ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



旅_110601

京都、奈良、鎌倉、東京への旅の初日、
身の引き締まる思いがします。

前日は持っていく書類等の準備のため午前3時ごろまで起きていて、
少し眠い目をこすりながら8時前に家を出て市電に乗りました。

赤ちゃんの頃に別かれた娘と旅をするのは初めてのこと、
つい十日ほど前まではまったく考えてもみなかったことです。
流れゆく運命とは不思議なものです。

約束の時間20分前に改札口に着き、
切符を片手に娘を待っていても、
本当に来てくれるのかどうか一抹の不安がよぎります。

10分ほど待った頃、目の前の改札口を知り合いが通り過ぎていきました。
ケイタイ電話で話をしながら歩いていた彼女には声をかけられなかったのですが、
日本人の母とアメリカ人の父を持つ彼女は私の娘と同い年で、
三年ほど前まで私が数学の家庭教師をしていました。

しばらくアメリカで暮らすということで会わなくなって以来、
どうしているのかは分からなかったのですが、
日本に戻ってきているとは知りませんでした。

彼女もアメリカ人のお父さんとは幼い頃からほとんど会ったことがないはずです。
偶然か必然か、今この時に彼女が目の前を通り過ぎていったことに、
不思議な因縁を感じます。


約束の時間ちょうどに娘はやって来ました
少し緊張しながら二人縦に並んで新幹線のホームに向かいます。
新幹線のホームから、少し時期の遅い満開のツツジが目に入りました。



ツツジの赤は目に鮮やかで、
私の心には、普段よりもより一層美しく映えています。

田舎者の私は、新幹線に乗るのは昨年インドから帰ってきて以来ちょうど一年ぶり、
広島県外に足を運ぶのも、その時以来のような気がします。 (間違いでした!)

新幹線の中では娘とずっと話をし、
京都までの二時間弱が、あっと言う間に過ぎていきました。
私にとっては忘れられない一時です。


梅雨に入り、全国的に雨が降ったり止んだりの一日のようですが、
京都に着くと、幸い雨が止んだすぐ後のようでした。

京都駅から東寺まで歩いて行くことにしました。
約10分、京都の街並みはどことなくのんびりとしていて風情があります。



緑豊かな広い敷地の中、いくつかの棟や伽藍が立ち並ぶ東寺は、
何度来ても心落ち着く素晴らしいところです。

雨上がりで花や葉っぱに水滴が付いている緑は本当に美しくイキイキとしています。



ここも真っ赤なツツジがちょうど見頃を迎えていました。
紫色の菖蒲もまたきれいでした。



紅葉でしょうか、赤い実のようなものをつけています。



真っ赤なツツジも、よく見ると一本の木に二色の花が混在しています。
大きな水滴が、花びらに生命力を与えています。



東寺の五重塔を見て、薬師如来に参拝し、
目的の大日如来にもしっかりと手を合わせていただきました。

久し振りに拝ませていただく大日如来のお顔は、
以前よりも優しく、女性的な笑みを讃えているように感じられます。
お顔を見ても感じるものはまったく何もありません。
普段自分の心を見て、ただ静かに無心であるのと同じことです。

ただここにいる、ここで生きている、
『今』を感じる、それだけです。


自然や歴史を感じながら歩く、それができる京都や奈良は、
やはり素敵なところです。
私はもう広島を離れて暮らすことはできませんが、
こちらに戻って(!)来ると、いつも憧れを感じます。

近鉄東寺の駅前にケンタッキー・フライドチキンがあり、
その前に佇んでいるカーネル・サンダースの像に目が行きました。
彼の着ている服は、まさに広島カラーではないですか!



京都の地元サッカーチーム、
京都パープルサンガの正式なユニフォームなのでしょうか、
紫色は広島のサッカーチーム、広島サンフレッチェの色、
赤はもちろん広島カープのカラーです。
なんだか嬉しくなりますね

近鉄電車に乗って、昔懐かしい桃山御陵前の駅に向かいました。
ここは私の天理教の先生が、布教の第一歩を記されたところで、
大学時代はここに通い詰め、忘れられないたくさんの思い出が詰まっています。

駅前にある懐かしい大手筋、今も大勢の人で賑わっています。
ここを歩くのは三十年ぶりです。



古い店構えのところもたくさんありますが、
京都カラーのマックが京都らしさを感じさせます。



この近くに、私のホームページを通して知り合い、
毎月インドへの義援金を送ってくださる橋本さんという方がいて、
娘と二人で大手筋でお昼ご飯を食べながら待つことにしました。

