大地の歌
今日は知り合いに声をかけていただいて、
「モンゴル国立民族音楽団」のコンサートに
スタッフの一員として参加させていただきました。

広島平和公園の一角にある国際会議場、ここのフェニックスホールが会場です。

モンゴルの民族音楽は、テレビ等で何度か耳にしたことはあったのですが、
生で聴かせてもらうのは今日が初めてです。
会場への誘導が私の係りです。
会場の時間が近づいてくると、たくさんの人たちが列を作るようになりました。

その間会場ではリハーサル、音合わせが行われています。
持ち場をちょっとだけ離れて中の様子をのぞいてみました。



音を聴いて驚きました。
ひとつひとつの音が「生きて」います。
どの楽器の音も、声も、耳に入った瞬間、身体の奥に響いてきます。

演奏が上手なのはもちろんですが、メロディー、リズム、ハーモニー、
そういった音楽の要素以前の何かが音に乗り、胸を震わせるのです。

感動が瞬間に伝わってきます。

なぜなんだろう・・・。
理解しがたい感覚に戸惑いました。

クラッシック音楽の世界でも、近年日本で脚光を浴びたフジコ・ヘミングのピアノは、
一小節聴いただけで、
彼女の苦しかった半生、その中で見出した心の中の小さな灯り
のようなものを感じ取ることができます。

晩年は「傷の入った骨董品」と揶揄もされましたが、
天才的ピアニスト、ウラジミール・ホロビッツの音楽は、
最初のたった一音で彼独自の「いぶし金」(銀ではありません)
の世界へと聴く人を引き込んでいきます。

音の持つ力は計り知れないものがあります。

コンサートが始まり、会場の一番後ろ、通路の手すりにもたれながら
彼ら(彼女ら)の音楽を聴くことができました。



身体で感じた感動を言葉で表現するのは難しいものです。
彼らの音楽、音を聴くと、自然と胸が震え、涙があふれてきます。

音楽というより音、音というよりも、その音から伝わってくる
彼らの生き様、民族性のようなものに心打たれるのだと思います。

ホーミー、高低二つの音階を同時に発生し、
全身を使って声(音)を出します。

リンベ、小さな横笛をまったく息継ぎなく、
鼻から息を吸うと同時に口から出すという特殊な呼吸法で延々と吹き続けます。

胡弓のようなホーチル、馬頭琴、琴のようなヤタック、
どの楽器の音、歌声を聴いても、彼らが大地とともに生き、
全身を使って「大地との絆」を表現しているということが伝わってきます。

自然から離れ、高度にシステマチックになった現代日本に暮らす我々からは
程遠い世界です。

彼らの「力強く、生きた音」、
こんな音を出せる日本人演奏家ははたして何人いるでしょうか。

後半のプログラムでは、日本の童謡も歌ってくれました。

「里の秋」、「ふるさと」、これを聴いて、またまた涙があふれてきました。

遠い昔の日本、今よりもっともっと貧しく、
そしてもっともっと豊かだったころの日本の情景が目に浮かんできます。

彼らモンゴルの人たちは、昔の日本にあって、今の日本人が忘れてしまった
とても大切なものを持っているようです。

そして彼らも私たちも同じモンゴロイド、
同胞として血が何かを感じさせるのかもしれません。

コンサートが終了し、CDの販売、サイン会にはたくさんの方が
来てくださいました。



みなさんとても満足し、喜んでくださっているご様子で、
見ている私も嬉しくなってきます。

公演後回収したアンケートの中に「胎内にかえったような・・・」
という言葉がありました。

自然に帰り、胎内に還る。
人間としての、日本人としての原点をモンゴルの人たちに
気付かせてもらったように思います。

片付けが終わった後の食事会にも参加させていただきました。



間近で見る彼らは意外と若く、
日本人とよく似ていて、それでいて華があり、
まるで今流行の「韓流スター」のようであります。

たしかにパンフレットを見ると20代の方が中心です。
写真の中央で立って歌っている人は最年長のホーチル奏者です。(*^o^*)

長かった日本の旅も今日で最後、明日は母国モンゴルへ帰られるそうです。

素晴らしい感動をありがとうございました。

音楽、音の力を感じた今日一日、
彼らから生きる勇気と元気、そして喜びをいただきました。

2004.10.03 Sunday

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