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比較

今この瞬間を生きるというのは時間的なこと、
その時間と対になっているのは空間であり物質です。

今この瞬間を見つめるということは、
この瞬間にある身の回りの環境、ものだけに目を向けるということです。

ただ今という時を感じ、過去や未来のことに心煩わせないということは、
現在目の前に置かれている環境やものに対し、
他のものと比較することなく、ただその恵みを享受するということです。

今という時を見つめることと、
今ある環境やものの本質に目を向けるというのは同じことです。


過去こうだったから、今のこの状態から抜け出すことはできない、
今がこうだから、将来どうなっていくのか不安である。
今を見つめることができず、過去や未来のことに頭を痛め、心悩ませるのは、
過去から現在、未来への時の流れを比較の上で判断するからです。

けれども今現在、唯一ある真実の時というのは、
今この瞬間だけであり、
過ぎ去った過去という時もまだ来ぬ未来も、
自分の心の中で抱いている一種の幻想に他なりません。

時間と空間、天と地、陰と陽、
この時空のすべては相対でもって成り立っています。
しかしその中にある価値は、自分で見いだし、自分で判断していくのですから、
これは比較という相対の世界を超えたものです。
  <価値>

この相対の世界を超えた、一種絶対ともいえる価値基準、
価値を見いだす目や心を自分の中に持たない限り、
今という時を過去や未来との比較の中でしか見ることができず、
今この時の輝き、時の持つ価値の本質を感じ取ることはできません。

価値は比較の中にあるのではないのですから、
今という唯一真実の時も、比較の中にはないのです。


環境やものという物質も同様です。
「隣の芝生は青い」という、他との比較の中でしか喜びを見いだせない生き方は、
物質的不全感というとらわれを燃料にして
終わりのないトラックを永遠に走り続けているようなものであり、
その先にゴールはありません。

お気に入りの電化製品を手に入れて大いに喜びにひたっていたとしても、
新製品が発表されることによって消えてしまうようなものであれば、
それはうたかたの夢や幻に過ぎません。


本当の喜びや幸せには、比較というものが入り込む余地はありません。

可愛い我が子を抱きしめた時、「この上ない」幸せを感じるではありませんか。
愛する人から手作りのプレゼンをもらった時、
それと一流ブランド品と、出来具合を比べたりするでしょうか。

時や空間(環境、もの)の本質を感じ、そこから最高の価値を見いだすということは、
このような比較を超えた感覚や価値判断を、常に持って生きるということです。

私たち大人でも、それができる瞬間というのがあります。
それを大切にし、日常生活の中に大きく広げていけたなら、
どんなに幸せで心豊かなことでしょうか。

全身に喜びをあふれさせて生きている子どもたちは、
いつもこの比較を超えた世界で生きています。

私たち大人も、
昔はみんな心の中にあふれるような喜びを抱えて生きていたはずです。

それが少しずつ社会の中で分別を身に付け、
昨日より今日、今日よりも明日の方がもっと立派な人間になれるように、
そして幸せになるように努力しなければならない、
努力を怠って今のままだったら幸せになれない、・・・
そんなことを言われ続けて生きてきたのですから、
相対的価値観がしっかりと体に染みつけてしまったのも無理のないことです。

分別とは、物事を分けて考えるということであり、
まさに相対の世界です。

未来に向けて努力するのが悪いことではありませんが、
その基盤には、「今この時の幸せ」というものがなければなりません。
そのことを伝えずに、「今のままでは不十分だ」という一面的な認識を植え付け、
その不全感をエネルギーとして
馬車馬のように未来に向けて走らせようとするのですから、
文明が発達し、物質的豊かさを享受できるようになった今も、
肝心の心の中は以前にも増して貧しいままなのです。


自分にとって比較を超えた大切にしているもの、
価値を感じているもの、時はなんでしょうか。
愛する家族でしょうか、大切にしている思い出の品でしょうか。
あるいは恋人と過す一時でしょうか。

その比較を超えた喜びの世界を少しずつ広げ、
比較の中にあるものや時とい「とらわれ」をあなたの元から手放していってください。

2010.10.22 Friday  
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