ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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元はじまり<2>

『因縁なら通りゃにゃならん、通って果たさにゃならん』、
これは因果の法則の厳格さを説いた天理教の言葉です。
因果の法則とはもちろん引き寄せの法則とまったく同じことを意味します。

どんな苦難が目の前に現われようとも、
それはすべて自らが引き寄せたものであり、
それを受け止めずに回避したならば、
必ず再び同じ苦難がやってくる。

そして再びやって来た苦難は、
以前やって来たものよりも大きなものになっている。

だから苦難には正面から立ち向かい、受け止め、
そこから感じ取れるものを感じ取り、学べるものを学び、
いち早くそこから卒業しなければならない。

このことを私は先生の口から何十回、何百回と聞かされ、
そして先生自らが自分の人生の中でそれを実践し、
その法則性が正しいのだということを
何度も目の当たりに見せてもらうことができました。

「どんなつらいことからでも逃げずに立ち向かっていけば、
 それから後は絶対に同じ苦労はしないですむんだから ・・・ 」
そんなことが口ぐせのようでしたが、
私は身を以てその言葉が真理であることを理解できます。


先生の人生はまさに波瀾万丈です。
天理教の布教師として極貧の生活を続けている中、
同じく布教師で、離婚をして子どもさんを二人抱えている素晴らしい男性と出会い、
ともに布教の道を歩むことになりました。

滋賀県の石山に教会を建て、
布教をしながらその借金を返していきます。
ご主人となった人は腕のいい歯科技工士さんで、
再婚した当時はまだ布教とともに技工士の仕事も続け、
いい収入を得ておられたのですが、
「神様一本の道を歩まなければならない」との思いから技工士を辞め、
二人して布教一本の道を歩みます。

大変な苦労の末に教会建設の借金をすべて返した後、
二人してもう一度ゼロからの苦労を味あわせていただこうと志し、
教会を手放し、それを本部にお供えすることにしました。

その報告をしに滋賀県から奈良の天理まで車で出かけていた途中、
トラックに追突され、ご主人は命を落としました。

一家の大黒柱をなくし、住むところもなく、
ご主人の子どもさん、新たに生まれた子どもさん、
計7人の子どもたちを抱え、その時から再び路頭に迷うことになります。

そこからまた新たな苦労が始まるのですが、
一度通った苦労は二度目は以前とは違うものになっているのでしょう、
私は端で見ている立場ですので偉そうに語ることはできないのですが、
それから短期間に滋賀県の守山というところに立派な建物を普請し、
今は天理の教会本部近くの広い土地に、
ログハウスの大きな神殿を建てておられますので、
これは本当にすごいことだと思います。
  <愛しのゆーちゃん>

これは信仰の『絶対性』を柱とした先生の生き様が、
常に真っ正面から人生と立ち向かい、
どんな苦難をも自らを磨く砥石として喜んで受け止めてきたその成果です。

今は天理教から大きく離れてしまった私ですが、
今も時折天理に帰り、先生と身近に接していただくと、
自分の心の原点を見つめることができ、
身が引き締まると同時に、
『生きていく上で最も大切な姿勢』のようなものを感じさせていただきます。

そのとても立派な先生ですが、
あまりにも教理の原点に忠実に信仰するあまり、
天理教の教会本部からは疎んじられ、
布教所や教会という正式な名称をいただくことができない状態です。

私は先生の生き様はとても立派なものだと尊敬しています。
天理教の教え自体も、これからの時代の理に合っているかどうかは別として、
根本は多くの人を救うことができる尊いものだと考えています。
それは他の宗教も同じでしょう。
天理教が他の宗教より優れているものだとはまったく思いません。
ただ私は縁あって天理教と出合い、そこから多くのものを学んだというだけです。

それとこれは一概に言うのは大変危険ではありますが、
多くの情報の中から感じるのは、
もうこれから宗教組織、厳格な教義というものが時代遅れになろうとしている中、
多くの宗教組織が腐敗しているだろうということです。

