ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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情報<2>

よりよく情報と関わるには、
私心をなくすこと、自分をしっかり持つことだと書きましたが、
このふたつはやはり深い関わりのあることです。

心の中に感情の波風が立っていては、
自分をしっかり見つめることはできません。

自己をしっかり確立していなければ、
周りの意見に左右され、
心の中はいつも揺れ動いてしまいます。


自分をしっかり持つとはどういうことなんだろう、
最近そのことをよく考えます。

私はよくも悪くも世間一般の人とは違った普通ではない人生を歩んできて、
世間一般の常識を気にしては生きていけないような環境に身をおいてきました。

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
高村光太郎のこの言葉のような格好いい世界ではないのですが、
ひとつひとつの細かいことに至るまで、
自分なりの思いを持って、考え、行動してきたように思います。

その間いろんな出会いがありました。
私の場合、宗教やスピリチュアルな関係の方たちが
圧倒的に多かったのですが、
本当にありがたいことに、心からの尊敬に値する素晴らしい方たちと、
きわめて身近な関係をこれまで積み重ねてくることができました。

そこから学ぶべきことは多くあり、
そしてその反面、その方たちが素晴らしいがゆえ、
自分をなくし、ひとつの方向に走ってしまうという過ちも経験しました。

深く尊敬、信頼していた人に、ある日突然失望し、
心の中が空っぽになってしまったこともあります。

人の心は弱いものです。
自分よりもはるかに素晴らしいものを持った人に出会った時は、
自分価値観のすべてをその人に委ねたい、
その人を信じ切ることによって楽になりたいと思うものです。

それは最初の段階では致し方のないことだと思います。
学ぶという言葉は、 “真似る” というところから来ていると聞いたことがあります。
赤ちゃんが、最初は親を真似ることによって社会で生きる術を学ぶように、
最初に、外の価値観をまるのまま自分に受け入れてしまうのは自然なことです。

けれども物事には発展していくための順序があります。
守破離(しゅはり)、最初は教えられたことを真似て、守り、
次はそれを破って独自な工夫を加えていきます。
そして最終的には、最初の教えから離れ、独自の世界を築いていくのです。


私たちは幼い頃からたくさんの「正解」を教え込まされ、
その正解をたくさん知ること、
正解を真似てそれに近づくことが善だと教育され続けてきました。

ところが最初の守は教え込まれていても、
それに続く破や離は、きちんと身に付かないまま
大人になってしまっている人が多いのではないでしょうか。

守だけしか知らず、
自分の外にあるたくさんの正解を寄せ集めさえすれば
幸せになれると信じている人は、
自分の守っている外側の価値観がうまく機能している時はいいのですが、
それが一端崩壊すると、
自分で新たなる価値観を構築することができません。


私も若い頃、全幅の信頼を置いていた人に失望し、
激しい落ち込みを経験したことがあります。
しかしそんなことを何度もくり返す内に、
どんな素晴らしい人、価値観と相対しても、
自分というものをしっかり持っていなければ、
本当のいいものがつかめないということが身を以て分かるようになりました。

その後も信頼しいたものの負の側面を見て失望したことが何度もありましたが、
その度ごとに心の動揺は起きなくなりました。

外なるものに絶対の信頼を置き、価値観を依存するということは、
自分自身の目を曇らせるだけではなく、
相手にとっても傲慢さを引き出し、謙虚さを失わすことになり、
双方にとってよくないことです。


最も大切なものは自分の中にある。
外にあるものは、自分の内なるものを進化させていく道具に過ぎない、
そんなことを、経験を積み重ねることによって、
知識としてではなく、身を以て知ることができました。

それともうひとつ、そこから強く感じたことは、
これまでも何度も書いてきていると思いますが、
出合っているものが素晴らしければ素晴らしいほど、
価値観をそこに依存し、自分を見失ってしまう危険性があるということです。

これもきわめて声を大にして言いたいことです。
これまでも、そして現在も、そういった人たちを数え切れないぐらい見てきました。

「私は本当に素晴らしいものと出合った、だからもう安心だ」
「こんな出合いをいただけるなんて、私は選ばれた人間に違いない」 ・・・
こんな思いをもしあなたが持っているとしたら要注意です。

その出合っているものが深い真理を説いているように感じられる、
導いてくださる方がとてもいい方だ、
そして信じられないような奇跡を数多く体現している、・・・
それはそれでとてもいいことだと思いますが、
“価値” というものは、自分の外側のそのものの中にあるのではありません。

価値は自分の中にあります。
その素晴らしいものとどう関わるか、
そこから学んだものを自分の生き様にどう反映させるのか、
それがそのものの価値を決めるのです。

ですから価値は一定ではなく、それと関わる人が、
自分独自で決めるものです。


私は数多くの宗教体験をし、
そこで感動的な素晴らしい体験とともに、その負の側面を見てきて、
少しずつ本当の価値は自分の中にあるのだということが分かってきました。

そして絶対的なものなどどこにもなく、
すべては自分の心が決めている、
その自分の心が最も大切なのだということが、
体で理解できるようになってきました。


その自分の心の奥にあるもの、
これが本当の意味で唯一信頼できるものであり、
基盤となるものです。

ここをしっかりと確立することが、
自分をしっかりと持つということです。

私は21年前に文明法則史学と出合い、
そこから時空のすべては生命を持っているということを知りました。
そしてこの時空は、共生、循環、フラクタル、
この三つの基本法則によって律せられているということを知り、
この二十年間ずっと検証を重ねてきて、
それについての確信は深まるばかりです。

けれども、もしかしたら将来この考えを打ち砕くような事実と出合うかもしれません。
そうしたら私は今までの考え方の誤りを認めなくてはならないでしょう。

もしそうなったとしたら、私は多少のショックを受けるでしょうが、
これまで以上の深い真理と出合ったという喜びの方が、
より大きく胸にわき上がってくるものと思います。

それは私の基盤としているものが、
共生、循環、フラクタルという基本法則にあるのではなく、
その奥にある、深い時空の真理を知りたい、
それを多くの人たちに伝えたいというところにあり、
それをいつも心の中で意識しているからです。


あなたにとって最も大切にしているものは何でしょうか、
それは普遍と言ってもいいぐらい、あなたにとって根本的なものなのでしょうか、
あなたの外にあるものとは、その根本の部分から関わっているのでしょうか。

一度そのことを問い直してみてください。
それが自分をしっかり持つということなのだと思います。

2010.10.26 Tuesday  
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