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宗教を思う<2>

この時空にあるものはすべてが移ろい、循環しています。
人間の思考も同様で、言い訳をするようですが、
インドから帰って抽象的思考が大きく膨らみ、ひとつの極に達し、
宗教について真面目に考えてみようと思ったものの、
時が経つとその思いが今度は逆に向かいはじめ、
宗教という果てしなく深い抽象世界に思いを向けることが
できなくなってしまいました。

また抽象世界は人によって解釈が異なり、
宗教は誰にとってもシビアなテーマなので、
そのことについて表現することが億劫になってきた、ということもあります。

かと言ってこのまましておくこともできず、
しばし更新期間が開き、エネルギーを充電しましたので、
再び自分にとっての大切な原点でもある宗教について考えてみます。

ただこのホームページで何度も述べているように、
価値、あるいは真理というものは、自分の外側には存在しません。
それらは自分の思いや感じ方、
または自分と他のものととの関わりの中にこそ存在します。

てすからここで述べる宗教についての解釈も、
それが正しい正しくないと判断するのではなく、
ご自分の宗教観を築く一助としていただければと思います。


宗教に対して誰しもが持つ根本的疑問は、
ほとんどすべての宗教が己が教えを絶対と説いているにもかかわらず、
その絶対、つまり唯一であるはずの教えや神名が複数あり、
それぞれの教義内容が異なったものであるということ、
そしてそれらの多くが愛や平和を説いているにもかかわらず、
宗教間で日常的に醜い争いや殺し合いが起こっていることです。

これについて科学的に原因を解明し、
よりよい方向へと導く“答え”を見つけることは困難です。
それは科学という要素還元主義的なものの見方では、
それら宗教間に存在する数多くの矛盾を許容することができず、
ほとんどすべてのものを否定せざるえないからです。

自分は平成元年に歴史の流れを生命現象と捉える文明法則史学と出合い、
すべてのもの、こと、時空にあまねく存在する生命というものを知り、
それ以来、これからの時代中心となっていくであろう東洋思想を
己の価値観の中心としてきました。

この東洋思想や生命の様相から察すると、
今の宗教も、ひとつの必然性を持った形として見えてきます。


ここで再度言い訳を述べさせていただくと、
真理とは自らが感じ取る相対的なもの、
いくら東洋思想的な言葉で真理(らしきこと)を述べようとも、
言葉という形あるもの、デジタル情報で、それを伝えることは不可能です。

これは教義を持つすべての宗教にも通じることであり、
言葉は真理に近づくためのひとつの手段としては有効であっても、
そこに絶対的な信頼を置き、
「これこそが真理だ」と思い込んでしまうことは幻想であり、
そうなった時から迷走が始まり、
それが行きすぎた場合、その人や集団はカルト(狂信的)として恐れられます。

東洋的生命観は、
科学的思考と陰陽ふたつの極として対を為す基本的共生関係ですが、
これまで人類は、時代の流れの必然性もあり、
科学的思考を偏重し、その歪みが大きく生じてきています。

そして今という時代の大きな転換期は、
東洋的生命観が大きく花開く時代の幕開けであり、
この宗教のことも含め、現代社会、現代人が抱える多くの問題を解決するためには、
生命というものについて、東洋の知恵をもってより深く知る必要があります。

知識は言葉にできても、
知恵、生命は言葉で言い表すことはできません。
言葉で表現できるのはその概要だけですが、
その“概要だけしか伝えられない言葉”を弄し、
宗教についての考え方を述べてみます。


東洋の基本思想が陰陽論であることからも分かるように、
東洋のものの見方の根本は相対です。

今、人間が感じ取れる最も大きな概念、ものは時空です。
時空とは、最も大きな、そしてすべてを包み込む空間である宇宙、
これに時間の流れを加えた概念です。

この時空も時間と空間という相対によって成り立つものですが、
この時空の中にあるものすべては、何ひとつとして単独では存在しえません。
人間は地球上で他の動植物との関係の中で生命を保ち、
地球は太陽系の中を運行し、
太陽系は銀河系の一部として渦を描き、・・・
すべては何か他のものと共生関係を保ち、
時とともに移ろい、循環しています。

もし何かひとつでも回りの影響を受けず単独で存在するものがあるならば、
それは時間の流れにも影響を受けず、
永遠に同じ形を保ち続けるはずです。、
けれどそういったものは存在しないことからも、
すべてのものは相対であることが分かります。

形あるものはすべてが時とともに移ろう相対ですが、
こと、概念の中には、この相対の法則性を説いたものがあり、
それは時の流れに影響をされない、絶対的なものであり、
それを“まこと”と呼びます。
  <宇宙の秩序 七つの原則 宇宙の十二の変化の法則>

これは今の時空の形態が変わらない限り普遍であり、
これが時空、生命の基本原理と呼べるものです。


けれどこの基本原理は普遍的であるがゆえ抽象的であり、
人々の日常生活の中で生きる指針となったり、
悩めるものを救うといった即効的、具体的な力にはなりえません。

人間が生きていく上で、
悩みを解決し、社会生活の秩序を守っていくためには、
たとえ普遍性は失われたとしても、より具体的で、
その時代、地域、そこに暮らす人々の特性に合ったルールや道徳を
作り上げていく必要があります。

