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ヨガナンダ



バランス感覚

このホームページに書いていることは、
その場で思い浮かんだことも多々あり、
すべてが論理的に頭にまとめられてから文字にしているというわけではありません。

先の「心のブロック」に書いた、
『もしかしたら、そのブロックを踏み台にして、
 天高くジャンプてきるかもしれないじゃないですか』
などという表現は、それまで自分自身考えてもみなかったものです。

ふと思いついたそのことが、正しいことなのかどうかは分かりません。
たぶん正しい正しくないなどという評価ができるものではないでしょう。
ただこういう見方があるということ、それを提示したかっただけです。

真理は言葉で表現することはできません。
ですから私の書く言葉の中にも、当然真理はありません。

真理を見つけようと試行錯誤する中に価値があり、
その試行錯誤する過程で心の中に芽生えてきたものが真理です。

試行錯誤する、自分で考えてみる、
これは何より大切なことです。
それゆえに、私のように突拍子もない意見を提示するというのは、
考えたり迷ったりする機会を与えるという点で意義があるのだと思っています。


人によっていろんな考え方、見方があり、
そこから物事の多様性を知り、その中から自分に必要な知恵を見つけ出す。
人それぞれの違いを知り、そこから自分というものを知るようになる。

『みんな違ってみんないい♪』、
違ってもいい、のではなく、違うからこそいいのです。


私は自分がバランスの取れた人間だとは思っていません。
そんな私が大局的なことを述べていいのだろうか ・・・ 、
ここ数ヶ月間、そのことをずっと考えていました。

バランスが取れているから大きな力が発揮できる、というのはひとつの事実ですが、
その逆に、アンバランスであるがゆえ、
バランスを取ろうとする大きな力が働くのも事実です。

もし私のような怠惰な人間がすべての面で恵まれ、
安定の取れた日々を過しているのであれば、
きっとその状態に安住し、新たな境地を開拓しようとはしなかったでしょう。

私の人生は、よくも悪くも波瀾万丈ですが、
それはすべてパワーを生み出すがため、
自らが望んで得たことなのだと確信できます。


この時空は螺旋状に進化する構造を持っています。
不安定(アンバランス)なものは安定(バランス)を指向し変化し、
安定したものも、さらなる進化を求め、
その安定状態を崩そうと動きます。

この時空は陰と陽で成り立ち、
安定と不安定も陰と陽の関係であって、
それはちょうど生と死、創造と破壊の関係と同じです。

創造ばかりで破壊がない世界は、
じきにオーバーフローしてしまいます。
破壊が創造を生み出すエネルギー源であるように、
安定と不安定も、互いを生み出し、活かし合う関係です。

安定と不安定はちょうど同じ力関係の陰陽の共生関係を保ち、
安定の中に不安定があるからこそ、
時間の流れとともに形が変化していく循環というものが生まれます。


すべてが安定したものばかりだと、
その状態から変化のしようがなく、循環というものが生まれません。

安定したものばかりだと、たとえ変化をしたとしても、
それは循環という螺旋状のものにはならず、
一方向の極端に偏ったものになってしまいます。

従順で安定志向の人間ばかりが集まっている集団では、
少しずつ偏向していってもそれに気づくことがなく、
少数の力を持ったリーダーの思うがままに操られてしまう可能性があります。

異端と呼ばれるような不安定な存在は、
大きく全体のバランスを保つ上で欠かすことができないものです。


安定、不安定、このふたつの要素は、
ミクロからマクロまで、すべてのスケールで求められています。

私は個人としてバランスの取れた人間だとは思いませんが、
それだからこそ、より大きなスケールで、
全体のバランスを取る役割が果たせるのではないかと考えています。

私はこれまで神因縁の元、
たくさんの素晴らしい宗教家やスピリチュアルな団体と
深い関わりを持たせてもらいました。
また文明法則史学を知ることによって、すべてのものの命を知り、
これからの時代の流れというものを明確に判断することができます。

