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信仰

信仰とは信じて仰ぐこと、
何か大きな存在を信じ、
畏敬の念とともに自らの価値や判断を委ねるといった意味でしょうか。

私はこれまで数々の宗教体験を重ねてきましたが、
現在信仰を持っているものは何もありません。

誤解を恐れず言うならば、
私は思想や宗教にはまったく興味がありません。
私が興味を持ち知りたいと強く願っているのは、
その思想や宗教をも生み出す元となったこの時空の真理、ただそれだけです。

今現在時代の大きな転換期の入り口に入り、
これから迎えるまったく新しい時代の価値観を私たちが受け入れ、
その中にスムーズに入っていくための知恵として、
これまで思想や宗教でしか語ることのできなかった精神、生命の真理を
論理や法則といった形で与えてもらうことができるようになりました。

それにはこれまでの思想、宗教のように
何かを “信じ込む” といったことは必要ではありません。
ただ知って、それを感じるだけでいいのです。

またより根源的であるがゆえ、
それは誰にでも理解することのできる易しいものであり、
またどこまでも限りなく深いものです。

私は魂の縁あってその知恵を与えてもらうことができ、
今はそれを深め、より多くの人に知ってもらうための努力をしています。
それは私の天から与えられた天命であり、
自らの魂が望み、得たものです。


信仰とはひとつのものを信じ、まっしぐらに進んでいく堅いものです。
堅いがゆえに力がありますが、
堅いゆえにもろく、柔軟性に欠けるという欠点があります。

これまでの金属の時代、
大きな時代の波が一定の方向に向かって流れている時代は、
その堅い信仰は大きな力を持ちましたが、
これからの水の時代、価値観が大きく変っていく時代には、
堅く、周りの環境との融和性に欠ける信仰というものは、
その力の大きさよりもデメリットの方がより大きく表出してきます。

もっと端的に言うならば、
これから宗教、信仰の時代は終焉を迎えるというのが正しいでしょう。

これからは自らの外に価値観や判断を委ね、
他のものに絶対性を求めるのではなく、
自らの内なる小宇宙に仏性であり神性があることを知り、感じる時代です。

その上で自らの小宇宙と鏡の存在である外なる大宇宙に
畏敬の念を持つようになってくるのです。


これは人によっては、
私が独自に持っている思想であり信仰だと捉えられるかもしれませんが、
この考えの元になったのは何かの宗教や天啓といった未知の超常現象ではなく、
この宇宙や原子の構造、地球環境、四季の移り変わり、歴史の流れといった
誰にでも100%共通して認識できる事実からのみ推察し、導いたものであり、
物理や化学の法則と同レベルの法則であり論理であると考えています。

ただ科学ではないので、
どこかの閉鎖空間で実験し、短時間のうちに結論を導くということができず、
そのためまだほとんどの人たちに真理として受けとられていないだけです。

また時代の流れからいっても、まだまだ今は転換期の前半期ですので、
多くの人が新たな真理に気づくのはまだ先のこととなるはずです。

けれども時代の流れは、地球の自転と公転によって一日24時間、
一年365日の正確なリズムを刻んでいるのと同様に、
きわめて厳密なリズムによって推移しており、
その流れの向きは何人によっても変えることは不可能です。


信仰を持たない私ですが、
まだ100%の確証は得られていなくても、
これまで導いてきた真理から、
ほぼ間違いのないであろうと信じていることがあります。

「究極の愛」というページでこのようなことを書きました。

このシンプルな基本法則を感じ取るのに、まったく条件はいりません。
時代、国籍、知識、年齢、そういったものは一切関係がありません。
この時空の仕組みは、フィリピンのゴミ山で暮らす子どもたちにも、厳寒の北極圏で暮らすイヌイットの人たちにでも、誰にでも、誰から教えられることなく感じ取ることのできるものです。

シンプルで誰にでも理解できる時空の本質、これこそが究極の愛ではないでしょうか。
すべてのものを許し、受け入れる。
時空の構造は、愛の本質そのものです。


この思いの延長として、
今はまだ転換期の前半期であったとしても、
無償、究極の愛というものがすぐにでも身近に
具現化できるのではないかということです。

これから訪れるであろう水の時代は、
より深い真理が身近に簡単に、しかも安価または無料で手に入る
素晴らしい時代となってきます。

今はまだそこまでは至っていませんが、
これまで経済論理によって隠蔽されていた技術や、
素晴らしい水の時代の幕開けを告げるような手法が
次々と表に現われるようになってきました。