そしてそのルールや道徳が確立していく過程で、
様々な思想や宗教が生まれていったものと考えられます。

宗教の中には個人のパーソナリティーとは関係なく、
天啓によって示された神の言葉だとするものも数多くありますが、
けれどそれらのものもほとんども、
それが生まれた時代や地域の特質に大きな影響を受けており、
また受けているからこそ、今も継承されています。

肥沃な大地ではすべての恵みに感謝をする多神教的なものが生まれやすく、
自然環境の厳しい中では、
神とは人間を厳しく罰することもある恐れ多いものとして崇められれます。

これらはどれがいい悪いと比較するものではなく、
必然によって生まれたものであり、
それらとどう関わっていくかということが大切であり、求められています。

卑近な例では、関東と関西ではうどんのだしがまったく異なります。
寒い地方出身者の多い関東では味が濃くなり、
暖かい地方からくる人の多い関西ではうす味が好まれます。
この二つのものに善悪、優劣をつけることはできません。


すべては移ろい、すべては異なる性質を持つものなのですから、
人を導くものとして、
その場、その時に最も適したものが求められ、
生まれてくるのは当然のことです。
すべてに通じる普遍的なものは根底部分には必要でも、
それだけでは移り変わる様々な状況に対処することはできません。

カメラやパソコンといった電気製品でも、
汎用性を持つものよりも、機能を絞り込んだものの方が扱いやすく、
楽に高い性能を発揮することができるのと同じです。

普遍性は、それを捨て去ることによって、
ある局面に於いて多くの人々に受け入れられるといった面があるのですが、
ほとんどすべての宗教は、その教えが、
全世界、いつの時代にも通じる普遍的なものだと説き、
人々に信じさせているところに大きな矛盾が生まれる元凶があるものと考えます。

そうなった理由として二つのことが考えられます。

まずひとつは、その時代、地域に合い、
人の心を引きつける魅力を持った教え、宗教は、
その教えをより深く人々の心に浸透させるがため、
またその教えを活かしていくために、
どうしてもそれが絶対的普遍なものだと説かざる得なかったということです。

まだ判断力の備わっていない幼い子どもに社会的ルールを教える際は、
それを絶対的なものとして厳しく伝え、指導する必要があります。
特にそれが生命に関わるものであったらなおさらです。

もうひとつは、
生命現象としての歴史の大きな流れから見ると、
これまでは西洋の時代、陽の時代、金属の時代であり、
何か事を為し、広めていくためには、
形あるものをしっかりと構築し、
中心となるものに絶対的権威を与えることが求められてきたということです。

宗教に於いては、それが布教するために教会組織を作り、教会を建て、
明文化された教義を絶対的なものとして説き、
教祖を崇めるという形になるのですが、
こうなってしまうのは生命としての歴史が持つひとつの必然です。

けれどその時代も流れ、移ろい、
今は絶対を旨とした西洋、金属の時代は終焉を迎え、
これからは相対、東洋、
一定の形を持たず、変幻自在に変化する水の時代に入ろうとしているがために、
旧時代の特性を色濃く持っている宗教というものが持つ数多くの問題点が露呈し、
世間からも否定的な目で見られることが多くなっています。


今は批判的に見られることの多い宗教ですが、
この時空の真理を説き、人の心を救済していくという意味での宗教は、
これからの時代も存続していかなければなりません。

ただ宗教というものは言葉の意味もその形も、
これからは大きく変わっていくはずです。
これまでは宗教というと、宗教団体、明文化された教義、
絶対的でかつ排他的な教えやものの見方といった印象があるのですが、
それらはすべて過去の時代のものであり、
これからの時代は、これからの東洋、水の時代に合ったものへと
変わっていかなければならず、
またそうなる必然性があるのです。

これは四季の移ろいが時の流れとともに確実に訪れるように、
絶対に避けて通ることのできないものです。

この変革の波はとても大きなものであり、
これを乗り切ることは決して容易ではありません。
なぜならば、今は時代の極めて大きな変革期、
すべてが新たに始まる陰の時代のスタートの時です。

陰の時代は女性の時代、
形あるものを大きく育てる男性の時代は終わり、
無から有を生み出す女性性が求められる時代です。

季節でいうならば、収穫を終え、
多くの植物が葉を落とし、
地中で新たな生命を育むための根をしっかりと張る時期であり、
形の上でも最も大きな変化を迎える時です。

これを乗り切るためには今の宗教が持っている本当の姿を多くの人が認識し、
より速く、よりスムーズに、
新しい時代の理に適したものへと移行させていくことが必要です。


時代の大変革期は、すべてのもの、価値観が大きく変わる時であり、
宗教は人間にとって極めて根本的つか重要なものであるがゆえ、
そこに現れる課題には、時代性を色濃く反映した象徴的なものが見て取れます。

これからの時代に適した宗教との関わりを人類が身に付けることができたなら、
人類はより深いところからの救済を得て、
これまでの人類文明よりも一段階上の、
新たな精神文明を築くことができるものと信じます。

そしてそれができてこそ、宗教は、宗教本来の価値を光輝かせるでしょう。
神殿や聖典の中ではなく、各人の心の中で。

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2016.5.25 Wednesday  
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