天理教の本部にそれを感じます。
また天理教の大きな教会も同様ではないかと思います。
やはり組織ができあがり、教会という不動産を所有するようになり、
それを維持しようとする、
またそのために世襲という制度ができてしまうと、
保守的、排他的になり、真理を見る目が曇ってしまうのは、自然の法則であり、
金属から水へと価値観が移行していく今という時代の理なのです。

特にカリスマ的リーダーを信奉する教団には要注意です。
またその側近を親族が固めている組織はとても危険です。
本当の真理は己の中にしか存在しません。
そのことに気付けるように導くのが真のスピリチュアルリーダーです。
いかにそのリーダーがカリスマ的能力を持っていたとしても、
その人の語る言葉の中に真理はありません。


繰り返しますが、
私は自分が信仰していた天理教が最高の宗教だと思っているわけではありません。
多くの宗教の中には明らかに人を迷わす危険性を含んだものもありますが、
金光教であれ大本教であれ、
きっと天理教と同様に素晴らしい教えを教理の中に含んでいるでしょうし、
私の先生と同じような素晴らしい生き様を貫いている信者さんもいると思います。

カトリックであったマザー・テレサは、
インドで貧しい多くの人たちに愛を捧げました。
マザー・テレサの愛はどれだけ多くの人の心を豊かにしたことでしょうか。

身近に接していただいている同じくクリスチャンである小野春子さん
広島キリスト教会の植竹利侑牧師、
どちらも本当に立派な方たちです。

けれどもキリスト教徒は、十字軍の遠征で多くの罪のない民を殺戮し、
アフリカの黒人を「人間ではない」と見なし、奴隷制度を容認しました。
ここ広島に原爆を落とした爆撃機エノラゲイにはカトリックの神父が同乗し、
乗組員たちに原爆投下のスイッチを押させるために神の祝福を捧げました。

宗教がいいのか悪いのか、
どの宗教が優れているのか、
そんなことは問題ではありません。
またそれに対する答などあろうはずがありません。

大切なのはそれとどのように関わっていくかということ、これだけです。
宗教であれスピリチュアリズムであれ、
それとどの様に関わり、その関わりの中で、
自分の内なる世界にどんな価値を築いていくのか、
着目しなければならないのは唯一この一点です。


どんなところにでも深い真理を知るためのヒントは潜んでいます。

今日の出来事です。
あるブログで食糧危機のことがテーマになっていて、
その中で肉食は止めるべきだということが書かれていました。
これには私も大賛成で、
私も普段からなるべく肉は食べないようにしています。
  <地球を貪り食う>

このことはとても大切なテーマなので、
このホームページでも新たなコーナーを作って訴えていこうかと考えています。

そのブログの中で日月神示の言葉が紹介されていました。

「四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

「日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生くべき物、作らしてあるのじゃぞ。日本人には、肉類禁物じゃぞ。今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ」


日月神示は、これまでいろんなところで目にしていますが、
こんな言葉もホームページに載せた方がいいのかな ・・・ そんなことを考えながら、
そのブログで紹介されていた10年ほど前に放送された
NHKの世界的な穀物戦略に関するドキュメントを見ていました。
  <地球 豊かさの限界 第一集 一頭の牛が食卓を変えた その1>

その時に手元に来た知り合いからのメール便を開封してみると、
中にはなんと日月神示の本が入っていたのです

日月神示―この世と霊界の最高機密 (5次元文庫)日月神示―この世と霊界の最高機密 (5次元文庫)
中矢 伸一

徳間書店 2008-03
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こういう偶然は嬉しいですね。
きっとこの本の中に、私にとって必要なことが書かれているのでしょう。


答は自分の中にある。
それを耳を澄まして聞くということ、これがやっぱり何よりです。

そのために様々なものを手放すということ、
価値の主体を自分の中に置くということが大切です。

2011.2.2 Wednesday  
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