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関わり

私のすごく信頼する友人から「アワの歌」についてのセミナーがあるので
参加しませんかと連絡をもらいました。

私はアワの歌についての詳しいことは分からないのですが、
神代の時代から続いてる言霊にまつわる尊い歌だというぐらいは知っています。
それとつい最近るある著名なスピリチュアルなサイトでアワの歌について、
『アワの歌を歌うことは危険なので、決して歌わないように』
と激しい口調で警鐘を鳴らしていたので、そのことも記憶に残っていました。

そのサイトでは、アワの歌が危険な理由や、
もし歌ってしまった場合の救済方法などが事細かに書かれています。

それが本当に正しいことなのかどうかは分かりませんが、
友人には一応情報としてそのことを伝えておきました。

私の親しくしている東洋医学のK先生は、
そのサイトの主催者であるT氏をとても信奉していて、
T氏からたくさんのことを学び、治療法の参考にしておられます。


私の懇意にしているHさんは精神世界大好き人間で、
すごくたくさんのスピリチュアル系の方たちと交流を持ち、
サイトでも随時有益な情報を流しています。

そのHさんが環境の浄化に絶大な効果があるというCDをすすめていたので、
私も試しに一枚購入してみました。

そのCDをK先生のところに持っていき、
直感でものや人の波動を瞬時に見分ける能力のある
K先生の奥さんに渡したところ、
「このCDの波動は私には受け入れられません」と、
そのCDを持った瞬間から不快感を露わにされました。


K先生、T氏が素晴らしい能力者と絶賛し、
魂を浄化する手助けとして力を借りているのが、
あのインドの有名な聖者サイババです。

先月24日に亡くなったサイババは、
一時期日本でも大きな話題となり、
私が岡山にいた時に一年間瞑想するために通った大きなお家の方は、
自宅敷地内にサイババの瞑想をするための道場を建て、
毎年のようにインドのサイババの元を訪ねておられました。

私もサイババが自称するように、
本当に「神の化身」なのかどうかは分かりませんが、
その伝えているメッセージはとても素晴らしいものがあるので、
このホームページでも何度かサイババの言葉を紹介しています。

けれども植物さんの故三上晃先生は、
LBSでの実験結果から、
『サイババは神の化身ではなく、世界一の手品師です。
 物質化現象で出すものは、袖の下に隠しているという反応が現われます。
 けれども星の適合を調べると、普通の人とは違い、
 ふたつの星から反応が出るので、
 なにか特別な人なんでしょうね』
と語っておられました。

またとても有名なチャネリング的なことを書くスピリチュアル系のサイトでは、
先月の記事で、
『サイババさんが、かつて、何処に繋がっていたのかと云えば、魔界です。
 彼の周囲には、特殊な磁場が存在していて、
 それは、魔界由来のエネルギー磁場でした。
 物質化現象というのは、確かに存在しますが、
 彼が行なっていた、即効性のある物質化現象はすべて、
 魔界のエネルギーによって実行されていたものです』
としています。


私は天邪鬼(あまのじゃく)のような気持ちで
矛盾点を探して喜んでいるわけではありませんが、
目には見えない世界は、
『信頼できる』と思えるようなものの中だけでも、
様々な意見の食い違いが見受けられます。

このことから学ぶべきところはすごく大きいと感じます。
そして人によって、受け取り方は様々でしょう。

ある人は、特定の教えや価値観を『絶対的』だと信じ、
他の考えには耳を傾けないようにするでしょう。
また他の人は、多少の矛盾点はあっても、
自分にとって心地よい意見のみをいろんなところからかいつまんで
取り入れるかもしれません。

その対応の仕方によって、
その人の生き様というのが分かるようです。


私はこう考えます。
私たちはこれまで、様々な過程を経て生み出されてきた最終的な形や答
といったもののみに価値を見出し、
それだけを追い求め、それを手に入れることがイコール幸せだと思い、
また思わされ続けてきました。

けれどもこれからの時代は違います。
形や答ではなく、それを導く過程でどのようなことを考え、
どのような知恵を身につけたのか、
またどのような思いでその形や答を導き出したのか、
そういったことがより大切なものとなってきます。

サイババを長年信奉していいて、
もしサイババが神の化身でなかったということが明らかになったとしたら、
その長い間の信奉というのはまったく無駄になってしまうのでしょうか。
そんなことは決してないと思います。

自分が心傾ける対象はどんなものであってもまったく問題ではありません。
それが立派な宗教者であろうと、暴走族のリーダーであろうと、
その人たちとどの様に関わり、
その中で自分というものをいかに磨いていくのか、
大切なのはその一点のみです。

まず自分というものがあり、
その上で周りの人やものと関わっていくことが、
本当の意味で自分を大切にすることであり、高めていることであり、
その相対する人やものを尊重することにもつながります。

外なるものを絶対的なものと信じ、
そこに価値の主体を置こうとするところから迷いが生じます。


スピリチュアルな先駆者たちが互いに矛盾することを言うのは幸いです。
もしみんながみんな口を揃えて同じことを言ったなら、
周りのものはそれを絶対だと信じ、
自分の内に価値を見出すことをしなくなってしまうでしょう。

自分の外に絶対的なものはありません。
主体は自分の中にしかありません。
真理は感じ取るものであり、言葉という形に表すことはできません。

彼らはそのことを私たちに伝えようとしてくれているのだと思います。


以前にも書いたことがあると思いますが、
二十年ちょっと前、神智学の冊子で学んだことが印象に残っています。

人間を解脱し、覚者となった存在がメッセージを伝えています。

『私を追い求めるな、追い求めれば追い求めるほど私から遠ざかるであろう』

また神智学を学ぶものに対し、
『神智学を学んでいるものほどグラマー(自己幻惑)が強い』
と告げています。

本当に『素晴らしいもの』は自分の内にしか存在しません。
けれども外側に素晴らしいと思えるものを見つけてしまうと、
そこに価値の主体を持っていこうとし、
自分の内なる輝きから目をそらすようになってしまうのです。

自分の外側にある『素晴らしい』と思えるものには、
自分の目を曇らせる危険性が潜んでいます。


私は過去二十数年間、
そういった『素晴らしい』と思えるようなものと関わる団体と
数多く接触してきましたが、
そのほとんどで、関わっている人の多くが価値の主体を自分の外側に置き、
その団体の提唱者やリーダーを絶対的存在として崇め、
その人が提唱した最初の形を金科玉条のように守り、
それを破ることができなくなっています。

そしてそれらと関わっている人たちの多くは、
「自分は素晴らしいものと出合えたラッキーな、そして選ばれた人間なんだ」
という陶酔感を持ち、それだけで満足し、
それを手段として自分の内を見つめるという本質を忘れた
思考停止状態に陥っています。

ちょっと極端に言い過ぎかもしれませんが、
外にばかり目を向けているとそういった危険性があるということを、
肝に銘じておいてください。


誰と付き合おうが、何を学ぼうが、どんなことをしようが、
それはあくまでも二次的な問題です。
最も大切なのは、自分をいかにしっかりと持つか、
そして自分をしっかりと持った上で、
身の回りのひとつひとつのものとどのように関わっていくか、
大切なのはこの一点しかないのです。


ジョンレノンは「GOD(神)」という曲の中でこう歌っています。

ボクは魔術を信じない、易を信じない、聖書を信じない、タロットを信じない、
ヒットラー、イエス、釈迦、マントラを ・・・ 、


そして最後に、

ボクは自分だけを信じる、ヨーコと自分だけを、
それが現実なのだ。  夢は終わった ・・・ 。




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2011.5.3 Tuesday  
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