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人、みな我が師なり

この世の中で起こることはすべてが必然であり、
すべてが自らの意志で引き寄せ、創造したものです。

この観点からすれば、
究極的には人と人との関係に、
与える側と与えられる側などないとも言えます。

私のような者でも、ホームページを読まれた方から、
悩み事についてのメールや電話をいただくことがあります。

それについてなかなか的確なアドバイスをさせていただくことはできないのですが、
その方のお役に立つと思われる自分自身の体験を、
なるべくストレートな形でお伝えするようにしています。

私自身が体験したことは事実です。
それに間違いはありません。
そしてそれをそのまま伝えることによって、
相手の方に何かを感じて欲しいと願っています。

その方が何をどのように感じるかは分かりません。
分かりませんが、最終的に受け止めた形そのものよりも、
それを自分で判断し、導いたというその事実が、
何よりも尊いと考えています。

形はどうであれ、きっとそこから何か学ぶべきものがあるでしょう。
そしてそれを自らが導いたのであれば、
どんな結果が生まれようが、
きっと自分の心の中で納得がいくはずです。

またそこから望むような結果が生まれなかったとしても、
その自らの判断で導いたという過程を振り返り、
再び新たな道を模索していくことができます。

私に人を導くことはできません。
できるのは、ただ思いを共有し、ともに歩むことだけです。


そんな中で、自らの体験とともに、
その体験から感じたことを熱く語っていると、
語りながら自分の中で大きな気づきを得ることが多々あります。

今まで頭の中に漠然とあったものが、
語る相手という、自らが引き寄せ、創造した人の力によって、
言葉という形になって引き出されるのだと思います。

熱を入れて語りながら、
「自分の今言ったことをメモしておこう」と思うことがしばしばです。

また後になって自分の語ったことを思い返し、
その相手の方に投げかけた言葉は、
まさに今の自分にとって最も必要な言葉であったことに気づくこともよくあります。

やはり自分の外なる世界は、
自分の内なる世界の鏡です。
外なる世界に現われたものは、すべて自分が創造したのです。
それが偉大な助言を与えてくれる人生の大先輩であっても、
また人生の窮地に陥り、私に助けを求める人であったとしても、
自分に何かを感じ、気づかせるために
自らが創造したものであるという意味においては、
まったく変わることがないのです。


これまでの人生において、
何か大きな課題をクリアーした後に、
その課題を抱えている人から相談を受けるということが何度もありました。

それはきっとその人に自らの経験を元にアドバイスすることにより、
自分がその課題から得られた教訓を
より強固なものにしたいと願っているのだと思います。


人との出会い、巡り合わせに無駄はまったくありません。
きっとひとつひとつに大きな意味があるのでしょう。

ちょっと言葉の意味を厳密に使いましょう。
私は、どんなもの、ことにも、それ自体には意味も価値もなく、
それに意味や価値を付けるのは自分自身の思いと行動だと言ってきました。

ですから、人との出会いにも、それ自体には本来意味はありません。
ただそれに深い意味、意義を付けられるような仕組みが、
その奥に隠されているのを感じます。

問題は、それに気付けるかどうか、
それを活かすことができるかどうかです。

あまり好きではない人と一緒にいることになったとしたら、
その人とともに過す時間は楽しくないけれど、
その中から普段気づけない何かを感じ取れるかもしれません。
だとしたら、その人は楽しく時を過ごせる親友よりも、
より心に大きなプレゼントを贈ってくれる素晴らしい人かもしれません。

いやな人と出会い、
「あ〜今日は最悪だ〜、俺はツイてない、不幸だ〜」
そんな思いを心に強く刻み込んでしまっては、
自分で自分を不幸に導いているようなものです。

意味も価値もすべては自分の内にあり、
それを決めるのは自分自身、
それは人間関係にも言えることです。


法則は、それに気づき、意識をし、
それに対して肯定的な思いをかければかけるほど、
その法則は如実な形となって目の前に現われてきます。

人との出会いに無駄はありません。
その人がたとえどんな人であったとしても、
またどんな出会い方であったとしても、
大切なのは、自分自身がそこから何を感じ、学ぶのか、
その人との関係を、自分にどう活かしていくかということです。

人との出会いは喜ばしいものばかりではありません。
苦渋に満ちた人間関係もまた存在します。
けれども通り過ぎた過去を振り返ってみれば、
苦しかった中からこそ大きなものを掴むことができたという事実に
気がつくことが多くあります。

難有り、すなわち “有り難い” 、
この真理を是非とも人間関係の中で活かしてください。

身の回りで起こるすべてのことは、
自らが望んで現実化したものです。
そこから何かを感じたい、何かを学びたい、
心の最も奥にある真我は、そのことを願っています。

だとしたら、自ら進んでその願いを叶えてあげましょう。
願いは一度叶えば満足します。
苦難の中から進んで何かを掴んでいったなら、
もう再び同じことは起こりません。

けれどもその願いを無視し、
苦難を回避したならば、
その願いはより強いものとなって、必ず近い将来目の前で現実化することでしょう。


『人、みな我が師なり』
身の回りのすべては、自己の素晴らしい創造物であり、
己を磨いてくれる砥石です。

2011.8.2 Tuesday  
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