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2008年8月28日<1>
今を最高に生きる
愛と奇跡の人 小野春子さん講演会
2008年8月28日
雑学アカデミー
於:広島アステールプラザ
講演は祈りからはじまります。
その場に立ち、目を閉じて、時折両手を挙げ、何かを掴むようにされています。
〜 この会場を主のものとしてください。
聖霊を送り、お一人一人の心の目、心の耳を開いてください。
私を立たしめ、力を与え、私の口にあなたのみ言葉をおいてください。 〜
みなさん、こんばんは。
今少し目をつむらせてもらいました。
私は今月の8日に病院に行き、その場で即入院ということで帰らせてもらえなかったんです。
私の診断データがそこに掲示されています。
実際にはいろんなデータが5つほどあるんですが、そのデータでは、普通こうして立っておられないだけではなく、いつ心臓が停止してもおかしくないというデータなんです。
データの読み方がお分かりの方は読んでみてください。最近とったデータです。
だけど私、今祈りました。
いくらでも、こっちからあそこまで駆けります。麻痺してますけど。
ジャンプもできます。
みなさんこれをどう思われますか?
これなんですよ。私が特別なわけではない。
皆さん、潜在的に内面に持っていらっしゃる。
ここなんです。
お手元にある私の病歴一覧表、2006年まで書かれています。
一番はじめの乳がん、これは末期です。
手術しても1ヶ月から2ヶ月の命、どんなにがんばっても3ヶ月と言われました。
私はその先生に今でも頭が上がりません。
いいですか?
末期がんという告知をされ、余命一ヶ月か二ヶ月、がんばっても三ヶ月、これをパチッと言える先生はなかなかいらっしゃいません。
今多いのは、分からない病気だったらなんでも難病扱いにされるんです。
もしこの中にお医者様がいらしたらごめんなさい。
本当にそうなんです。
難病と言っておけば治らなくて当たり前、死んで当たり前、よくなれば自分の力だ。(薬の効果)
そうでしょ?
昔は医は仁術と言われました。
仁というのは愛、情け、慈しみ、こんな意味がみな入ります。
だけど今の医学の先端は算術です。
分かりますか?
ひとつ症状が出れば、先生は3つも4つもお薬を出されます。
お元気な方はお薬を飲むことはないと思いますけど、結構毎日お薬を飲んでいらっしゃる方が多いんですよね。
でもそのお薬はひとつとして、副作用のないものはありません。
昔は今のように薬をたくさん出しませんでした。
栄養的に先生がきちんとケアーしてくださいました。
けれども今は風邪ひとつひいても、抗生物質に胃の薬、それから食欲増進剤に睡眠薬、もう4つは出てきてしまうんですよ。
これでは健康な肉体を害してしまう。
その時は治っても、たびたび繰り返すことによって、かえって体をダメにすることもあるのです。
でもお医者さんというのは人の命を司り、病気を治してくださいます。
ですから患者はお医者さんに対して依存的になり、先生のおっしゃることを何でも聞いてしまいます。
聞くなとは言いません。
でもその前に、なぜ医者に頼らなければいけないのか、それを考えてほしい。
同じ痛いといっても、お医者さん自身が痛いんじゃないですよね。
自分自身でしょ。
たとえば胃が痛いといってもですよ、先生にとってはよくある症状だから、あーだろうこーだろうと医学的な憶測だけ。
でも自分自身が痛い場合は、どの様に痛いかということが分かるわけです。
だから自分自身がなぜ病気になったか、ということをよく考えなければなりません。
たとえば私のように「がん末期ですよ」と告知をされたら、エーッと沈み込んで、本人ばかりか家族や周囲の者も全部落ち込んでしまうのではないでしょうか。
どうしたらいいんだろう・・・右往左往して頼るのはけっきょく先生だけです。
まだ手術ができればいいけれど、がん末期というのは、ほとんど手術されません。
私の場合は手術してくださいましたけれども。
私がはじめて病院に行った時、体調が悪いのは当たり前です。
がん末期ですから。
そしたら即入院です。
エッ、どうして?
