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ヨガナンダ



流れ<2>

この時空にあるすべてのものは時とともに移ろい、流れ、形を変化させます。
その中で普遍のものは、前項に書いたように
いくつかの絶対法則と呼ぶべき “まこと” だけです。

流れのあるものはいつしか元の状態や形に戻り、
流れは循環というひとつのサイクルを形作ります。

その循環サイクルが他から干渉を受けない閉鎖系にある場合、
周期は一定となり、
太陽と地球との関係は一年365日、
月と地球との関係は29.5日、
東西の歴史の興亡は1600年ときわめて正確なリズムを刻みます。

これが食物連鎖や大気圏内の水や空気の流れのように、
多岐にわたる複雑な要素が絡み合ってくると、
その道筋とともに周期も不明確になってきます。

けれどもその循環サイクルの道筋が明確であろうと不明確であろうと、
また周期が一定であろうと不定であろうと、
それらが循環しているという事実に変わりありません。

循環とは、この時空の基本法則のひとつであり、
時とともに移ろい、循環しているからこそ、
これまで時空のすべてのものは少しずつ進化の過程を経ながら
生命を維持することができたのです。


循環とは形にすると渦です。
頭頂の渦巻き、指紋、腸や脳の形、筋肉、
私たちの肉体の中に数多くの渦を見ることができます。

渦は空間における形です。
これに時間という軸を加えると、
渦を巻き運動は時間軸に沿って上昇し、
らせん形となります。

ここに陰陽の共生の理を加え、
ふたつの渦を時間軸に沿って同時に回転、上昇させていくと、
生命の基本構造である二重らせんとなるのです。



流れのある中で循環の形を見ることができないものがいくつかあります。
ひとつはビッグバンで誕生したこの宇宙そのものです。
137億年前に誕生したこの宇宙は、
時間の流れとともに膨張する一方です。

これは宇宙誕生から現在に至るまでの歴史があまりにもマクロ的すぎて、
大きな循環の流れを捉えることができないのが原因だろうと考えられます。
もしこれからも空間三次元、時間一次元のこの宇宙が存続するとしたならば、
膨張しきった宇宙はいつしか収縮に転じ、
時間の流れも逆転するのではないかと考えられます。

いったん伸びきったバネは、
いつしか収縮に転じ、そしてまた縮みきったバネは、
また再び伸展する方向に向かうのと同じことです。

その正否を私たちは肉体レベルで感知、判断することはできませんが、
この時空の法則に照らし合わせてみたならば、
理論的にはそう考えるのが妥当だということです。


もうひとつ循環せずに一方向にしか流れないものがあります。
それが熱力学の第二法則、エントロピーの法則です。
  <エントロピー - Wikipedia>

物事は乱雑さを増す方向にしか推移しないというこの「事実」は、
地球環境を壊滅的にまで破壊し尽くした人類にとっては、
緩やかな死刑宣告を受けたようなものであり、
こんなにも素晴らしい生命システムを有する人類、私たちが、
こんな破滅に向かうしかない系の上に乗っかって存在しているという事実を、
私はどうして納得し、受け入れることができません。

エントロピーの法則はどこかに抜け道があるはずだ、
そう思い、自分の考えを何ページかに渡って書きました。
  <再生への道>

エントロピーの法則を打ち破る最も簡単な方法は、
時間が一元的で不可逆なものであるという概念を打破することです。
想念の力は時空を超えています。
昨今その想念の力が高まっているのですから、
画期的な何かが生まれてくることも十分に考えられます。


自然界や宇宙といったマクロスケールに循環のサイクルがあるのと同様に、
私たち個人の中にも循環サイクルが存在します。

肉体レベルでは、死して土となり、植物の栄養になるという、
食物連鎖の流れがそのひとつです。

霊、魂といったレベルでは、
何百年、何千年サイクルなのかは分かりませんが、
輪廻転生というサイクルで、あの世とこの世、
肉体的生と霊的な生を繰返し体験しているのだと思われます。


四柱推命という占術には、
人の一生の中には四季のようなリズムがあり、
それが12年サイクルであるという考え方があるのですが、
私は個人的体験から、それは正しいのではないかと感じています。

ある年のはじめ、手帳に1月、2月の予定を書いていて気がつきました。
そこに書かれている予定というのが、
その前年の1月、2月の予定ときわめて近似しているのです。

手帳には、同じ月の同じ頃に前年と同じ予定が書かれています。
それが二つ、三つではなく、五つも六つも重なっていて、
偶然と呼ぶにしてはあまりにも数が多すぎます。

どうしてもこのことを不思議に思ったので、
普通だったら絶対に行くことのない占い師の元に、
このことだけを知りたくて訪ねました。

そこで聞いたのは、(あまり正確ではないかもしれませんが)
私にとって昨年と今年は、
12年サイクルの中の空亡というエネルギーの弱い年であり、
それは二年続いて陰と陽の対の関係にあり、
だから昨年と今年は行動パターンが似ているのだというものでした。

そういったことが本当にあるのかもしれません、
これは私が実体験したことです。


この12年サイクルだけではなく、
人生というのは、えてして同じようなパターンを繰返すものです。

高校三年生の時に読んだ受験雑誌にこのようなことが書かれていました。
「高校三年生の時の一年間の成績の推移は、
 中学三年生の時の一年間のそれと比例する」

つまり高校受験の一年間、
夏休みに頑張ったり、入試直前に追い込みをかけたり、あるいはだらけたり、
そういった成績の推移、もっと直接的に言うならば、
受験勉強に対しての取り組む姿勢の推移というものは、
三年後、同じような環境におかれた時にも受け継がれるということです。

このことは、当時まだ十代だった私にも十分に納得できました。


先月カンボジアに行き、帰国してからの心境が、
昨年、また三年前に行った南インドから帰ってきた時のものと
似ているということを感じました。

これは私にとってのひとつの「流れ」だと思われます。
その流れ自体がいいか悪いかは判断できません。
その流れを、いかにいい方向に持っていくか、そのことが課題です。

ではその流れはどうしてできるのでしょうか。
それはいろんな方向から見ることができると思いますが、
やはりその大元になっているのは自分自身の思いであり、
もっと分かりやすい言葉で言うならば、
『考え方の癖』のようなものであることに、
このたび気がつくことができました。


心の中にある癖を治したい、
そう真我が望んでいるから、同じような現象を、
次々と形を変え、しかし同じようなパターンで現してくるのでしょう。

「なくて七癖」と言いますが、
癖というものは自分にとってきわめて自然であり、
その癖の存在にはなかなか気づくことができないものです。

けれどもこの癖が人柄そのものであり、
ひいてはその人の運命をも左右するのです。


身の回りで起こる事はすべて自分が創造したものです。

もし今何かで悩んでいることがあったなら、
過去にそれと同じことで頭を痛めたことがないか、
同じパターンで苦しんだことはないだろうか、そのことに意識を向けてみてください。

二度あることは三度ある、
自分が引き寄せることにはたいてい同一のパターンがあり、
そのパターンをしっかりと観察することによって、
自分がなぜ同じようなことを何度も引き寄せるのか、
そういった問題を、
いつもどのような方法で解決しようとしているのかを知ることができます。

そしてその解決の方法がけっして十分なものではないからこそ、
今度こそよりいい方法で解決しようということで、
繰り返し同じ課題が目の前に現われてくるのです。


流れにはそれを生み出す元があり、
そこを変えることが、流れを変える唯一の方法です。



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2011.9.13 Tuesday  
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