この与えていただいた経験や知識、知恵を活かし、
これからよりいい時代を創り出していく役割を担いたい、
世の中をいい方向に引っ張っていきたい、
多くの人が右の方に偏っていると感じたなら、
自分一人だけでも左の方に走り、
全体の傾きが少しでも修まる方向にもっていきたい、
そんな思いを強く持っています。

これは私自身の大局的なバランス感覚であり、
その役割は、私のように少々とんがったアンバランス人間の方が、
大きな働きができるのではないかと考えています。

このホームページでは、
権威あることに対しても平気で批判的なことを書いていますが、
そのすべては私の本音であり、
そのものが一方的に批判されるべきものではないとしても、
そこにはごく一部といえども批判されるべき側面があり、
それを誰かが指摘することが、
全体としてバランスを取る上で重要であり、
それが私の役割でありバランス感覚であると認識しています。


私たち人類はその長い歴史において、
ここわずか数千年、数百年というごく短期間に、
急激な文明、経済の発展を遂げました。

そしてその発展は完全な行き詰まりを見せ、
私たちは今きわめて大きな文明の転換期、その入り口の扉に立ち、
今求められているものは、
ごく短期間に築き上げてきた文明や経済の安定を
よく強固なものにすることではなく、
それを打ち壊し、まったく新しい安定を求めるための不安定を作ることです。

古い安定を破壊し、不安定な状態を作り、
その上で新たな安定を創造していく、
これが大きな歴史の流れにおける文明のリズムであり、
命のリズムそのものです。


昨日行われた参議院行政監視委員会では、
何名かの識者が原発問題に対する意見を述べていました。

その中の一人、ソフトバンクの孫正義社長は、
田電(でんでん)計画と称し、全国の休耕田に太陽光発電機を設置し、
危険な原発を全廃し、新たな電力供給システムを作り上げようと語っていました。

一流の経済人である孫氏ならではの意見であり、
たぶん多くの人が賛同するものと思われますが、
私はその「現実的意見」とはまったく異なる考えを持っています。

太陽光発電はエコだと思われていますが、
はたしてそうでしょうか。
太陽光発電機を作るためには、莫大な資源とエネルギーを必要とします。
それを作り上げる過程で、どれだけ多くの自然を破壊し、
人の健康を損ない、人命を傷つけることになるのか、
それを具体的に算出してみれば、
原発以上安全でエコなものであるとは言えないはずです。

私は縁あって歴史の生命観を学び、
これから人類はどういった方に向かって歩んで行かなければならないかということを
学ばせてもらうことができました。

それを知った私は、そのことを人に伝えていく義務があり、
その伝えていくことは私のバランス感覚であり、天命です。

私たちが今求められているエコというのは、
これまでの物質大量消費文明の安定ということを最前提としたエコではなく、
人間の生きる意味という深い原点に立ち戻り、
もっともっと深いところから自然の一造物として
周りの自然といかに関わっていくべきか、
そこから考えた共生思想としてのエコである必要があります。

ですから私は「再生への道」の中で、
人類の歴史始まって以来初となる、エントロピーの増大を少なくするという、
エネルギー消費減少への第一歩を踏み出そうということを提唱しました。

このような意見はほとんどの人は机上の空論であると耳を貸さないでしょう。
けれども耳を貸す貸さない、受け入れられる受け入れられないは関係ないのです。

それが自分の考えたことであり、自分で正しいと判断し、
それを伝えていくことが自分の天命でありバランス感覚であると感じていれば、
もうそれだけで十分です。


私たち日本人は元々素晴らしい精神文化を持っています。
けれど第二次世界大戦敗戦後、
それまで持っていた民族としての精神的な自己を否定せざるえなくなり、
その代わり、新たな西洋主義的民主主義、合理主義が、
日本人の心の中に半ば強引かつ急速に入ってきました。

民族としての私たち日本人の心は大きく傷ついています。
けれども私たちは、意図的にその傷を見ないよう仕向けられてきて、
その上に仮面をかぶり、
仮面の上で笑顔を作ることで幸せになれると信じ込まされてきました。