「乳がんです。しかも末期です」とおっしゃる。
「先生それは困ります。私なんの支度もしてきていないし・・・」
で、おまけに、その頃ピアノの教室を持っていましたから、生徒さんがいます。
生徒さん達にも、私が休むということを一言も言っていません。
だから「とにかく帰らせてください。三日、四日後には必ず入院の支度をしてきますから」
と言いました。
すると先生曰く、
「その三日間でもし死んでも私は保証しませんよ」
「エーッ、私死ぬんですか?」
とんでもないですね。でも私は考えました。
「じゃあ先生、今手術をしてください」
今ですよ。今度は先生が考えられました。
先生は即入院、私は入院しない。
でも今即手術をしてくださるんだったら受けましょう。
さあ先生が三人、看護婦さん婦長さんを入れて六人で考えて、
「小野さん、しましょう」とおっしゃってくださいました。
嬉しかったですね。
「じゃあ先生、局部麻酔にしてください」
なぜか、局部麻酔にして、手術が終わってから帰るつもりなんです。
先生はやりましょうとおっしゃる。
これで入院、引き留めることができる。それが狙いですよね。
いいですか、先生との取引をそこでするわけ。
「それじゃ婦長、小野さんをすぐに手術室へ」
すぐ連れて行かれ、そして上半身だけ脱ぎまして、消毒されて局部麻酔。
その時三つがんがあったわけです。
二つは表、ひとつは肋骨(ろっこつ)の下。
だからその時に先生はおっしゃいました。
「三つ目の肋骨の下は、肋骨を外さないと手術できません。どうしましょうか?」
だから私は、
「肋骨は取らないで、できるところまで手術してください」
とお願いしました。
私としては、二度目に手術してもらった時に、肋骨の下のがんを取ってもらうつもりだったんです。
先生はビン詰めになった2個のがん細胞を私に見せながらおっしゃいました。
「医学にとって貴重なものですから、病院の標本室に保管させていただきます」
摘出された2個のがん細胞は、それぞれ違った珍しいがん細胞でしたので、その場でホルマリン溶液の小ビンに入れられました。
さあ手術は局部麻酔でしましたよね。手術後30分経ちました。
「先生、起こしてください」と言いました。
エッ、今起こしたら出血してダメだよ。
いや、絶対に起こしてもらわないと困るんです。
「看護婦さん、起こしてくださ〜い」
もうしょうがないですよね。
手術と言えばその日にと言いますし、起こせと言えばききませんから・・・。
だから先生が来て、自ら私を起こしてくださいました。
手術台の上でですよ。
ゆっくりと、横に向きを変えて足をおろします。そして立ち上がりました。
先生はどうするんだろうと思ってこちらを見ていらっしゃる。
立ちました。たしかにクラーッとくるんです。
まだ局部麻酔が効いていて、立てるような状態ではないんです。
その時に私も信仰を持っていましたから、目を閉じて、
「神さまー!!」と心の中で叫びました。
さきほど(講演の最初)目を閉じていたのと同じ、瞬間的にピシーッと体が整うのです。
目を開けたら、あれだけ回っていた周囲がピターッと止まっています。
そろーっと立ちます。そして静かに横を向きます。
そして「すみません。今から帰らせていただきます。大変ありがとうございました」
先生もハッとびっくりされています。
「先生、私今日はどうしても帰らなきゃいけないんです。
でも帰さない、死ぬっておっしゃったから今手術をしていただきました。
再入院する四日目まで、三日間はガーゼの交換で通います。
そして四日目には必ず再入院しますから待っていてください」
先生は返事をされませんでした。
「ありがとうございました」
私はそのまま軽く頭を下げるようにして先生の前を通って帰ります。
手術台からちょっと離れたところに窓がありまして、私の乗ってきた車が置いてある駐車場が見えるんですね。
向原から広島まで車で一時間半かかるんです。
その駐車場の車に行くまでに、廊下を歩いて正面玄関に出ます。
そしたらそこにお医者さんと看護婦さんが並んでらっしゃるんですね。
見ればまっすぐ並ばないで斜めになってるんです。
私が歩くとヨロヨロするらしいんですね。
