親愛なる母上様
本来言葉で表現し得ない思いを文字に置き換えるというのは、
とてもしんどくて、そしてほんの少しつらい作業であります。

昨夜奥野勝利(おくの まさとし)さんのピアノと歌声から伝わってきたメッセージは、
まる一日たった今も熱く胸に残り、
幸福感という光となって私の全身を包み込んでくれています。


今年の8月6日の原爆記念日、平和公園で行われた式典に参加した私は、
自転車でたまたま広島NHKの前を通りがかりました。
建物の前にはその日の午後ロビーで行われる
平和を祈念するコンサートの案内看板が出ていて、
私の好きなオカリナとアコーディオンを弾かれる野口美紀さんの写真があり、
そこには演奏が午後2時からと書かれていました。

そしてその前の午後1時からは、こちらも懇意にしているシンガーソングライターの
風呂哲州さんがステージに立たれるとあります。
そういえば数日前に風呂さんからコンサートの案内メールが来ていたのを思い出しました。

これは是非聴きに行かなければなりません。
連日ハードスケジュールで体がクタクタだったのですが、
家で少し休憩をした後、NHKに出かけていきました。

風呂哲州さんも野口美紀さんも、さすがに広島を代表するミュージシャン ♪、
楽しく躍動感あるステージで、十分に音楽の素晴らしさを堪能することができました。

疲れが吹き飛び、ハッピーな気分になった私は、
つづいて午後3時からのステージも見ていくことにしました。
3時からのステージは、広島で有名なパンフルート奏者の岩田英憲さん
はじめて名前をお聞きする奥野勝利さん、お二人のジョイントステージです。


ステージがはじまる前、ステージの真ん中に置かれた電子ピアノを軽く奏で
マイクテストをする奥野さん、
そのひとつひとつの動作がとても爽やかで、おしゃれで ・・・ 、
その時点で私は一発で奥野さんのファンになってしまいました。
  「ゆーとぴあすとりーと」

奥野さんは1974年生まれの34歳、幼い頃に両親とともにシンガポールに渡り、
その後アメリカの音楽大学大学院で学んで、
5年前、 “日本人としての血が騒いで” 一人日本に戻ってこられました。

おばあちゃんから人情の深い国だと聞かされていた日本、
都会に住みその現実を見てショックを受け、
また田舎に行って人情の機微に触れ ・・・ 、
そんな日本に対する思いを軽やかなピアノの演奏とともに語ってくれます。

長く外国におられたがゆえに日本の姿がよく見えるのでしょう。
故郷(ふるさと)や赤とんぼなど童謡をバックに語られる日本の情景は、
私たちに忘れていた大切な何かを思い起こさせてくれるようです。

純粋で素朴な奥野さんの人柄、語り、ピアノ、歌、
数々のオリジナルの曲を通して伝わってくるメッセージはどれも自然でひとつに溶け込み、
聴いている人たちの胸に深く染み渡ってきます。


そんな奥野さんの最も大切にしているオリジナル曲のひとつが、
加藤貴光さんという青年がお母様に贈った手紙を元にして作られた
「親愛なる母上様」です。

1995年、当時神戸大学の学生だった加藤貴光さんは、
西宮市のマンションで阪神大震災に遭い、21歳の短い生涯を閉じました。
その貴光さんが亡くなられる直前、最愛のお母様に深い感謝の言葉を綴り
贈った手紙が「親愛なる母上様」です。

加藤貴光さんの贈った「親愛なる母上様」と新聞記事の内容です。
  「明日は明日の風が吹く」

奥野さんはこの手紙をたまたまインターネットで見つけ、
その内容に感銘を受け、知らず知らずのうちに曲をつけ、
それをインターネットで発表されました。

しばらくしてそのことを貴光さんのお母様が知ることとなり、
その後交流がはじまり、
まだ出会いから一年とちょっとしか経っていないにも関わらず、
奥野さんは貴光さんのお母様のことを “広島のおかあちゃん” と呼ぶぐらい
深い心のつながりを持たれるようになりました。
  (加藤貴光さんは広島のご出身です)

