ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



流れ

諸行無常、この世の中に存在するものは常に流れ移ろい、変化していき、
一瞬といえども元の形を保持することはできません。

時間と空間は陰陽の関係であり、対であり、
一瞬の時を切り取った空間において共生という均衡を保っているものも、
時の流れとともにその均衡を崩し、より新しい共生に向けて変化していきます。
そしてその逆に不均衡なものは、
時とともに均衡を保てるような関係へと移ろっていくのです。

その中でも例外的に時の流れの影響を受けない普遍的なものがあり、
それが私たちが『まこと』と呼ぶ、
この時空を律する絶対的な法則です。
無双原理のテキストからその部分を抜粋します。




<宇宙の秩序 七つの原則>

 @すべてのものは唯一なる無限から分離した。
 Aすべてのものは変化する。
 B対立するすべてのものは、相補的である。
 C同一のものはなに一つない。
 D表があれば、かならず裏がある。
 E表が大きければ、裏も大きい。
 F始めあるものには、終わりがある。

<宇宙の十二の変化の法則>

 @一なる無限は、永遠に変化する相補的、
   対立的な性質の「陰」と「陽」として現れる。
 A陰陽は、一なる無限である宇宙の永遠の運動のなかからたえず現れる。
 B陰は遠心的であり、陽は求心的である。
   陰と陽がたがいに作用してエネルギーと森羅万象を作り出す。
 C陰は陽をひきつけ、陽は陰をひきつける。
 D陰は陰をはねつけ、陽は陽をはねつける。
 E種々異なった割合で融合した陰陽は、それぞれ異なった現象を作り出す。
   現象の中でひきつけ(牽引)とはねつけ(排斥)の作用は、
   陰陽の力の差に比例する。
 Fすべての現象は無常であり、陰陽の力の構成はいつも変化している。
   陰は陽に、陽は陰に転ずる。
 G絶対的陰、あるいは絶対的陽であるものは、なに一つない。
   すべてのものは程度の差こそあれ両性あわせもっている。
 H完全に中立なものはなに一つない。
   どんなものでも陰か陽のどちらかが勝っている。
 I大陰は小陰をひきつけ、大陽は小陽をひきつける。
 J極陰は陽を生み出し、極陽は陰を生み出す。
 Kすべてのものの中心部は陽であり、表面は陰である。


こういった時空の原則根本以外のものは、
時とともに変化するものであり、
国や地域、民族や時代に根ざした一過性の価値観であるのですが、
その移ろうスピードや範囲がマクロ的であるがゆえ、
人はつい自分たちの持っている価値観が、
絶対的なものであり、普遍的であると勘違いしてしまいます。

私はこのホームページに立派なことをたくさん書いていますが、
自分が聖人君子であるとか、
人格高潔で人より優れた英知を有している人間であるとはまったく考えていません。

ただ私がモットーとしているより普遍的なものを求めようとする姿勢、
  (たぶんその普遍的なものが、生命そのものだと思います)
自然や生命の中にこそ最高の英知が隠されていて、
それは誰にでも理解できるきわめてシンプルな形でできている、・・・
こういった真理の実相とでも呼べるようなものを、
これまでの体験からより深く理解することができるのが、
私に与えられた最高の恵みであり、
それを手にすることができたことに対して、大きな誇りと喜びを持っています。

これからはモノそのものではなく、
モノとの関わり方が重要であるということを何度も書いてきました。

それは真理もまた同様です。
真理と呼ばれるものをたくさん知っていることよりも、
その真理を求めるための姿勢や見つめ方がより大切です。


今日知り合いの家を訪ねたら、
テーブルの上に、道徳的なことがたくさん書かれた小冊子が置かれていました。
著名な方たちの立派な文章が並び、
巻頭の写真ページには、その発行団体に所属する善男善女が、
姿勢や服装を整え、整列し、偉い先生のご講話を拝聴する姿が載せられています。

その会の方たちは早起きし、きれいに清掃された会場で、
決められた様式、作法に則って立派な講話を拝聴するということが、
自分たちを磨く生き方なのだと考えておられるようです。

その冊子にはとてもいいことがたくさん書かれていて、
私もしばらくの間冊子のページをめくり、
その中のいくつかの話は今も頭の中に残っています。

その会の目指しているところは、
私のような自由人的生き方とはまったく相反するものですので、
まったく魅力を感じません。
けれども私が魅力を感じないから悪いと言っているわけではありません。

そういった規律正しい会に参加して、
自分を磨き、それが心地よい、救われたと感じる方がおられるのは事実でしょう。
それはそれでとても素晴らしいことだと思います。

そんな中で思ったのは、
こういった規律を重んじ、道徳的でありかつ硬直した考え方や組織というものは、
これから大きく変化していく時代の中で、
急速に時代の理と沿わなくなってくるであろうということです。

だから今の段階で、
こういった会の存在意義がまったくないと言っているのではありません。
ただ時代の流れという(私にとってみれば)歴然たる事実を目の前にして、
自分たちの考え方を絶対的、普遍的なものと捉えている人たちの存在には、
とても悲しく虚しいものを感じます。


この会の方たちがどうであるのかは分かりませんが、
一般的に規範を重んじる団体に属する人たちは、
考え方が硬直化し、自分たちの考えを絶対と捉え、
他の価値観をなかなか受け入れようとはしないものです。

これがこれまでの時代の中心であった金属の理であり、
硬直化し、他を顧みないが故、強い求心力を持ち、
大きく成長してきたとも言えます。

けれどもこれからは陰の時代、水の理が時代の中心であり、
硬直化した金属の理ではこの時代の大転換期を乗り越えていくことはできません。

その会からは、立派な内容が書かれた箱入りの書籍が数多く出版されていますが、
そこに書かれていることよりも、

  ・歴史を含めたこの時空のすべてのものは生命を持っている。
  ・その生命は、厳密で大きなリズムの中で息づいている。
  ・そのリズムによると、今は大転換期であり、これからは価値観が大きく変化する。
  ・これからは陰の時代、水の理が世界を支配する時代である。
  ・陰の時代、水の理とは、・・・

こういったことを根本に据え、物事を考え、感じていくことが、
より大切で求められていることなのだと感じます。

これはどちらがいいか悪いか、大切かそうでないかといったこととは異なります。
分かりやすく言えば、
私たちはまず何のために生きているのか、幸せとは何なのか、
それを考えることがまず根本です。
そしてその上で、快適な家電製品、便利な乗り物、
そういった技術的な探求をしていくべきです。

考え方、感じ方、それは生き方そのものにもつながるのですが、
それの順序の理というものを知るべきです。


根本を見つめないようにずっと教育され続けてきた私たちが、
今というこの時代、この事態を生み出しています。

根本を見つめるのはいつの時代も大切なことですが、
今という時代の大転換期、すべての価値観が大きく崩れ、
新しい価値観が生まれようとしている今は、
自分たちの足元である根本を見つめ直すことが、
避けては通れない急務です。

流れ(循環)とは、宇宙の根本原理のひとつです。

2011.9.12 Monday  
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