自分ではしっかりしているつもりでも麻痺がある、私がよろける度にそれを支えるために看護婦さんがターッと駆けって近づいてきてくださり、それで斜めになっているんです。
そして声にはなりませんが「四日目には来ますから」ということを四本の指で示しました。
先生と看護婦さんがていねいにご挨拶してくださいました。
それから私は駐車場に行き車を運転して、そのそばを通って帰ります。
車の窓から見ると、先生と看護婦さん達がみんなこっちを一生懸命のぞいておられる。
信じられなかったらしいんです。
それから一時間半、自分一人で車を運転して帰りました。
これが第一回目です。
※ 再入院されるまでの三日間、小野さんは各教室の生徒さん達にピアノをご指導され、
当時大学院で音楽の勉強をされていた娘さんを呼び寄せ、ガーゼ交換のため
往復三時間の道のりを毎日車で病院に通いながら、夜は引き継ぎのための指導書、
また万が一の時に備えてなすべき事の明細を作成するため、
二時間睡眠でがんばられたそうです。
そして四日目に入りました。
向原から電話をして行きましたら、一時間半後、先生と看護婦さんが玄関で待っていてくださるんです。
「やあ小野さん、待ってましたよ。よく来ましたね!」
なんと入院するような感じじゃなく、歓迎されちゃうんですから。
とても嬉しかったですね。
さあその二回目の手術の日まで、食べる食べる、ほんと、美味しいご馳走がいっぱい並んで出るんです。
末期がん、体がやられていますから体力が落ちてます。
手術前の特別食です。
看護婦さん、ちょっと間食のバナナ、もう一本だけ増やしてくださらない。
すみません、夜休む前にのどが渇くから、ジュースを一本追加してください。
出されるお食事は全部食べます。それ以外はいつもグーグーグーグー寝ているんです。
先生がいついらしても、看護婦さんがいついらしても、いびきをかいていたかどうかは私には分かりませんがね。(寝ていますから)
それでもずーっと寝ている。
さあ明日は手術という晩に、私の枕元にいらした先生が、
「小野さん、ちょっとお尋ねします。
なんと食事はお皿をなめたようにきれいに食べる。
しかも間食にバナナを一本、ジュースを一本増やしてくださいと言われる。
そして医者や看護婦が来ても、グーグーグーグー寝てるんですね。
いやー考えられません」
とおっしゃいましたね。
どう思われますか?
普通末期のがんと言われると、食事はのどを通らない、食欲はない、点滴詰めです。
夜は寝られないから睡眠薬投与、そうでしょ?
私は手術室に行くのに安定剤一本打ちません。
喜んで入りましたから。
これは一体どういうことですとおっしゃる。
みなさんがもしそういう状態になったら、みなさんはどうお考えになりますか?
あなたは末期のがんです。たとえ手術をしてもあと一、二ヶ月。
今のように食事を全部食べて、いつ来てもグーグーグーグー寝て、
「小野さん!小野さん!」て起こさない限り寝ています。
普通末期がんといったら体は衰弱しています。もう立てないぐらい。
強力グロンサンというのをご存じでしょ?
はじめは大きい普通のグロンサンを飲んでいたんですが、そんなものは一本飲んだって効きはしません。
それで小さな強力グロンサンに変えました。一箱に5本入っています。
それを一日で飲むんです。
それで立ってピアノのレッスンをします。そういう状態でした。
で私は言いました。
「先生、末期がんで、しかも成功したとしてもあと一、二ヶ月、がんばって三ヶ月の余命。
こういう患者に先生は手術をしてくださいます。
それは普通の臨床医、外科医の思いではなく、私から言えば『愛の手術』、
この人を生かしてやろうと思われる愛の手術です。
私はそれに応えるべく、食べるものは全部食べ、
睡眠をしっかり取って、心身ともに手術に備えたいのです」
先生が愛の手術を行ってくださるならば、私はその先生の愛に応えるべく万全を期して体を整え、そして手術後先生が喜ばれる生き方がしたいって・・・。
そしたらその先生、婦長と一緒に来ていらっしゃいましたがね、
「小野さん、ありがとう!」って最敬礼してくださいました。
「明日は一番はじめ7時に来ます。
遅くとも7時半には手術室に入りますから、よろしくお願いします」
そうおっしゃいました。
先生が私によろしくお願いしますって、どういうことですか?
