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魂の刻印
ある有名なスピリチュアル系のブログに、
こんな事が書かれていました。
・・・ つまり、西暦2011年〜2012年末までの期間は、
“極めて、危機的状況が継続する”
といった警告信号です。
地球自身の自浄作用である天変地異は、
多かれ少なかれ、もはや、避けることは不可です。
「魂に印のついた人」だけが助かります。
魂に印がついたというのは、そういった運命を持つという意味だと思いますが、
今年から来年にかけては世界規模の天変地異が多発し、
多くの人たちが淘汰されるということを語っています。
大きな未来へ向けての流れは決まっていても、
近未来の具体的シナリオは100%確定したものではありませんので、
本当にそうなるのかどうかは分かりませんが、
今までの流れから考えて、
そういたことはまったく考えられないことではないと思います。
私の知り合いは70メートルの津波が日本に押し寄せてくるということを信じ、
海抜70メートル以上のところに住む必要があると真剣に考えいます。
ちなみに私の住む広島は、
外洋から見て四国や瀬戸内の島々に守られてはいるものの、
我家のある港に近い町は、海抜わずか2メートルです。
<Flood Maps> ・・・ これで自宅の海抜が調べられます。
近い将来に対する危機感を持っておられる方は多いようで、
食料を備蓄したり、一流企業を退職したり、
海外に移住したりしている方も実際におられるということを聞いています。
危機に対する管理は自己責任であり、
それを他人がとやかく言うことはできません。
備えあれば憂いなし、ということわざもあるのですから、
自分が安心できるように備えをすることも大切です。
私は運命論者ですので、時の流れに身を任せ〜♪ということで、
特に備えはしていません。
人間の命は、一過性の肉体的生命と、永遠なる霊的存在としての命があります。
私は永遠なる命の実在をこれまで何度も体感していますので、
肉体的な死というものをあまり恐れる気持ちがありません。
それと死期というものは自分が選択するものだと信じています。
それは母が亡くなった時に感じたことであり、
また昨年二度命を落としかけて、実感としてそう思うようになりました。
これまで何度も書いたように、私は本来昨年死ぬべき運命でした。
それは自ら望んで定めとしたものです。
それがたまたま何かのお役目を与えていただいたのか、
執行猶予のような形で、今も生きながらえさせていただいています。
けれども本当にその時死ぬべき運命であったのなら、
それを避けて通ることは絶対にできません。
それは二回死と直面し、体の芯から感じることです。
8月に川で溺れた時の、
川に入っていったということ、
そして川の中に引きずり込まれ、まったく泳ぐことができなかったということ、
これは今考えると何かに導かれた運命としか思えません。
12月に車ではねられたかけた時も、
そこは片側三車線の大きな道路ですが、
普段深夜は車の通りが少なく、
赤信号でも左右を確認して渡ってしまうことが多いのですが、
その時はたまたま青信号であったため、
まったく何も気にせずに横断歩道を渡り、
目の前を暴走車が急ハンドルを切って通り過ぎていきました。
あれはまさにタイミングであり、
もしはねられる運命であったなら、
それを避けることは絶対にできなかったでしょう。
そしてそのはねられかけたことが偶然ではないということを示すサインとして、
その数ヶ月前、同じ広島市内でごく身近で大切な人が、
私とまったく同じパターンで車にはねられ命を落としているのですから ・・・ 。
危機に備えている人を批判するつもりは毛頭ありませんが、
私はそういった人たちとはまったく違った考え方の持ち主です。
津波に備えて高台に住んでいても、
死ぬべき運命の人は、たまたま海沿いに降りてきた時に津波に遭遇し、
命を落とすかもしれません。
高台に住んでいても、交通事故や病気で死ぬ可能性はゼロではありません。
海沿いに住んでいて津波に流されても、
流木にしがみついて一命を取り留めるかもしれません。
人間死ぬべき時には死ぬし、
生き残る運命の人はどうやったって生き残る、
これが私の最も大切にする価値観です。
もし有事に際しての生き死にが運命として、
魂に刻印されているのならば、
その刻印をよりいいものに変えていく努力というのが、
自分にとって最も有益な備えになると考えます。
水野南北は食が運命を決めると語っています。
日々どんなことを実践しているのか、どんな心の持ち方をしているのか、
日常のそんなひとつひとつのことが、運命を形作っていきます。
魂に印のついた、と言うと、
何か運命的に動かしがたいものといった印象を受けますが、
人類の近未来が確定していないのと同様に、
私たち一人一人運命に導かれるこれからの道筋も、
まだこれからいくらでも変えていくことができるはずです。
その意味でも、あまり目に見える世界での備えばかりに気を取られていると、
かえって不安と恐怖を煽る結果となり、
マイナス想念を増大させることになるのではという危惧を抱きます。
深い真理ほど簡単なところにある、
これは時空の絶対法則であり、私の持つ信念とも言えるものです。
ですから危機に対する備えも同様です。
人に真似のできない徹底した備えをした者が救われ、
大きな幸せを得られるということはどうしても考えられません。
もちろん、その救い、幸せというものが、
目先の肉体レベルなのか、霊や魂のレベルなのかによって
見方は違っていくるでしょうが、
私は誰にでもできる簡単なことの中から最高の道を探し、
多くの人とともに歩みたいという思いをどうしても捨てることができません。
その結果として肉体の命を捨てたとしても、
なんら後悔することはありません。
せっかくインドで輝くような笑顔の孤児たちと仲良くしてもらったのに、
自分だけ豊かな日本で、己の命が奪われることを恐れ、
しゃかりきになって大事なものをバッグにつめて山にこもるなんてことは、
情けなくてできないですね。
危機管理は自己責任であり、
これからの動乱の時代は、
己というものをいかにしっかりと持つかということが問われるでしょう。
主体は自分、自分で決めることに価値があります。
それに善悪はありません。
高校時代ハードロックに狂い、エレキを弾きまくっていました。
その当時聴いていた Deep Purple の Child in Time の歌詞の一部です。
If you've been bad, Lord I bet you have
And you've been hit by flying lead
You'd better close your eyes and bow your head
And wait for the ricochet
君が悪をはたらいてきたのなら、
主は君を裁き、君は鉛の弾丸によって撃たれるだろう。
目を閉じ、頭を下げ 、そして跳弾が来るのを待つがいい。
2011.4.24 Sunday
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