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2018年9月21日 ・・・ 感覚と利便性

インドに一度行くと、すごく好きになる人とそうでない人、
ハッキリとふたつに別れるということがよく言われます。
それは日本の環境、常識とインドのそれが極めて大きく異なり、
それを楽しいと感じるか、受け入れられないと感じるか、
その違いだと思われます。

日本との大きな違いのひとつが交通環境です。
インドの交通事情はまさにメチャクチャで、
都市部の中心街以外は信号機はほとんどなく、
早い者勝ちの無法地帯でそこら中でクラクションが鳴り響いています。

大きな幹線道路を渡る時などはまさに命懸けで、
年寄りだと絶対に一人では渡れないだろうというところが珍しくありません。

車で交差点のその先を右折しようとする時は、
対向車線の左折専用レーンで停まって待ったり、
狭い道で追い越しをかけ、センターラインを大きくはみ出しても、
対向車の方がその車を避けるのが常識といったように、
日本の交通道徳とはまったく異なり、
回りの車が次の瞬間どんな挙動に出ても、
それに迅速に対処できることが求められます。

インドも当然免許制度があるものの、
村では子どもがバイクを運転し、
自分も「ノープロブレム」と言うことで、
よくバイクを借りて運転させてもらいました。


そんな最悪な交通事情にも関わらず、車の装備は貧弱で、
最近は少しずつ変わってきているものの、
インドの安物の車には、
運転席側のサイドミラーはないというのが常識でした。

大きなバスやトラックでも、
古いものは普通の乗用車に付いているような小さなミラーしかなく、
これでよく安全運転ができるものだとと感心し、また疑問に感じます。


この写真は十年前の2008年に撮ったもの、
南インドとのご縁を導いてくださったお坊さんたちとお寺の行事で
マドライという大きな街に出かけ、その帰りの荷物を積んだところです。



このお寺の車には元々運転席側(右側)のミラーがなく、
大切な左側ミラーも壊れて根元からなくなっています。
そしてご覧のように荷物を満載にしているので、
バックミラーもまったく役に立たない状態です。

この状態で、後に立つ運転手のムルガンは、
人や車であふれかえる町中をブンブン飛ばしまくるのです。
後ろの席に座っていて、まったく生きた心地がしませんでした。

これは運転技術という問題ではなく、
無謀としか言いようがありません。
けれど非文明的生活を送る彼らは動物的感覚が優れているのでしょうか、
自分の知る限り、なんとか無事故で過ごせているのはすごいことです。


今日のYahoo!ニュースで、レクサスが量産車としては初めて
ドアミラーの位置に小型カメラを設置した「ミラーレス車」を販売するという
ことを報じていました。

これは新たな技術革新です。
最初はどんなメリットがあるのかよく分からなかったのですが、
動画ニュースを見てその利便性がよく理解できました。
  <レクサスが「ミラーレス」に…量産車で世界初 - Yahoo!ニュース>



少ない目線移動で左右後方が確認でき、
確認範囲も広くなり、右左折、バックの時は視界が変わる等、
たくさんのメリットがあるようです。

ただしキーオフ時には後方確認ができず、
若干とは言えモニターに映る像と実像との間にタイムラグが生じるといった
デメリットはあるものの、
将来に向けて大きな可能性を感じます。


太陰の中に小陽あり、太陽の中に小陰あり、
表大なれば裏大なりで、
こういった安全装備が充実するのはいいことですが、
どんなに素晴らしいと思えるものでも、
その裏には必ずデメリットとなるものが存在します。

このような人間の視覚を大きくサポートする装備が一般化すると、
人間に本来備わっている感覚がますます鈍くなっていくでしょう、
そのことが最も懸念されます。

人間の感覚は、自然との関わりの中で培われるもの、
文明とは利便性、快適性を向上させること、
それはまた自然から遠ざけることであり、
文明の発達と人間の感覚の鈍化とは切っても切れない関係です。

その昔、オーストラリアに住む原住民アボリジニは、
岩陰に潜む獲物の姿を見ることができ、
遠くに狩りに出かけた時は、
その様子を村の人にテレパシーで伝えたと言われています。

それが今はケニアのマサイ族でもケイタイを持つ時代となり、
そういった感覚は人間の日常の暮らしにとって不要と化し、
残念ながら過去の遺物となってしまいました。


今日ミラーレスのニュースを見て驚いたことがあります。
それは先の「記憶力」にも書いたように、
最近は脳力開発ということを意識するようになり、
ちょうど今日、その脳力を高めようとして考えていた手法が、
まさにこのミラーレスの機能と酷似していたからです。

普段見慣れている光景は、
両目の視野に入っていても、
それは過去の記憶にある映像と同じということで処理し、
新たな情報として頭に入ってくることはありません。

いつも壁に掛かっている絵が突然新しいものに換わっても、
なかなかそれに気づかないように、
莫大なエネルギーを消費する脳は、
普段は持てる能力をセーブしています。

ですからそれを意識してあらため、
いつも見ているものでも、新鮮な目で、
一瞬でその全容を捉えるトレーニングをするのです。

これは脳のアイドリング状態を高め、
意識の盲点をなくし、
常に新鮮な意識状態を保つために有効な手法です。

もうひとつは、実際の視野と脳で感じる視野を広げる目的で、
視線を前方に置いたまま、
自分の真横、あるいはできるだけ後方に意識を集中するのです。

これをすることにより、
普段使っていない脳の部分を刺激し、
そこに血流が行くのでしょうか、
何とも言えない心地いい感覚を味わえます。

このことは少し前に発見し、
以前このホームページにも書いたことがあったと思いますが、
今日たまたまそれを思い出し、数ヶ月ぶりにやってみたところでした。


視野を広げ、回りをしっかり認識する、
本来見えないところを見ようとする、
こういった脳力トレーニングで培おうとする能力を、
ミラーレスシステムはサポートしてくれます。

これはとても便利で機能的である反面、
逆脳力トレーニングをしているようなもので、
何事も機械任せで、人間の持つ脳力、感覚を研ぎ澄ます妨げとなります。


けれどこの文明の進む流れと方向は決して変えることはできません。
ですからいつも書いているように、
その文明の持つデメリットを知り、
それを補う動きを自らしていくしかありません。

普段車に乗って歩くことがほとんどなく、
空調の効いた部屋で一日過ごして汗をかかない人間が、
高いお金を出してトレーニングジムに行くというのは滑稽ですが、
これを何とかスムーズな形で実生活の流れの中に取り入れるのが、
現代人としてのスマートな生き方なのだと思います。


日本人から見るとハチャメチャな生き方をしているインド人ですが、
彼らはみな目がイキイキとし、明るく姿勢がよくて背筋が伸びています。
それに対し今の日本人はその正反対で、
目は死んだように淀み、暗い表情で背中を丸めて歩く姿をよく見かけます。

理性は文明を発達されますが、
その理性と対極の感性は衰え、
その感性こそが、
人間が幸せを感じ取る力に直結しているのではないかと感じます。

今は時代の大きな転換期、
これまでは理性の時代、これからは感性の時代と捉え、
感性、感覚を研ぎ澄ます生き方が求められます。


感性というと定義が難しいですが、
その感性を支えるのは感覚、五感であり、
これを鈍らさないように生きていくことが大切です。

少し古いですが、日常の現場から日本人の五感が
少しずつ鈍くなっている現状をレポートしているこの本は
とても興味深く読めました。

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