そうでしょ?
よろしくお願いしますっていうのは、私が言うべき言葉。
「ありがとうございます。 明日は楽しみにお待ちしています」
これが手術前の最後の言葉です。
二度目の手術では二本肋骨を取らなければなりません。
だけど肺が下にありますから、先生にできれば取らないで削ってください。
削って取り出せるものならそうしてください、とお願いしました。
そしたらその先生はたしかにそうしてくださったんです。
でその手術は、そのN病院ではいまだに『奇跡の手術』と言われています。
なぜ奇跡の手術か、この「病歴一覧表」に書いてくださっています。N病院のところ。
「愛称 ETちゃん」、(笑)
あまりかわいくないETちゃんですね。(笑)
なぜETちゃんと呼ばれるようになったのか、それは奇跡の手術と呼ばれ、手術をして血液が一滴も出なかったんです。
どう思われますか?
エッ、私って動物かしら・・・、動物でも血が出ますよね、昆虫類なら出ないかな?
なぜ出なかったのか?
手術室で奇跡が起こったんです。
私は寝ているから分かりませんでしたが・・・。
朝7時に来られて、私の体をきれいに消毒され、手術室に運ばれますよね。
で、手術室に入ります。
先生が看護婦さんに何ミリと指示をされ、大きな麻酔薬を打たれます。
で数を数えていきます。
ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・と数えていきますでしょ、100になっても150になっても、ピーンと目が開いたままです。(笑)
「これ、麻酔効かないよ〜」って、
じゃあ追加って、でも二本打つと意識が戻らないことがあるんです。
だから大きな麻酔を一本半です。ギリギリです。
そしてまた数えはじめます。
50,60,70,・・・100を超えてもまだ目がパーッとしてます。
だからこれはダメだってことですよ。
手術の準備はできているのに、看護婦さんもお医者さんも手術できない。
この部屋は三次元の世界ですよね。縦横高さ、三つの方向があります。
その瞬間、その三次元の世界がみるみるうちに真っ白くなっていくんです。
周囲のものはすべて消えてゆきます。
真っ白くなって部屋の天井を突き抜けて、はるかに高いところにいる白い衣を着た方がターツと降りてこられます。
そしてその方の身につけておられる白い衣がヒラヒラと動くわけです。
なんだろう?私は夢でも見ているのかと思った。
でも先生の話し声が聞こえるんです。
「おい、準備ができたらガーゼを使え」とか
「次はどうだ・・・」とかみな耳に入ってくるんです。
だけど、周囲の姿は全然見えないわけです。
真っ白ですから、光り輝くように真っ白、そこに白い衣を着た方がパチーッと留まっておられます。
まさに超次元の世界です。
そしてその方が、ご自分がかけておられた真っ白な衣を私のベットめがけて投げられたんです。
それがヒラヒラヒラヒラと私の上に落ちてきます。
その白い衣が私をサーツと包んだ瞬間、私は空中に浮かんだんです。
これは私自身が分かることで、先生方には分かりません。三次元の世界ですから。
超次元の方が言われました。
「あなたの神、主なるわたしは、あなたの右手をとってあなたに言う。
恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」
(イザヤ書 41:13)
こうおっしゃいました。
そのとたんスーッと眠りに入っていったんです。
分かりますか?
