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2019年2月8日 ・・・ 十人十顔

人間の顔というのは実に面白く興味深いもので、
実物であれ写真であれ、その人の顔を見ただけで、
人種、性別、年齢、あるいは時代や性格まで、
ある程度推測できてしまいます。

また推測できるのにはそれなりの理由があり、
だからこそ『顔に責任を持て』といった言葉も生まれ、
人はいい顔になるために努力もするのです。


顔の中で両目の離れている人はおっとりした印象を与え、
逆に両目の位置が近づいている人は攻撃的に印象を与えます。

これには理由があり、
ゆったりと草を食む草食動物は、
常に肉食動物に補食される危険に晒され、
己の身を守るためにいつも周囲の状況を把握しておく必要に駆られ、
全方位を見回すため、必然的に両目の位置が離れてきます。

それに対してどう猛な肉食獣は、
狙った獲物を逃がさないように標的に視野を集中させるため、
こちらは必然的に両目が近いところに位置するようになります。

ですから人間も、
草食的でおっとり型の人間の目は離れ気味で、
肉食的、攻撃的な人間は、両目の位置がくっつくようになるということです。


明石家さんまやおそ松くんのイヤミのように、
出っ歯の人間はおしゃべりで出しゃばりという印象を与えます。
これも自分が前歯を欠損した時に強く感じたのですが、
前歯は食べ物を口に入れた最初の一噛みする時には役立つものの、
その後口の中で何度も噛むためにはさほど必要ではありません。

けれど前歯を欠いた状態で食べ物を噛むと、
何を食べても飲んでも実に味気ないのです。
前歯は歯牙全体の中央にあり、
すべてを統率しコントロールする役目を果たしているものと考えられます。
これは実体験で感じたことです。

ですから前歯が大きく外に出ているというのは、
この統率したい、何事にも口を突っ込みたい、仕切りたいという思い、
その思いの強さが肉体に表れた証だと考えられます。

そして逆に下あごが突き出た人は出っ歯の人とは逆のタイプで、
自分の思いをもあまり表に表さず、頑固な人が多いようです。

同様に下唇が分厚い人も頑固です。
しかめっ面をして下唇を突き出すのは、
何かに不満を抱いているポーズです。

これは下唇は腸と直結し、腸の状態を表しているからで、
ぶ厚い下唇は腸の機能が上手く働かず滞りがあることを示しています。
腸は脳とフラクタル(自己相似形)な関係で、
腸は深い思考を司り、そこがきちんと機能していないため、
他人の考え方が受け入れられないのです。


目の中で、黒目である瞳が上方にあり、
瞳の下に白目の部分が見えていることを三白眼と言い、
昔から凶相であるとされています。

これは身体が陰性(膨張力)過多になっていて、
その陰性の膨張する力で瞳がつり上がり、さらにその力が脳にも及び、
脳が圧迫されて正常に働かず、
正しい判断力を持つことができない、
だから凶相という訳です。

シーザー、リンカーン、ケネディー、ヒトラー、
暗殺されたり不慮の事故に遭った多くの人は三白眼だったと言われています。


これらはあくまで一部ですが、
このように顔の各部位の形状は、
それを持つに至った内面的理由があるのです。

やはり人間の五体のうち顔のある頭部は特別です。
手でいえば親指、五行でいえば全体を覆う土、
五感では触覚、皮膚に相当します。

そして顔には五感のうちの四感の器官が集中し、
最も個性が表れやすいところです。


昨年の8月6日、広島の原爆記念日の朝、
平和公園の国際会議場でエレベーターの到着を待っている時、
開いた扉からのん(能年玲奈)が下りてきたのには驚きました。

やはり芸能人はオーラが違いますね。
その扉から彼女を中央にして二、三人の大人が一緒に出てきましたが、
彼女を見た瞬間、モデルか女優か、
とにかく一般人ではないことがハッキリと分かりました。

そしてそのコンマ何秒か後、彼女がのんであることに気がつきました。
顔、体全体から発するエネルギーがまったく違います。
そしてまるで目玉の親分かと思うぐらい目が大きく感じられました。

たぶん周りから女優としてもてはやされ、
自らも自身の存在感に自信を持ち、
その自信と誇りのようなものが眼力(めじから)となって眼から発せられ、
目が異様に大きいように感じられたのでしょう。

美人女優というのはあそこまで大きな目をしているのかと思い、
家で彼女の画像を検索しましたが、
実際はそこまで大きくはないと知り、
やはり眼力なんだなと感じました。




昨年大阪のJR天王寺駅で電車の到着を待っている時、
乗ろうとした扉から異様に目鼻立ちの整った女性が下りてきて、
その時もやはりすごく驚きました。

パッチリと開いた大きな目、スッキリと整った鼻筋、透明感のある肌、
まるで人形をそのまま人間にしたようで、
完璧ではありますが、あまりにも人工的すぎて、
その美貌が整形によって作られたものであることが見た瞬間に分かりました。

まるでセクシー女優の明日香キララのようです。
もしかしたら本人だったのかもしれません。



以前ゴミ拾いをしながら山登りをしたことがありますが、
登山道にビニール等石油化学製品が落ちているとすぐに分かります。
それはそれが持つ色彩が、自然のものとあまりにもかけ離れているからです。

お弁当などの仕切りに使うバランも同様で、
バランは植物を模した緑色をしていますが、
どんなに本当の植物の葉っぱに似せようとしても、
その微妙な色合いや艶、質感、
それらを人間の目は敏感に感じ取り、すぐに偽物と見破ってしまいます。



緑の植物は人間にとって食糧にもなる大切なパートナーです。
ですからほんのわずかな違いも見分けられる識別能力を、
人間は身に付けているのです。

同様に、人間は人間の顔付きのわずかな差異から、
様々な特質を感じ取る能力を必然的に身に付けてきました。
これは生きるために必要な大切な知恵です。

またその身に付けた学習能力は、
同種の仲間同士の間で最も発揮され、
日本人は同じ日本人の顔付きの差異に最も敏感で、
例えば遠く離れたアフリカ系黒人の顔に、
わずかな違いを認めることは困難です。

また顔という非常に頻繁に目にするものに対しては、
いつもひとつひとつのパーツを忠実に見ているのではなく、
大ざっぱにパターン認識をしてから見ることが
無意識的習慣となっているたため、
よく知っている顔でも、逆さまから見るとそれが誰かを判別するのは
難しくなります。



またこんな顔を目にすると、
どう認識していいのか脳が混乱をきたし、頭がクラクラしてきます。



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2019.2.8 Frisday  
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