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目標

何か事を行うのに、目標を定めて計画通りするのがいいのでしょうか、
それとも流れに身を任せ、臨機応変に対応していくのがいいのでしょうか。

これらふたつは真反対の対極関係ですが、
計画立てて行動するのは、自然を支配していこうとする西洋的、
一神教的思考、
流れに身を任せて自由に行動するのは、
自然の恵みを享受する東洋的、多神教的思考に近似したものです。

ふたつは対極関係だから、
どちらも同じぐらいメリットがあるかというとそうではありません。
誰もが知っているように、成功哲学の本やビジネス書においては、
計画の重要性を説いているものが圧倒的です。

人生全般すべてにおいて、
期限となる具体的日時を定め、
計画の目標数値やその方法を具体的に示すことが大切であると説かれています。

若い頃に人生の具体的目標を定めて行動した人の方が、
そうでない人よりも、
何十年後かに人生目標を達成し、幸せを手に入れている確率が高いということが、
よく本に書かれていますが、実際にそうなのでしょう。


目標を定め、それに向かって行動することのメリットは、
目先の感情や誘惑に惑わされることなく、
より大切な自己の目指す到達点に向かって着実に進んでいける点にあります。

目標を定めずに行動する多くの人は、
波間を彷徨う小舟のように右往左往するばかりで、
いつまで経ってもどこにもたどり着けないということになってしまいがちです。

けれども目標を定めることが絶対的にいいのかというとそうではありません。
その定めた目標が、本当に自分が求めるものなのか、
自分にとって望ましいものであるのか、
そこを見定めることができなければ、安易に目標を決めるのは危険です。

またいったん決めた目標でも、
時の流れとともに自分や身の回りが変化するように、
その目標も随時修正していかなければならないのですが、
それが本当にできるかどうかということも問題です。


究極の理想は、目標を定めることのない無為自然です。
深い部分で自分を信頼し、自然と共に生き、
その流れの中に真理を見つけ、
ただその瞬間の幸せを享受して生きていくのは、
自然の一造物としての人間の最高の生き方だと思います。

無為自然は自由気ままとは異なります。
それは欲望のままに生きることではなく、
自我を捨て、己の最も深い部分と対話するからこそできることです。

これは仙人レベルの生き方であり、
ほとんどはここまで至らないので、
やはり自分で定めた目標に向かって進むのがいいのです。


東洋的身体論で考えたなら、
目標は体幹を支える骨格に相当するでしょう。
その骨格はしっかりと硬いものであり、
真っ直ぐに直立していることが基本であり、それが望まれます。

そして骨格を取り囲む筋肉や内臓は柔軟であり、
周りの環境変化に敏感に対応していかなければなりません。

また骨格も筋肉も内臓も、
その時々の状況に応じ、力を込めて硬くなることも、
また水のように揺れ動くことも求められます。


もう二十年も前のことですが、
ある超積極思考を説く先生が、
富士山の麓のホテルで、目標達成能力を高める宿泊セミナーを開いていました。

二泊三日でたしか参加費が十数万円だったはずですが、
私はその先生に特に気に入られていたので、
参加費無料でその研修に参加させてもらいました。

まず研修の最初にするのが、
自分の仕事における目標を具体的に書くことです。
要領に従ってシートにその目標を記入し、
それが一定基準に達するまで、何度も書き直しを命じられます。

その目標シートが出来上がったら、
次はそこに書かれたものを暗記します。
グループごとに分かれ、各自自分のものを覚えたかをチェックし合います。

そしてそれを暗記したら、
その目標を、全員の前で発表するのですが、
最初はただ突っ立って声を出して唱えるだけなのが、
少しずつパフォーマンスが加わり、
手足を大きく動かしながら走り回り、
大声で目標を宣言するといった具合に
“グレードアップ” して(させられて)いくのです。

まずは一人の講師の方が “素晴しい” 見本を示されるのですが、
それを見た時には全員の顔が青ざめてしまいます。
けれども否でも応でもそれをやらざる得ません。
研修場所は富士山の麓のホテルですので、
逃げて帰るわけにはいかないのです。
  (過去には夜中に逃げ帰った人もいるそうです)

最初は恥ずかしかったものが、
集団心理もあるのでしょう、段々と慣れてきて、
最後はみんなに拍手喝采をもらいながら、
大パフォーマンスとともに目標宣言文を叫びながら読み上げました。

これもひとつの経験ですね。
研修を終えた後は気分が高揚し、ものすごくやる気に充ちています。
この気持ちがいつまでも継続し、
仕事の面でバリバリと業績を伸ばされる方もいると思われます。
残念ながら私はそうはならなかったのですが ・・・ 。


多くの人にとって、目標を決めることは、
決めないよりも好結果を生むことが多いでしょう。
けれどもその目標を決めるにあたって、
真に自分の望んでいるものは、必要なものは何かということを
掘り下げる作業が浅すぎるように感じます。

目標というと、まずは身近なところの状態を “よくする” ことを考えるでしょう。
学生だったら学業成績が上がること、
会社員だったら仕事の業績が上がること。
けども学校の勉強がよくできるようになることよりも、
手に職を付け、職人としての人生を歩む方が幸せになれるかもしれません。
今いる会社の仕事が上手くいくよりも、
早く他の会社に転職する方がいいのかもしれません。

先の研修に参加して、
目標を強く意識に擦り込むのはいいことですが、
その目標の定め方は、
そんなに簡単にできるものではないということを感じました。

生きるとは、幸せとは、
そういったところから人生の目標は定められなければならないのですが、
私たちは、そんな深い部分は意図的に見ないように教育され、
無数の歯車によって構成されているこの社会を、
ただ発展させることが善であるという一元的価値観を
植え付けられてきたような気がします。

目標の大切さを説いている本のほとんどが、
目標の項目ごと設定の仕方、具体化の方法、
それを達成していくための工夫、こういったことばかりで、
自分にとって最も価値ある目標の定め方を説いているものはほとんどありません。

今はすべての価値観が大きく変わろうとしている時だけに、
今まで以上に深い部分を見つめることが求められています。


私個人のことで言えば、
過去世でインドの遊行者であったのではないかと思うほど自由が好きで、
目標をきちんと定め、それに向かって日々コツコツと努力していくというのが
まったく苦手です。

これまで何度も目標を定め、努力しようと試みたことはあったのですが、
ほとんど上手く行ったことがありません。

それはそれでひとつのタイプだから致し方ないと思う面はありますが、
先の「アンバランス」に書いたように、
次なるステップに進むために、
再びこの苦手なことに挑戦しなければならない時を迎えました。

物事を始めるのは新月の理、
今度の新月は3月22日(木)23時37分ですので、
その時までに身辺を整理し、
新月を機に具体的目標を定め、行動していこうと考えています。

ここに書くのは、その決意表明なのです。

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2012.3.17 Saturday  
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