それでパッと目が覚めました。
そしたら私のベットです。病院の部屋のベットです。
二度目の手術は4時間から5時間かかりました。
肋骨を削りましたからね。
普通でしたら出血して集中治療室に入るじゃないですか。
それが私の場合、自分のベットに帰ってるわけです。
「あれ、これは自分の部屋かな?」
と思って見回していましたら、先生がダーッと婦長を連れて入ってこられました。
そしていきなり何ておっしゃったか。
「小野さん、あなたは一体何を信仰されていますか?」
エーッ、お医者さんがなんで私の信仰を調べなきゃいけないの、そう思うじゃないですか。
そうでしょ?
そしてその信仰が病気や手術とどんな関係があるの、そんなことこっちの勝手でしょ。
そう言いたいところだけれど、先生が先生だから、とても尊敬できるいい先生だから。
「先生、私はキリスト教を信じています」こう答えました。
そしたら先生、
「アッ、それで分かりました。婦長、例のものを持ってきなさい」
そうおっしゃいました。
例のものって何だろう?
そして詰め所に駆けって持ってこられたのはグリーンの大きな風呂敷みたいなもの。
それは手術着ですよね。先生が前から後ろにかけられる。
そこには1センチぐらいの血痕が三つ散っていました。
「先生、それ何ですか?」
「いや小野さん、これは小野さんを手術してメスを入れた時に散った血液だ」
とおっしゃるから、
エッ、私それしか血液がないんですか、(笑)
ビックリしますよ、本当に。
腋の下から鎖骨の上を通って、お臍(へそ)の上の方まで切り、
そして腋の下あたりにリンパ腺が12個あります。
転移していますから、1個だけ残して全部切除しました。
そして右乳房を、肋骨を削るようにして切り取られます。
術後に、皮膚を肋骨に貼られたのです。
それで出血がないといわれるんですから・・・。
エッ、私一体何者だろう?そうでしょ?
だから血液が出ないから輸血もない、で自分のベットに帰ったんです。
熱も出ません。痛みもありません。
ただ翌日先生が来られておっしゃいましたね、
「小野さん、手術させていただいてありがとうございます」
「いやこちらこそありがとうございます」
なぜ先生にお礼を言っていただかなければいけないの、そうでしょ?
だけど先生はおっしゃいました。
「出血のない異常な現象を目撃しながら手術をしたのはじめてでした。
小野さん、奇跡の手術ですね。
その奇跡の手術をさせていただいて、ありがとうございました。
それから3つめの肋骨の下のがん細胞も、
はじめの細胞と一緒に標本室に保管させていただきました」
とていねいに婦長さんと一緒にご挨拶くださいました。
とても嬉しかったです。この喜び、今でも忘れません。
だから術後もアッという間に治っていきます。
熱が出ないんですから。
食欲もあります。
二日目にはベットで起こしてもらって、三日目にはベットから足を下ろしました。
四日目にはおトイレにも行かせてもらいました。
先生と看護婦さん達がけんけんごうごうです。
「小野さんがこんなことを言ってる」
「いや小野さんがワガママだ」とおっしゃる。
でも最終的には、
「小野さんの申し出ることはすべて聞いてあげなさい。
僕が保証する」
と先生がおっしゃってくださったんです。
さすがは尊敬している先生のお言葉です。
前向きに立ち上がる意志と勇気、努力なくして、生き抜くことはできません。
四日目に、点滴を持って、ここ33針縫った状態でおトイレに行ってます。
そしたらおトイレのそばに立っておられます。
看護婦さんだから別にどういうことはないんですよ。
でも戸が開いたまま、・・・すみません、そこ閉めてください。(笑)
同じ女性同士でもイヤだっていうこと。
「ハイ、じゃあ戸の外で待ってますから」って・・・。
そして座ろうと思ったら足が見えるじゃないですか。
戸の下が10pくらい開いてるんです。
「ちょっとすみません。足が見えます。廊下に出てください」(笑)
これじゃね。したくってもできないでしょ。
それじゃあしょうがないから、いざという時はそこのスイッチを押してください。
ボタンがあります。
