ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ





広島県尾道市出身で不登校児、高校中退者のための師友塾を創設した
偉大な教育者 大越俊夫さんの本を二冊持っていて、
たびたび辞書のようにめくっては繰り返し読んでいます。

「自分」との対話
「自分」との対話
大越 俊夫
 
6000人を一瞬で変えたひと言
6000人を一瞬で変えたひと言
大越 俊夫

「6000人を一瞬で変えたひと言」の中の一節です。

*** 友を持とうとするな。 友と共にあれ。 ***

三十年ほど前、アメリカの精神分析学者のエーリッヒ・フロムは、「人間の遺伝子には『持つ能力(to have)』と『ある能力(to be)』という、人間として欠くことのできない二つの能力が組み込まれている」と言った。
ところが、戦後の日本人はこれを無視し、豊かな日本を旗印に「持つ能力」ばかりを重視し、「ある能力」を軽視してきた。
お金を持つ、家を持つ、高い学歴を持つ ・・・ 。
“モノ” をたくさん持つことが幸せだ、という考え方である。これによって、日本人の精神性は大きく損なわれ、間違った個人主義が蔓延し、人と人のつながりもだんだん希薄になりつつある。
なかでも、私は「友だちを持つ」という言い方に強い危機感を抱いている。 “持つ” ということは、所有することであり、ある意味で支配することだ。この延長線上に、友だちを自分の都合のいい存在と考える姿勢が見てとれる。
友情とは自分本位ではなく、共に喜び合い、助け合い、ただ共にあることを幸せと感じることだ。だから私はこう言う。
「ただ人と共にありなさい、その中に身を置くだけでいい。それだけで心にエネルギーを蓄えることができるから」
人生を生きるということは、人と共生する時間の積み重ねだ。人と共に喜び合い、悲しみ合い生きる、そこに人生の喜びも生まれる。
自分の人生だけよければいいのではなく、人の人生まで大切にして、はじめて自分の人生を生きていることの実感を得るのである。



ネットのニュースで、現代の若者は、
ケイタイに平均約300件のアドレスを登録しているにも関わらず、
彼氏や彼女の以内割合が7割を超えるということを聞きました。


1月8日のニュースです。
自殺をFacebookに書き込んだ女性と、無視した1000人以上の『友達』

イギリス南部に住む42歳の女性が自殺した。彼女は自殺前、ソーシャルネットワーキングサービス『Facebook』でそのことをほのめかしたのだが、それに対する1000人以上もの『友達』からの反応は、冷たいものばかりであったという。

発端は、この女性がFacebook上の自分のページに、『私はもう、睡眠薬を全部飲み干したの。もうすぐ死ぬよ。バイバイ、みんな』と、自殺をほのめかすコメントを書いたことだった。
彼女のFacebookには1048人もの『友達』が登録されていたのだが、この書き込みに対し、誰一人として彼女を心配したり、自殺を思いとどまらせようとコメントする者はいなかった。
それどころか、彼女のことを嘘つき呼ばわりしたり、意地の悪いコメントを返す『友達』ばかりであったという。
書き込みから17時間後、女性の書き込みを見た誰かにそのことを伝えられた女性の母親が、警察に通報した。
だが警察が女性の家を訪ねた時には、女性は既に自殺していた。

Facebook上の彼女の『友達』の内、非常に離れた所に住んでいる何人かは、彼女を助けるために住所や電話番号探し出そうと行動していたという。
実際、彼女の母親に通報したのは『友達』の中の誰かであったのだから、彼女の書き込みに対してページ上で表現しなかっただけで、心配している人も多かったということである。
だが逆に、彼女の近くに住んでいた『友達』は、彼女の書き込みに対し行動を起こしたり反応を示すことは全くなかった。

彼女の死後、母親は娘のFacebookに「娘は自殺しました。皆さんどうぞ、私達をそっとしておいて下さい」と書き込んだという。
女性を非難した『友達』は、このメッセージを目にして一体どう思ったのであろうか。



昨年の6月より Twitter を始めました。
Twitterを始めた当初、知り合いから
「とにかくたくさんの人をフォローした方がいいですよ」
とアドバイスを受けたのですが、
主にトップページ横の掲示板程度の役割としてしか考えていなかったので、
開設して半年経った今もフォローしている人は6名、
フォローされている人(フォロアー)は33名しかいません。

フォローとは、他のユーザーの発言を自分のホームページに表示させること。
フォローされるとは、他のユーザーが自分の発言をその人のホームページに表示させることです。


けれども毎日何時間もTwitterを見ているわけではないので、
そんなにたくさんの人をフォローしても、
その発言のすべてを見るわけにはいきません。
またまったく見ず知らずの人の “どこで何を食べた” みたいな発言は、
まったく興味がありません。

しかしTwitterを熱心にやっている人たちの中には、
何百人、何千人、時には何万人という人たちをフォローしている人も
珍しくはないようです。

そんなにたくさんの人をフォローするのは、
ただ自分もたくさんの人にフォロー仕返してもらいたいからなのでしょう。

Twitterにはリストという便利な機能があって、
特定の人たちをあるリストに入れておけば、
その人たちの発言だけを取りだして見ることができます。

たぷん読み切れない数のフォローをしている人は、
特定の興味ある人たちの発言だけを見て、他のフォローしている人の発言は
すべてスルーしてしまっているものと思われます。

自分の発言を少しでも多くの人に見てもらいたいが為、
ネット上での友だちであると言われるフォロアーを増やし、
そのフォロアーの発言を日々ゴミ箱に捨てるが如く流してしまう、
こんなことを何の違和感もなくできてしまう人たちの感覚に
底知れぬ寂寥感と恐怖感を覚えます。

たとえネット上とはいえ、そんな人との関わり方をする人たちと、
私は実社会でお付き合いをしたいとは思いません。

Twitterというのは多くの人とリアルタイムで繋がることのできる
きわめて便利なコミュニケーションツールです。
災害現場からの発信が一瞬にして多くの人に繋がったり、
多くの人による助け合いの輪が広がったりするメリットもありますが、
『表大なれば裏大なり』、
Twitterという便利でかつ希薄なコミュニケーションツールを通して、
失うものも計り知れないほど大きいということを知るべきです。


あなたにとって友とは何ですか?
あなたはたくさんの友を持ちたいですか?
それともあなた自身がいい友になりたいですか?

2011.1.9 Sunday  
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