渡りました。
自分もヨガナンダとほんのわずかな関わりをいただくことができ、
生きている時代としてはまったく接点はないものの、
心の中でヨガナンダの思いを感じ、
大切な原点のひとつを今一度振り返り、
そのことを心に深く刻まなければならないと感じました。


今は時代の激変期、
隠者のように洞窟にこもって悟りを開く時代は過ぎ、
ヨガナンダのように苦難の実践で人を導いていかなければなりません。

そのことを胸に置き、
21世紀に生きる日本人として、
自らの役割を全うしていきます。


聖典の言葉をたくさん覚えることと理解することは全く別だ。
聖典は一句一句をじっくり味わって身に着けるならば、
霊的悟りを得るための意欲を刺激するうえに役立つが、
単なる物知りになるための研究はいくら積み重ねても、
生半可な知識と偽りの満足が得られるだけで
悟りを得るための役には立たない。


実践こそが宝です。

2016.9.6 Tuesday  
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