貴光さんは奥野さんと同い年、誕生日も二ヶ月ほどしか違わないそうです。
加藤さん親子と奥野さんは、きっと深い魂のむすぴつきがあるのでしょう。

この日のステージには加藤さんのお母様も立たれ、
貴光さんのエピソードを語ってくださいました。
子を思う母親の愛情ほど深く強いものはありません。

こんな愛情あふれる手紙を書かれる一人息子の貴光さんを亡くしたお母様の
悲しみ、苦しみは、どんなに深いものだったのでしょうか。

奥野勝利さんの歌われる「親愛なる母上様」はこのプレーヤーから聴いてください。
  download


奥野さんのコンサートに強い衝撃を受けた私は、
その日のうちに奥野さんのブログを見つけ感謝の言葉を書き込みました。

それからも奥野さんのブログをRSSリーダーに登録し、
ずっと読み続けてきたのですが、
どうしても “奥野さんの歌声を聴き、再びあの感動を味わいたい” 、
“私の周りの人たちにも奥野さんを紹介したい” という気持ちを押さえることができず、
奥野さんに広島で是非またコンサートをしていただきたいとのメッセージを送りました。

奥野さんからは幸い快い返事をいただき、
広島でのコンサートが実現の運びとなりました。


それと前後して奥野さんの歌う「親愛なる母上様」が、
日本テレビの「誰も知らない泣ける歌」で紹介され、
その存在が少しずつ多くの人に知られることとなります。

本当に価値あるメッセージが多くの人に伝わるのは素晴らしいことです。
奥野さんが今よりももっともっとポピュラーな存在になるのは、きっと時間の問題でしょう。


11月7日土曜日、私の家の近くの集会所で奥野さんのコンサートを開きました。
広島に向かわれる直前、数年ぶりに持病のぜんそくの発作に見舞われ、
一時病院通いをするぐらい体調を崩し、
いったんは予定していたコンサートを急遽キャンセルしたのですが、
その後体調を取り戻され、開催日の二日前に再び開催ということが決まりました。

そんなドタバタと私の力不足で、立派な集会所の会場には、
観客は私を含めて十名の人しか集まりませんでした。

けれどもコンサートは人数ではないですね。
あの熱く濃密なコンサートの雰囲気は、冒頭にも書いたように、
とても言葉では表現することができません。

奥野勝利さん

これまで数え切れないぐらいのコンサートを聴いてきて、
何度も何度も『音楽の持つ力の偉大さ』を感じてきましたが、
昨夜はその思いをより一層深くすることができました。

奥野さんのピアノは、その技量を自然と身に付け、
その音楽と生き様が直結した人のみが持つ力強さにあふれています。
これはもう技術的なレベルを超えたものです。

私はジャズピアニストの巨匠キース・ジャレットを好きでよく聴くのですが、
奥野さんのピアノを目を閉じて聴き、
「今弾いているのはキース・ジャレットだよ」
と言われれば素直に納得してしまうでしょう。
ベタな表現で申し訳ありませんが、素直にそう感じました。

ノドもぜんそくの発作から全快しておらず、
まだ本調子ではないとのことでしたが、
そんなことは聴いていてみじんも感じさせません。

けれども奥野さんの本当の素晴らしさは、
ピアノがどう、歌がどう、曲がどう、といったひとつひとつの評価の問題ではなく、
ピアノを弾きながらの語り、何気ない仕草、表情、・・・
それらすべてを含めて全身で音楽と奥野さんの生き様が表現され、
それが聴き手にこの上ない熱いメッセージとして届いてくるというところにあります。


コンサートの打ち合わせをする中で、
失礼ながら、「奥野さんはスタンダードは演奏されないのですか?」とお聞きしました。
今回のコンサートは家の近所の主婦の方たちにも声をかけたので、
あまり普段音楽を聴かない方たちにとって、
はじめて聴くオリジナル曲ばかり1時間半というのはちょっとしんどいかなと思ったのです。

けれどもその心配はまったく無用のものでした。
ポロン♪ ポロン♪ と優しいピアノでメロディーを奏でながら語られる奥野さんの思い、
そしてその思いが詰まったオリジナル曲、
この一連の流れは他人の作った曲では表現できないものです。

ピアノと同様、歌声にも詩にもとても強い力がこもっています。
聴き手はただそれにぐいぐいと引き込まれていくだけです。
それは私だけではなく、昨夜聴いていた誰しもが同じ思いだったでしょう。
一番後ろの席に座り、みんなの背中を見てそう感じました。


