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2018年8月13日 ・・・ しがらみとの決別

ネット上には日々興味あふれる情報がアップされていますが、
それらすべてに目を通すことはできないので、
時間の許す限り、自分にとってためになるものを選び、
読むようにしています。

この選ぶという作業が大変で、
同じ情報入手でも、本を読むことと比べてどちらが価値があるのか、
それをひとつの基準としています。


先日、海外の豊富な話題を提供している「NewSphere」という
サイトを知りました。
話題の切り口が他のニュースサイトとはひと味違って斬新で、
これから継続して読んでいきたいと思い、ブックマークに登録しました。

そのブックマークに登録する直前、
うっかりサイト表示を消してしまったので、
「NewSphere」でネット検索すると、こんなページがヒットしました。
<flip out circuits: 誤解を誘う記事の作り方を学ぶ:NewSphereさまの事例>

ここには、「NewSphere」に載せられたある記事に、
アメリカの経済学者が日銀の政策やアベノミクスを批判しているとあるが、
参照元となった英文記事にはそのようなことは書かれておらず、
誤読によってこんなミスが発生することはあり得ないので、
これはたぶん意図に読者をミスリードしたのであろうというものです。

そのページにもあるように、このページが書かれた後、
「NewSphere」は謝罪した上でその記事を削除しました。
もう三年以上前のことですが、
今もその記事があったアドレスをクリックすると、
お詫び文章を読むことができます。
<不正確な記事掲載についてのお詫び | NewSphere>

こういった真実を報道することに対する真摯な姿勢は極めて大切であり、
ジャーナリズムの基本となるもので、
是非朝日新聞をはじめとする大手マスコミも見習ってもらいたいです。

本当に、今の大手マスコミの偏向、反日姿勢はひどいものです。
つい最近のことでは、NHKでこんなことがありました。
<【炎上】公共放送NHKさん、なぜか新型Galaxyの宣伝をしてしまう サムスンから広告料貰ってんの? : はちま起稿>

NHKは視聴者から受信料をとる公共放送であり、
ファミコンは家庭用ゲーム機、宅急便は宅配便、
味の素は化学調味料のように、
特定の商品名を出さないよう、言葉を言い換えることになっています。

そのNHKがなぜか韓国企業サムソンのスマホGalaxyを、
企業名、商品名をあげて紹介したのですから驚きです。

特に大きな技術革新があったわけでもなく、
またその商品が日本で販売される計画も今のところないにも関わらず、
なぜそのようなものを実名をあげて報道(宣伝!)
する必要があるのでしょう。

NHKは日本放送協会の略称ですが、
KHK、韓国放送協会、あるいはCHK、朝鮮放送協会に
社名変更した方がいいのではないでしょうか。
<nhk 韓国 乗っ取り - Google 検索>


個人でも組織でも、間違いを犯すことは必ずあります。
大切なのはそれにどう対処するか、
また同じ過ちを繰り返さないようにするにはどうすべきかということです。

さらにはその前提として、
まず自らがその過ちを犯したことを知らねばなりません。
けれど意図的に犯した過ち以外で、
自らの過ちに気づく、認めるということは、案外難しいものです。

それは誤りというものが、
先の「NewSphere」の記事のような明らかな間違いばかりではなく、
正しいことかどうか客観的に判断できないものが多いからです。

人は誰しも完璧な客観性をもって物事を観ることはできません。
厳密に言うならば、物理学の観測者効果の示すように、
真の客観性は存在しないのです。

その中で少しでも偏ったものの見方をしていないか、
誤った認識でもって物事を判断していないか、
それを知ることは極めて重要です。

特に自分のように独自の生き方を貫きたいと思っている人間は、
他人に迎合することはなくても、
他人がどの様に感じ、ものを見ているのかということに
常に関心をもって感じ取るようにしています。
それに配慮するかどうかは別として、それを知ることは大切です。


人はみな違ったものの見方をしています。
それは当然のことであり、それは直す必要はなく、
また直すことは不可能です。

大切なのはその自分の独自性を知ること、
そしてその独自性がどこから来ているのかを知ることです。

過去の経験、知識、人間関係、あるいは守るべき家庭や組織、
人はみな多くのしがらみを持って生きていて、
そのしがらみが、時としてものを見る眼を曇らせます。

ひとつの例で言うならば、宗教などがその典型でしょう。
具体例としては、霊感商法で大きな社会問題となった統一教会は、
昔も今も、信者同士の結婚を合同結婚式という特殊な形で行っています。

その是非はともかくとして、
もしその形で結婚し、子どもも生まれ家庭が形成された後、
その宗教に疑問を持ったとしても、
その疑問からその宗教を否定するということは、
過去の経験、自らの家庭そのものを根底から否定することにつながり、
これは容易にできることではありません。

そしてこんな時に人間は、
その疑問や否定を覆い隠すべく、
様々な“過去のしがらみを肯定することがら”だけを頭に思い浮かべ、
今の流れを変えないよう、自分を誤魔化そうとします。

このようなことは、様々な場面で身近によく起こります。
そのような姿に対して他人は、
「あの人は頑固だ」、「反省能力が足りない」、「開き直ってる」、
「人の意見に耳を傾けない」
といって揶揄するのです。

(こう揶揄されたからといって、言われた人間が必ずしも
 過去のしがらみに囚われているとは限りません。念のため)


自分は平成元年に文明法則史学と出合い、
すべてのものに通じる生命を知り、
この時空の基本法則が、
共生、循環、フラクタル、この三つであると感じるようになりました。

そして三十年近く経った今は、
この法則が完全に正しいものだと深く信じています。

けれど信じてはいますが、
もしそれに対する反証が現れて、
まったく別の新たな気づきが得られたならば、
その気づいた瞬間に自分の考え方を変えられるよう、
それだけは心がけるように強く意識しています。

それは、それが正しく真理を追い求める
絶対必要条件であると考えるからです。


空を高速で飛ぶ飛行機は、
その針路を簡単に変えることはできません。
けれどUFOを目撃した人たちの話によると、
UFOは空をジグザグに飛び回り、
瞬時に方向転換することができるそうです。

もしこれが事実だとするならば、
UFOは、地球上の重力や慣性といったものの影響から逃れることのできる
何らかのテクノロジーを有しているものと思われます。

この重力や慣性、
飛行機の向きを容易に変えさせようとしない力、
これが人間にとっての過去のしがらみ、囚われです。


ここから自由になるためには、
過去と決別しなければなりません。

過去と決別するということは、
自分自身の視点を過去に置くのではなく、
今この瞬間に置くということです。

そのためには、心理学者フロイト、ユングのような
「行動の原因を過去に遡って考える」という原因論から、
アドラーのような、
「人は何らかの目的に従って行動を決定している」
という目的論へと発想の転換をすることが、
極めて有益です。

大切なのは、何が与えられたかということではなく、
与えられたものをどのように使うかということ。

今という時は、過去からの流れで勝手に動いていくものではなく、
過去も含め、自分に与えられたものをどのように使っていくかを考え、
自らの意志で創り上げていくものです。


今この時、どんなに高速でひとつの方向に向かって進んでいるとしても、
常に向かっている方向が自分にとって正しいものであるかどうかを見定め、
空を飛ぶUFOのように、いつでも方向転換できる自分でありたいものです。

2018.8.13 Monday  
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