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果たす

セドナメソッドで身近な様々な事柄をテーマに感情の解放を続け、
少しずつ気持ちが晴れやかになってきたように感じるのですが、
その反面、心の奥底に隠れていた得体の知れない “何か” が湧き出てきて、
言いしれない不安に襲われることがあります。

得体の知れない、言葉で言い表せない、
まるでホワイトアウトにでも合ったかのような感じになるのですが、
人生における苦労は、その人に背負いきれないものは与えられないとのことなので、
今が飛躍のチャンスと考え日々己の心と対面しています。


セドナメソッドに限らず、心に関するワークやメソッドを続けていると、
自分の心の変化に呼応するように、身近で様々なことが起こってきます。

それはもちろんその時の自分にとって都合のいいことばかりではなく、
気分を害するトラブルのようなことも多々あり、
ただそれに何らかの学ぶべきテーマを含んだ必然性が感じられるため
「神のご守護」と感謝できるのです。

身近で起こるトラブルは、自分にとって乗り越えなければならないテーマなので、
自分にとっての苦手分野ということが多く、
端から見ていると簡単そうでも、
当人にとってはそれをクリアーするのは困難だということがよくあります。

また過去これまで同じ問題をクリアーできずにいたので、
心の中で同じ課題を抱え続け、
人生において同じような問題に何度も遭遇するということもたびたびあり、
これがまさに引き寄せの法則でしょう。

これは誰しもが感じることでしょう。
それを宗教的には因縁、運命というのかもしれません。


天理教を熱心に信仰している時、先生から
「因縁は通らねばならない、通って果たさなければならない。
 それを果たせば、もう同じ問題は二度と起こらない。
 それを避けていれば、同じ問題が今度はより大きな形で襲いかかってくる」
ということを何度も聞かされました。

また聞かされただけではなく、
その先生の生き様や、周りの人たちの体験から、
その因縁の法則が実際にあるのだということを
肌身を通して感じさせてもらう機会を多く持つことができました。

因縁を通る、あるいは果たすとはどのような意味でしょう。
因縁を通って果たさなければならないのは万人に共通した摂理ですが、
それをどう感じ、受け止めるかが人によって大きな差が生じます。

人生における災難を、自らが犯した過去の悪行の報いと考えるのもひとつ、
より明るい未来を築くための学びの場だと感じるのもひとつ、
嘆き悲しみ怒り、あるいは喜び、感謝、
どのような感情でもってそれを受け止めるか、
それはすべて自分自身が決めること、
そのこと自体には本来善悪も色もありません。

嘆き、悲しみ、怒り、マイナスの感情で受け止めるのが悪いとは言いません。
一度感情を思いっきり爆発させることによって心をクリアーにし、
起こった出来事をしっかりと見つめ、
よりいい対処法を考えられるようになるかもしれません。

大切なのは因縁を通った後の、その果たし方です。
果たすとは、セドナメソッドで言うところの心の解放、感情を手放すということであり、
ホ・オポノポノにおけるクリーニング、
引き受け気功の引き受けるということに相当します。

心の面でいえば、そういった因縁(災難)を引き寄せる感情を手放す、
考え方を変えるということになります。

その感情や考え方というのは、
すごく俗っぽい言い方をすれば “心の癖” みたいなものです。
あるいは “囚われ” と言った方がしっくりくるかもしれません。

心の中の癖や囚われは、心の奥の隅の方に隠れていて、
なかなか見つけ出すことが難しいかもしれません。
けれど心の内を見つめる努力を続けいけば、
「今抱えている問題は、自分のこの考え方が引き寄せていたんだ」
「心の中にあるわだかまり、癖は、
 子供の頃のあのトラブルが原因で生み出されていたんだ」
そんなことに気がつくようになってきます。

そういったことは本にもよく書かれていますし、
私の身近なところでも最近は直接耳にする機会が多くなりました。

心の内を見つめていると、
自分の心の中のほんの些細なことが原因で、
いろんな身の回りの出来事を自らが引き寄せているということが分かるものです。


けれどせっかく最高の学びの場である「神のご守護」をいただいて、
意味、必然性の感じられる出来事が起こっても、
その真意を感じ取ることができず、
その時々の感情に押し流されてしまっては何にもなりません。

  ※ 神のご守護という言葉はとても宗教的な響きがありますが、
    分かりやすい例えですので、ご理解ください。

まずはその出来事は必然性のあることであり、
その出来事を含めてすべては自分が引き寄せ、
創り出したものであるということを心に深く刻み込むことです。


引き寄せの法則や成功哲学が注目を集め、
自分にとっての明るい未来をイメージする人が増えていますが、
自分にとっての「いいこと」を引き寄せようとするならば、
自分にとっての「悪いこと」も自らが引き寄せたのだということを
しっかりと自覚すべきです。

「いいこと」はお陰様、ありがとう、そして必然、引き寄せだと考えながら、
「悪いこと」はたまたま偶然、人のせい、そして忌み嫌うものと考えていては、
心の中で矛盾が生じ、陰陽のバランスが崩れ、
大きな力を生み出すことはできません。

引き受け気功の「福は外、鬼は内」という考え方は、
そのところのバランスを取る卓越した方法だと思います。


自分にとっていやなことの起こる原因を
すべて自分自身に求めるということは、
当然ながら生やさしいことではありません。
その原因をクリアーにすることも同様です。

けれども頭でそうすべきだと感じたのであれば、
まずは形の世界からでもそこに一歩踏み込んでみるべきです。

先にあげた様々な心のワーク、
最も汚い排泄物を素手できれいにするトイレ掃除も
そのための実践行と言えるでしょう。

心のことを追い求めていくと、
どこから入っていっても出てくる結論はいつも同じです。

『すべてのものに共通するもの、その中に深い真理がある』、
これがこれからの時代の価値観ですから、
そうなるのも必然でしょう。


身近で起こってくることに必然性を感じ、
それを受け止め、解放し、手放し、クリーニングし、引き受け、因縁を果たしていく、
そしてそこで学ぶべきものを学び、感じるべきことを感じ、
同じ課題を再び引き寄せないようにしっかりと消化(昇華)すること、
これが人生の歩みというものです。

歩みとは、先に出した足がしっかりと地に着き、
それが軸足として固定されているから次なる一歩を踏み出すことができます。

やはり大切なのは「簡単なこと」であり、
軸足となる今この瞬間の心の内なのです。

2010.9.22 Wednesday  
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