今日のコンサートにも加藤さんのお母様が足を運んでくださり、
「親愛なる母上様」を演奏する前に愛する息子貴光さんのこと、
そして奥野さんとの出会いについて語ってくださいました。

奥野勝利さんと加藤りつこさん

人の命はふたつあるそうです。
ひとつの命は肉体が滅び、死ぬということ、
そしてもうひとつは人の記憶の中から消え去るということです。

貴光さんの肉体の命は21年という短い生涯で終わりましたが、
その愛情をこめて残してくれた素晴らしいメッセージは、
人々の記憶の中に永遠の輝きとなって残り続けることでしょう。

またそうなるように、お母様は人前でマイクを握り、
辛く悲しい過去の記憶を私たちに語ってくださっているのです。
亡き息子への深い深い愛情に、強く心を打たれました。


奥野さんは「親愛なる母上様」を演奏する時、
必ず加古川(兵庫県)の障害者の作業所の方が作られた
さおり織りの衣装を身につけられるそうです。
きっと何か思い出がおありなのでしょう。

さおり織りを着て「親愛なる母上様」を歌う奥野勝利さん

直接ステージで歌われる「親愛なる母上様」は、
CDで聴くよりも、テレビで観るよりも、何十倍もの迫力と感動で胸に突き刺さってきます。
これまで幾度となくこの曲を耳にしてきましたが、
昨夜は知らないうちに涙があふれてきました。

昨夜はコンサートを聴いたというよりも、
日常生活とはまったく異なる、異次元の空間を漂っていたかのような感覚でした。

コンサートがはじまった当初、
せっかく奥野さんに来ていただいたのに人数が集まらなかったことに対する
後悔の念が胸に重くのしかかっていましたが、
時間が経つにつれ、この素晴らしい時を持てたという喜びがあふれてきました。

そしてこの感動を昨夜コンサートに参加した全員が共有できたということを
確信できた時、
私の周りで、今夜芽生えた小さな種が
これから大きく成長して行くであろう姿がハッキリと脳裏に浮かび、
大きな肩の荷が下りたような深い安堵感を覚えました。


昨夜のコンサートが素晴らしかったのは、
少ない人数ではありますが、
聴く耳と心のある素晴らしい方たちが集まってくださったからなのだと思います。

加藤さんのお母様からも
「こんな素晴らしいコンサートははじめてでした」
と言っていただき、本当に嬉しく思いました。

コンサートが終わってからも、
奥野さんや加藤さんのお母様を囲んで話が尽きることがありません。
奥野さんが持ってこられたCDもほとんどの方が買われていました。

今度は私たちの企画する会で・・・、喫茶店でコンサートを・・・、
参加したみんなの心は、早くも次回のコンサートに飛んで行っているようです。

そして早速、参加者のお一人である恐竜作家の亀井由美子さんからの申し出で、
明日10日の日曜日、オオサンショウウオの故郷である豊平でのお祭りで
奥野さんに演奏していただくことが決まりました。


ピアノと歌、語りだけでこれほど深く人の心を動かすことのできる音楽とは、
一体なんなんでしょうか?

私の拙文では奥野勝利さんの音楽の魅力、
昨夜のコンサートでの素晴らしい感動の万分の一ほどしか伝わらないかもしれません。
けれどもこれは実際に体験してみなければ分からない世界ですから
どうしようもないですね。


音楽に限らず、芸術とは、
高い技量とその人自身の生き様が融合したところに深い感動が生まれるのだと思います。
これは芸術に限らず、人生すべてに通じることかもしれません。

昨夜は奥野さんの高い音楽性と人柄に触れ、
奥野さんが貴光さんの遺した「親愛なる母上様」と出合い、
それを心打つ素晴らしい曲に昇華させることができたのは、
必然以外の何物でもないように感じました。

奥野さんが歌う「親愛なる母上様」は、他のオリジナル曲とまったく違和感がなく、
まるで奥野さん自身が作詞したのではないかと錯覚してしまうほどです。

聡明で母親思いだった貴光さんと、素朴で自然体で生きる奥野さんは、
きっと根底で通じるものが大きいのだと思います。


加藤貴光さんが命をかけて遺してくれたメッセージは、
これからも奥野勝利さんの歌声にのって、多くの人の心へと届いていくことでしょう。
永遠に光り輝く命とともに。

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