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ヨガナンダ



命の重さ<3>

発展途上国へのボランティアを長年やっている
知り合いの女性と話をしている時、
たまたま話題が凶悪犯罪のことになりました。
母性の強い彼女はこう言いました。

「もし我が子が誰かに殺されたら、
 裁判官には『絶対犯人を死刑にしてください』とお願いします」

世界的に見ると、死刑は廃止の方向に向かっていますが、
日本は近年の凶悪犯罪の増加を受け、
世論は死刑廃止よりも継続を要望する声の方が大きくなっています。
  <世界の死刑制度の現状 - Wikipedia>

実は私自身も死刑制度を擁護する意見を持っていて、
その考えと、国家間のような世界的規模での恒久平和を求める場合の
「最も尊いものは命」という考え方の間に
整合性が取れていないことを最近感じるようになりました。


「最も尊いものは命」、これは間違いのない真理だと思います。
だからこそ、論理、倫理、正義よりも命を重んずべきだと考えています。

けれども誰かの生命に危害を加える殺人事件の犯人に対しては、
新たなる犯罪による生命の危機を生み出さないためにも、
犯人は死刑に処すべきだという抑止論も、
絶対的ではないにしてもひとつの正論です。

最近は「被害者感情」という言葉をよく耳にするようになりました。
肉親を残忍な方法で殺された被害者家族にしてみれば、
犯人が死刑を免れ生を謳歌することができるのは、耐え難い屈辱です。

先に「広島への原爆投下を許すべき」ということを書きましたが、
そうであるならば、個人の犯罪被害者、家族に対しても、
「犯人の罪を許すべき」と唱えるべきです。

戦後65年経ち、今でも私の周りには原爆被災者の方たちが何人もおられます。
しかしその人たちに「原爆の赦し(許し)」を請う以上に、
まだ生々しく記憶の残る殺人事件の被害者家族に対して
「犯人の罪の赦し」を求めるのは、とても酷なことです。

もちろん原爆被災者に対しても、赦しを請うのは酷なことです。
けれど原爆は戦争の中での出来事であり、
65年という長い年月は、
心の中に赦しに近い感情を芽生えさせるのではないかと思います。
広島に住んでいるからといって、
被災者でない私がこんな軽々しいことを言ってはいけないのかもしれませんが ・・・ 。


毎週参加している積極人間の集いに、
数年前ゲストスピーカーとして、
突然自宅に侵入してきた暴漢によって娘さんを惨殺されたお父様が、
「今も犯人を捜しています。ご協力お願いします」
ということをお話ししに来られました。

集いでは、スピーカーの方の話の後で、
参加者全員が一言ずつ感想を前に出て発表します。
みなそれぞれ同情や励ましの感想を述べた最後、
主催者である広島キリスト教会の植竹利侑牧師がこんな話をされました。

「愛というのは『許す』ということです。
 けれども、娘さんを殺した犯人に対して私たちが『許し』を与えることはできません。
 その犯人に許しを与えられるのは、被害者のご家族であるお父様だけです」

植竹先生は牧師であり、長年教誨師(きょうかいし)として刑務所に赴き、
死刑囚を含む数多くの犯罪者の心に救いを与えてこられた方だからこそ
言える言葉です。


鈴木秀子先生が、
「生きる意味とは、他人にどれだけ愛を与えられるか、許すことができるかです」
と述べられているぐらい、
許すことは大切であり、意義深く、また難しいものです。

国家間の平和の原点が「許す」ことにあるならば、
個人の心の平安の原点も、また「許す」ことにあるのだと思います。


けれどもそれでもなお、私の考えが死刑擁護に傾いているのは、
以下のような理由があります。

まずひとつ目は、
死刑が殺人事件に対する犯罪抑止になるのではないかということです。
これには「死刑を含む重罪は犯罪の抑止力に繋がらない」という
否定的意見もあります。

けれどももし死刑制度が殺人犯罪発生の抑止力になるならば、
少数の命を死に至らしめることにより、より多くの命を救うことが可能です。

二つ目は、再犯の危険性です。
日本では死刑に次ぐ重い刑は無期懲役です。
無期懲役は無期という名前が付いてはいるものの、
終身刑とは異なり、一定期間(十年)以上服役すれば、
仮釈放という形で社会復帰することが可能です。

その社会復帰後に再び犯罪を犯した場合、
誰がどのような形でその責任を取るのでしょうか。

88年、埼玉県綾瀬市で「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という、
犯罪史上例を見ないほどのおぞましい凶悪事件が世間を震撼させました。
その事件の準主犯格であった元少年は逮捕後少年院に送致され、
その後出所し、再び監禁、傷害事件を起して検挙されています。

その元少年は再び刑に服することになりましたが、
数年後再び社会に出てきた時、きちんと矯正されているとはまず考えられません。
再犯性のきわめて高い(元)犯罪者を社会に再び戻すのは、
とても危険なことです。
  <「コンクリート詰め殺人 再犯」の検索結果 - Yahoo!検索>
  この検索順位上位のサイトに、元少年の実名、顔写真が公開されています。

懲役刑の目的は、犯罪者の隔離、犯罪抑止、矯正の三つにありますが、
現在刑務所内で理想的な矯正プログラムが実施されているとは、
残念ながら思えません。

今は「心の時代」です。
心を安定させ、いい方向へと導く数多くの素晴らしいヒーリング、
心理療法が生まれています。
それらが一日も早く犯罪抑止、矯正の手段として活用されることが望まれます。


「人を死に至らしめた者は、同じく我が身の死を以て罪に報いるのが相当である」
という応報的理由、先の被害者心情、
また無期刑(将来的には終身刑?)を増やすことによる社会的コストの増大、
死刑制度擁護の理由は他にも様々ありますが、
命の尊さ、許しという「真理」からすると、
理想論ではありますが、それらは却下されるべきものでしょう。

犯罪抑止力、再犯の危険性というふたつも、
それが本当に「最も尊い命」を刑でもって奪う理由になりえるのか、
考えすぎるほど深く考えてみる必要があります。

けれども人の命というものは、数の論理や効率で語れるものではないので、
考えただけでは結論は出ないでしょう。

2010.8.28 Saturday  
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