体との対話ホ・オポノポノ引き受け気功
簡単なやり方さえ理解すれば、
誰にでも容易に幸せに至る方法を実践することができます。

にもかかわらず、スピリチュアルな世界には、
いまだたくさんの高額セミナーがあることに驚きます。
これは主催者だけではなく、
それに頼ろうとする人たちにも問題があるのだと感じます。

今この瞬間にでも、
多くの人に自分の内なる神性の素晴らしさに気付き、
高額セミナーに参加しなくても、
自分自身の素晴らしさを知り、感じていただきたいのです。

まだ時代の流れから見ると、私のこの思いは時期尚早でしょう、
これは論理ではなく感情です。
信仰というよりも願いといったものに近いかもしれません。
今書いていてそう感じました。


このことを分かっていただくため、
あえて具体的なことを書きます。
これはこれからの時代に向けての大きな課題を含んでいると感じるからです。

ホ・オポノポノが今大きなブームになっています。
ネットにはホ・オポノポノに関するたくさんの情報があふれ、
書店には何種類もの関連書籍が平積みになっています。

ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています、
このたった四つの簡単な言葉を唱えるだけで気持ちが変り、運命も変る、
とてもとても素晴らしい水の時代の知恵だと思います。

そしてこれには大きな効果があるようで、
それは十分納得でき、
また仮に効果がなかったとしても、
その考え方と方法にとても深い価値を感じたので、
私もこのホームページでご紹介することにしました。

今は少し少なくなりましたが、かなり長い期間、
私のホームページを新規に訪問してくださる方は、
ホ・オポノポノをキーワード検索して来てくださる方がトップでした。、

その最初にアップした紹介ページにも書きましたが、
ホ・オポノポノの普及者、普及団体は、あまりにも金儲けに走りすぎで、
それが目に余るように感じられます。

ホ・オポノポノを熱心にされている方からいただいたメールによると、
それに嫌気がさし、購入したグッズをすべて処分し、
ホ・オポノポノの世界から身を引いた方もおられるそうです。
またある著名な霊能力のある方は、
金にとりつかれたホ・オポノポノの世界は、
魔界のようなところに入ってしまったと語っているそうです。

様々なグッズを高額で販売し、
セミナーは二日間で七万数千円、ホテルの千数百人入る会場で講義をし、
売り上げは約一億、
そしてご丁寧にもセミナーの内容は知的財産なので口外禁止だそうです。
つまり内容を知りたければ金を出せということです。

ホ・オポノポノの基本的な考え方は素晴らしい水の時代の知恵だと思いますが、
現在の組織運営のあり方は、
広くあまねくしなやかに、すべてを溶かし込み、
そして素晴らしい価値ある知恵ほど深く易しいという水の時代の知恵、真理から
はるか彼方に遠ざかってしまっています。


水の時代の知恵を利用してお金儲けをしてはいけないのではありません。
ホ・オポノポノと出合って、
自分の会社の経営が上手くいくようになったという例もあるようですが、
知恵を活用して豊かになるのはとてもいいことだと思います。

ただホ・オポノポノという「水の知恵」自体そのものを商材として利用し、
(私の見たところ)常軌を逸した金儲けをするのは、
水の時代の真理に真っ向から反する行為です。

これは善悪の問題ではありませんので、
それを悪いとは言いませんが、
きわめて大切な「理」に反する行為をしたならば、
それをした人間たちに必ずその反動が返ってくるのは必然の理です。
その意味で、私は彼らの今後をとても興味を持って見ています。


ホ・オポノポノで示されたとても簡単な四つの言葉、
ただこれを唱えるだけで幸せになれる、
また最低限幸せな気持ちにだけはなることができる、
これは本当に素晴らしいことだと思います。

ホ・オポノポノは、これからの水の時代の真理を感じるための
とても価値ある天からの贈り物です。

それを金の論理で、より深い真理を知るためには
高額なセミナーを受講する必要があるという形におとしめたは、
きわめて深い罪です。

この罪とは犯罪ではありません。
法律としての犯罪ではなく倫理観としての罪です。
英語で言うところの crime ではなく sin です。


もうこれ以上書くのは心が痛むので止めておきます。
私は匿名で誹謗中傷しているのではありません。
名前も顔写真も公開した上で、
よりよいものを求めたいという一心で文章を綴っています。
もしこれに関して何かご意見があれば、是非お聞きしたいと思います。

これはあくまでも私の意見です。
信仰というものから脱却するこれからの時代は、
価値や考え方は、すべて自分の内なる世界が源となります。

五感で感じたことを元に自らの知恵を創り上げていく、
そうなっていくことがこれからの道でしょう。

幸せの青い鳥、
チルチルミチルが探しているものは最も身近なところにあるのです。



2010.7.18 Sunday  
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