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いのちをいただく

昨日アップした「感動するコピペ」に対して、
何人の方から感想のメールをいただきました。
  感動するコピペ 073

私もあの文章を初めて読んだ時には胸が熱くなりました。


私たちは他の生き物の命をもらわなければ、
生きていくことはできません。
他の生き物も同じです。
この地球上に住む私たち含めたすべての生き物は、
他の生き物から命をいただき、そして与えるという食物連鎖の中に生きています。

この食物連鎖は命の交換とでも呼べばいいのでしょうか、
命を与え、いただくという、ある種当たり前の互恵関係を、
私たち日本人はその生活の中からほとんど感じ取ることができなくなっています。

快適、清潔、除菌、抗菌、・・・
生活の中で浄なるものと不浄なるものを分離し、
不浄なるものを普段の生活から
完全に目の届かないところに隔離してしまっているのですから、
命というものに対する感覚が希薄になってしまうのは当然でしょう。

ネットでこんな文章を見つけました。

広島の高校生がマレーシアの田舎の民族の村に同居して、生活体験をする修学旅行について放送していました。
この中で、注目していたのは、「飼っているブタを殺してつぶして食べる」というところです。
村人からすると、当然の行為なんですが、普段、スーパーでパックに入っている豚肉しか見たことのない日本の高校生にとってはショッキングなことでした。
特に、この村の習慣では、「ごちそうとなるブタを殺す時は、お客が最初に刀を突き刺す」ことになっているため、この高校生が子豚(といっても、布でくるんであるが)を刺し殺す役目を負わされました。
一刺しではなかなか死なずに、「ギャーギャー」と泣き叫ぶ豚の悲鳴が村中に響き渡り、やがて静かになります。


生きていくためには当たり前の行為でも、
私たち日本人にとっては相当ショッキングなことです。


命に対する感覚が鈍くなってきている私たちですが、
それでも食べ物に感謝するというのは、
ごく当たり前の日本人の美徳だと思います。

私も食べ物に感謝の心をこめて、いくつかのことを実践しています。

1.まずはなるべく肉を食べないということ。
  そのことは「地球を貪り食う」にも書きましたが、
  食糧自給率の低い日本で、
  限りある食糧資源を大切にするために、
  エネルギー効率の低い肉は極力食べないようにしています。
  また、やはり動物の殺生は心が痛みますから。

2.「いただきます」、「ごちそうさま」は必ず言います。
  これもほとんどの人が実践していることでしょう。
  外で一人で食事をする時も、必ず両手を合わせ、
  「いただきます」と声に出し、お店から出る時も
  「ごちそうさま」の言葉を欠かすことはありません。

3.出されたものはすべていただきます。
  残さず食べるは私のモットーです。
  魚も骨だけ残してきれいに食べるのが自慢です。
  サンマなどは骨も頭もいただきます。

4.スーパーの食料品は、賞味期限の古い手前のものから買います。

この4について、普段感じていることを書かせてもらいます。
スーパーに限らず、商品の「先入れ先出し」は、販売する方にとっては鉄則です。
特に賞味期限のある食料品は、
商品を無駄にしないためにも必ず守らなければなりません。

お店でもそのために、わざわざ店員さんが棚の商品をいったん手前に引き寄せ、
奥に新しい商品を並べるという手間のかかる作業をしています。

それを知っている一部の消費者は、
わざと棚の奥にある賞味期限の長い商品を手に取り、
自分のカゴに入れています。

この「自分さえよければいい」、
「自分の家族さえ少しでも新しいものが口にできればいい」
という浅ましい行為は、人間としてきわめて恥ずべきことです。

けれども実際それをしている人は、
周りに人がいようと、横に店員さんがいようと、
まったくわれ関せずといった感じですので、
それが恥ずべきことだという自覚がまったくないのでしょう。

日本のスーパーに並ぶ食料品は、
いい意味でも悪い意味でも、すぐに腐るようなものではありません。
少し新しいものを買ったからといって、
古いものとの味の差を舌で感知することはまず不可能です。

それでも「自分さえよければいい」という考えで行った行為の
その「思い」は確実に残り、積み重なっていきます。

究極的には、この世の中に善悪というものは存在しません。
ただあるのは、自らが行ったことが自らに返ってくるという因果の法則のみです。

ほとんど差のない新しい商品を手に入れるために、
毎回「自分さえよければいい」という思いを積み重ねることが、
巡り巡っていつどのような形でその人に返ってくるのか、・・・
そのことを考えたら、とても恐ろしくてできないことです。


食べ物に感謝していただくのは、
きわめて当たり前の行為だと思っていたのですが、
今の日本では、その常識が常識ではなくなっているようです。

5年前の永六輔さんのラジオ放送で、
このような話がありました。

ある小学生のお母さんが学校の先生にこう言いました。
「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。
 給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」


そして話題は広がり、別の投稿では、

食事のあとに「ごちそうさま」と言ったら、隣のテーブルのおばさんが、
「レストランで食事のあとに『ごちそうさま』というのはおかしい。
 お金を払って食べているのだから、感謝すべきなのはレストランの人たちだ」
と、注意したそうです。


そして、さらに永六輔さんの話が続きます。

中華街のとあるレストランでは、
「いただきます」と言って食事をしたお客様には、
デザートをサービスしているそうです。
けれども、このサービスのデザートは、あまり数はでないとのことです。・・・


私は当時このことを耳にしてとても衝撃を受けました。
これは一言ではコメントできないぐらい大切な問題ですが、
命というものの本質を隔離した生活をしている私たちの中から、
こういった思考をする人たちが生まれてくるのは、
きわめて当然の結果でしょう。


これまで何度も言葉を変えて、
今という時代の大転換期は、
自らの原点を振り返ることが必要であると述べてきました。

現在ホームページを通して知り合った何人かの人とメール交換をしていますが、
その多くの人が「自分を愛する」ということができずに悩んでおられます。
私も昔はそのことでとても苦しみました。

自分を愛すること、命の本質を知ること、
どちらもきわめて大切な原点です。

この原点を見ることなくして、
多少平均株価が上がったり、景気がよくなったからといって、
生きる情熱をなくしてしまった今の日本人が幸せになれるでしょうか。
それは絶対に無理だと断言できます。


原点と呼ぶべきものはいくつかありますが、
それはすべてお互い関連し合っています。

命の本質、尊さを知らない人に、自分を愛することはできません。
もしできたように思えたとしても、それは利己的な感情に過ぎません。

最も大切な自分というものを愛せなければ、
命の尊さを理解することはできないでしょう。


「いただきます」、「ごちそうさま」 ・・・ その命に感謝する一言が、
自分の原点を振り返る第一歩です。

  「いのちをいただく」 ・・・ 印刷用PDF版

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