今はその状況が破綻し、
これからの東洋の時代を迎えるにあたり、
本当の日本人としての精神文明を
再び取り戻さなければならない時を迎えています。

しかし一度手放し、見失ってしまった私たち日本人の魂は、
容易に元の状態に戻すことはできません。

日本人の多くが、自分を見つめることができず、
自己を否定し、自分を愛せないというのは、
日本人一人一人個人としての心の病であり、
また日本民族としての精神的に傷でもあるのです。


その傷を癒すには、
まずは傷を覆っている仮面をはがし、
その傷を直視することです。

仮面はかさぶたと同じく、はがす時には痛みを伴います。
けれどかさぶたは傷を守り、癒してくれますが、
仮面の下の傷は、いつまでたっても癒されることはありません。

仮面をはがす、あるいは壊す、
それは現状を打破するということであり、
新たな秩序という安定を創り出す原動力としての不安定状態を生み出すことです。

この大転換期に求められているその変革のパワーはきわめて大きなものです。
大きなものでなければ、
巨大な新たな時代の波には乗ることはできません。


安定と不安定、これはふたつでひとつの共生というバランスです。
そのバランスの取り方は人様々であり、
様々であるからこそ適度なバランスが取れ、
また適度なアンバランスさを残し、それが循環のエネルギーとなります。

心のブロックということからこんな話になったのですが、
心のブロックを含め、何事も一方的に悪いものだとしてしまうのは、
バランスの欠けた考え方です。

どんないいものにも欠点があり、
どんなに悪いと思われることにもメリットがあります。
そう考えることが究極のバランスであり、
そのものを活かすためのポイントです。


これは私が信条としている大切なことです。
どんなに素晴らしいと思える人、ものにでもマイナス面が存在します。
それを認識できないまま、それと付き合うのは大変危険です。

それはもしかしたら本当に完璧なものなのかもしれません。
だとしても、それを丸信じしてしまい、
自分の主体性をなくしてしまってはなんにもなりません。

マイナスとなりうるものは、
その中だけではなく、それと関わる中にも潜んでいる可能性があります。
そのマイナスはあって当然のことであり、
もしないと感じ、100%大絶賛するとしたならば、
それが最も危険なことです。
世間ではそれをカルト(狂信的)と呼びます。

逆に超最悪と思えることの中にも、
何かに活かすことのできるヒントがあり、
それを見つけることができたならば、
それだけでも価値あることだと言えるでしょう。

人生は日々いろんなことが起こります。
いいと思えることもあれば悪いと感じることもあり、
特に最近は時間の流れが加速化し、
これまで考えられなかったようなことが、
めまぐるしく目の前に現われてはまた消えていきます。

そんな急速な流れの中、
常に冷静に自分というものを見つめ、
いいことに溺れることなく、悪いことにつぶされることもなく、
すべてのことを少しずつ自分の中の『価値』として取り込んでいける、
それが理想の生き方だと思います。

太極図

太陰の中にも小陽あり、太陽の中にも小陰あり、
完璧と思えるものの中にもマイナス面があり、
超最悪と感じるものの中にも何か学べる点があります。

この時空のすべてのものは、
白黒をハッキリと付けることのできない相対の関係にあります。

安定と不安定、これも絶妙な相対関係にあり、
互いが互いを活かし合い、
男女がともに愛し合うように、
求め合い、循環していきます。

これが生命の実相であり、
躍動する生命のリズムです。


不安定でもいい、心のブロックがあってもいい、
そんなことでくよくよ悩む時間があるのならば、
それを活かす方策を考え、行動することに時間を割いてください。

人間は誰しも完璧ではありません。
完璧でないがゆえ、より高みへと昇っていくことができます。

常に循環しているこの時空において、
完璧で安定しきった状態のものなど存在しないのです。

完璧でなくてもいい、
欠点と思えるものがたくさんあってもいい ・・・ 人間だもの。

2011.5.25 Wednesday  
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