そして出られまして、そこでやっとおトイレさせていただいたんです。
すごい喜びでしたよ。
四日目ですよ、四日目。
普通だったら立ち上がれないっておっしゃる。
そして五日目、六日目、・・・十日目から少しずつ抜糸していくんです。十日間かけて。
二十日後に全部終わりました。
手術した明くる日に、先生は「奇跡の手術をさせていただいて、ありがとう」
とおっしゃって、いったん部屋を出ようとしてドアのところまで行かれはしましたが、
そこで振り返り、頭を下げられ、
「小野さん、申し訳ないことをしました。許してください・・・」と言われたんです。
エッ、手術に失敗されたのかしら、と思いますよね。
じゃないんです。実は右手が動きませんよとおっしゃる。
エーッ、なんで? 右側のリンパ腺を全部切除してるでしょ。
神経はそのため切断しています。
「先生、私の手、一緒に切り取ったんですか?」
と思わず言ったんです。
「いえいえ、ありますよ」と言って、私の手をこう持ち上げてくださったんです。
人様の手を見るようでした。
アッ、あるんですね。けど麻痺してます。
私がピアノをやっているので、おっしゃれなかったんだそうです。
かわいそうで言えない。全麻痺になりますからね。
で、「先生それ治るんですか?」って聞きました。
するとここがその先生の素晴らしいところ。
「君次第だ」っておっしゃられました。
そうでしょ? がんばる気が起こるじゃないですか。
そう、私にとってその先生の言葉ひとつひとつが宝です。いつもそう思います。
生かそうと思う、やってやろうと思う。
右手が麻痺していることをかわいそうだと思って言わなかった、
けど治るかって聞いたら「君次第だ」って・・・。
そこに「よし、努力してやろう」という気持ちが起きるじゃないですか。
抜糸をした後、その先生は私を車椅子に乗せて、
「ここがリハビリ室ですよ。だからあなたはこれをして・・・」
と説明をしてくださいました。
電車のつり手みたいなのがあるんですね、それを先生自身がやって見せてくださいました。
「ははー、ありがとうございます」
お礼を言って部屋に帰りましたら、それ以降リハビリ室に行きなさいとは一言もおっしゃいませんでした。
なぜなら抜糸した後は、私は部屋の壁にピターッと張り付いて自分でリハビリをしたからなんです。
病院では朝から晩まで何もすることはありませんよね。
食事をする、睡眠をとる、それ以外の昼間は起きていますから、壁に両手をくっつけて張り付くんです。
左手は動く、けれど右手は動きませんから、左手でもって右手をピターッと持って行くんです。
左手でもって少しずつ・・・。
そうして左手の親指で右手の親指を支えるんです。
そうやって上がっていくんです。分かりますか?
一日に1センチ、左手は上がりますが、右手は上がりません。
1センチ、二日で2センチです。三日で3センチでしょ。
どうですか?アーッという間に上まで上がっていく。
退院する時にはあのドアの鴨居にもぶら下がれるようになりました。
(「アーッ、すごい」の声が)
どうですか?
「あなたはいつも部屋で壁に張り付いて、まるで爬虫類みたい」
だとおっしゃつていた看護婦さんたちは、こんどは鴨居にいつまでもぶら下がっているものだから、
まるでお猿さんだと言われます。
ほんと、そういう毎日だったんですよ。
けれども、そういう意欲を起こさせてくださったのはその先生、そうでしょ?
だから本当にケアーのできるお医者さんは、言葉のひとつひとつを考えておられますよ。
もう頭から「あなたは難病だから治らない」、そうじゃない、
難病だって努力すれば治るってことでしょ。
そういうケアーのできる先生が、今どれだけいらっしゃるか・・・。
私はさきほど言いました。昔のお医者さんの医は仁術だって。
今のお医者さんは算術、・・・ごめんなさいね、お医者さんがいらしたら。
だからそういったことで、患者さんがいかに賢くならなければいけないか、
病人は自分自身なのですから。
Love & miracle Ono Haruko
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