ほどなくして橋本さんと合流し、
娘は一人で郵便局に用事があると出かけ、
私と橋本さんは、三十年前の当時布教所のあった過書町というところまで歩きました。
少しだけ雨が降っています。

このマンションが建っている場所が、
あの頃はマルサクハウスというボロアパートがあったところで、
私が「神の道」を志すキッカケとなったところです。



今はマルサクマンションとなっていますので、持ち主は変わっていないのでしょう。

隣のパン工場のあった場所は、
建物の外観はあまり変化がないように感じられますが、
中はきれいな倉庫か何かになっているようでした。



あの頃が懐かしい、そしてやっぱり、思い出は美しいものです!

橋本さんに、
「たぶんその当時は、ここは○○だったはずですよ」
などという地元の人ならではの解説を聞きながら、
少しだけ近所を散策させてもらいました。

橋本さんによると、京都市の南の端にあるここ伏見区は、
京都で最も社寺仏閣の数が多いのだそうです。
こんな住宅地の真ん中にポツンと鳥居があるのですから、
本当にそうかもしれないですね。



橋本さんと喫茶店に入り、いろんな話をさせていただきました。
橋本さんは東洋医学の専門家で、
チャクラやOリング、スピリチュアル全般にとても深い知識をお持ちで、
話がすごく弾みます。

しばらくたって娘も喫茶店に来て、
話の流れで、娘の将来のことなど、
娘の人生相談をしてもらうことになりました!



けっこう長い時間話をしてくださり、本当に有り難い限りです。
橋本さんは、Oリングのような筋反射を使い質問の回答を導かれますので、
その話にはとても説得力があります。

  橋本卓也さん ・・・ 整体シークレットバイブル

思い出の伏見には4時間ほどいて、橋本さんと別れを告げました。
懐かしく、そして楽しく有り難い一時でした。
橋本さんに感謝です。


桃山御陵前から再び近鉄に乗り、天理の教会に向かいます。

先生は数日前からお母様と一緒に故郷大分に帰っていて、
昨日天理に戻ってくる予定だったのですが、
たまたま大分でバスを降りる時に足をくじき、
靱帯を切る大怪我をし、迎えの人が大分に行ったりいろいろあったのですが、
私の娘が天理に来るということで、
無理をして今日一人で飛行機に乗って帰ってきてくださいました。

ちょうど飛行場に迎えに行った車が天理に戻るタイミングと合ったので、
私たちも天理駅で車に乗せてもらって教会に行きました。

椅子に座って教本を読んでおられるのが私の先生、福本純子先生です。



私を13歳の頃から知っておられる先生は、
今日も51歳になる私に対して、
「この子は昔はねぇ ・・・ 」などと言うのです。 w(*゚o゚*)w
歳を重ねても、昔の感覚は抜けないんですよね、お互いに ・・・ 。

けど娘のために、わざわざ大分から一人飛行機に乗って帰ってきてくださって、
その恩義は忘れません。
人を思う人の気持ちほど有り難いものはありません。

先生は私たちと一緒に食事をしながら、
いろんな話をしてくださいました。

娘は留学をしたいという希望を持っているのですが、
私も幼い頃から可愛がっていた先生の息子、娘三人は、
みんなアメリカやオートスラリアへの留学経験があり、
今も二人は外国に住んでいて、
そんな体験談を娘に聞かせてくださいました。

それと信仰という人助けの道を真剣に歩んできた人の話は説得力が違います。
娘もそれは感じてくれたみたいで、
私は途中で席を外したのですが、夜遅くまで話を聞いていたようでした。

私がこのホームページで、
スピリチュアルな世界で流行っている
小手先のテクニックを否定するようなことを書くのは、
やはりこの先生の見えざる神と常に真剣に対峙する姿を長年見てきた、
その影響が最も大きいように感じます。

私は今は天理教からは離れてしまいました。
私の持つ自然観は、一神教の天理教とはある面相反するものですが、
この先生が私のスピリチュアリズムの出発点であることを、
今もとても誇りに思っています。


私にとって、今日という日は、生涯忘れることのできない一日です。
深謝。

2011.6.1 Wednesday  
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