ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2017.8.16



ヨガナンダ



2017年8月16日 ・・・ 盲点のありか

インターネットでいろんなサイトを見ていると、
つい時間の経つのを忘れてしまいます。
たくさんのサイトを見た後に、少し前に見たサイトに戻っても、
そこに表示されるのは前に見たページの情報であり、
最新のものに更新されていないことがよくあります。

これはパソコンでもスマホでも、
以前見たページの情報を保存しておく「インターネット一時フアイル」
というものがあり、
その情報に基づいて再度開いたページが表示されるからです。

そうする理由は、ネットの転送量を少なくしたり、
表示速度を速めたいからであり、
いわゆる効率をよくするためということです。


動画でも画像でも音声でも、
すべてのフアイルに圧縮技術というものがあります。
それらは元となるファイルの中にあるパターンを見つけ出し、
そのパターンを示すことにより、情報量を少なくする技術です。
時時は時々、津津浦浦は津々浦々と表記するのと同じです。


人間の脳は本来ものすごい能力を持っていて、
ほとんどの人は、その持てる能力の数%しか使っていないと言われています。

脳の重さは約1400g、体重の約2%ですが、
消費エネルギーは全身の約二割と言われるほどの大食漢で、
この脳がフルに働くと、消化器官の能力が追いつかなくなり、
これが脳が持てる能力の大部分をセーブしている大きな理由です。

ですから脳にはインターネットの一時フアイルや圧縮技術と同様に、
脳の働きを休め、効率化するような機能がはじめから備わっています。


初めて行った海外の地で物珍しい光景を目にした時、
気持ちが高ぶり、目に入ったものをしっかりと記憶に焼き付けようとし、
その時の光景は、いつまでも頭の中に残っています。

けれど日々の暮らしの中、
通勤通学で見慣れた光景は、
いつもしっかりと目を開けて見ているつもりでも、
それはほとんど頭の中には入っておらず、また記憶にも残りません。

人間の脳は同じことを繰り返した時や
以前経験してものに対しては、
脳の機能を低下させ、以前のパターンで処理をしようとするのです。


その脳の効率的な、悪く言えば手抜きのような働きによって、
盲点となるものが生まれます。

盲点は脳の持つ生理的機能によって生じるので、
これをなくすることはできません。

ですから盲点によって生まれる弊害を少なくするためには、
盲点をなくそうと努めるのではなく、
その盲点がどういったところから生じるのかを自覚し、
それについて対処することが大切です。


人間の持つ最も大切な能力は判断力です。
身の危険が迫った時、とっさの判断は生死を分かつものとなります。
また日々の生活は、無限に繰り返される判断の結果だと言うことができます。

その判断となる根拠は、
理論的に言葉で説明できるものもありますが、
なんとなく、その場の雰囲気でといったことも少なくありません。

けれど今の高度化された社会では、
判断となる根拠が、社会的に認知されたもの、
権威付けされたもの、
つまり自分の外側に置くことを善とすることが多く、
自分の内にあるその時の気分とか、
好き嫌いといった感情で物事を判断することは、
特に大人の社会ではよしとされない傾向にあります。

自由でアバンギャルドな生き方をしてきた自分はこの流れに抵抗し、
特に長く肉体労働の現場にいて、
体の内から湧いてくる感覚というものを知ってからは、
体で感じたこと、感情の奥から湧き出る好き嫌いの感覚を、
何よりも大切なものとして生きてきました。

これはこれで自分の生き方として誇りを持ち、
これからも貫いていこうと思うのですが、
この外側の権威や評価に頼らない好き嫌いの感覚というのは、
よほど自分を突き詰め、澄んだ心の目を持たなければ、
多くの盲点を生み出す可能性があるということを最近感じるようになりました。


「虫の知らせ」という言葉がありますが、
これも広く好き嫌いの感覚と言ってもいいかもしれません。
その虫の知らせによって事故を回避したという話も時折耳にするので、
人間の持つ内的感覚というのは本当はすごい力があるのだと感じます。

けれどそういった深いものではなく、
もっと表面的な感情で、人やものの好き嫌いを判断していることもよくあります。

よく言われるのは、自分の嫌な面と同じものを持っている人に対して、
その部分に嫌悪感を抱くということ。
例えば自分勝手な人というのは、
自分と同じく思うままに振る舞う人を嫌悪するものです。

またそれがコンプレックスに起因することもあります。
異性にもてない人は、もててる人に対していい感情を持つことはできません。
学歴にコンプレックスのある人は、
その学歴をひけらかす人に対して憎悪に近い感情を抱くかもしれません。

それらは嫉妬、めたみ、そねみといったものであり、
それはなくすることはできなくても、
最低限それを持っているということを自覚することが必要なのですが、
人間はおうおうにしてそういった己の負の感情には目を背けようとし、
一生懸命その人のマイナス面を見つけ、非難し、
自分の持つ嫌悪感を正当化しようとするものです。


恥ずかしながら、
最近自分の中にそういった面が少なからずあって、
そこに盲点となるものが生まれているということを知るようになりました。

ある分野のことに興味を持ち、
それに関する方をこれまでたくさん読んできました。
けれどその中には当然興味を持てる著者とそうでない著者がいて、
また好んで読む本には、書き方にもひとつの傾向がありました。

それがつい先日、
これまでほとんど手にしたことのない著者のものを読んでみると、
今まで知らなかったたくさんの知識と出合うことができ、
その流れでその著者のことを調べ、
YouTubeで動画を見、目が覚めるようなたくさんの発見をすることができました。

そこで出合った発見とは、まったく新しいものではありません。
これまでも多くのところで見たり聴いたりしていたものですが、
新しい著者による、自分にとって斬新な切り口での解説によって
知識が知恵、行動へと昇華するひとつのキッカケを与えてもらったのです。


生きていく上で、あるいはどんな分野のことであっても、
本当に大切なものというのはごくわずかです。
それを得心し、実践していくためにたくさんの情報と出合い、
経験を重ねる必要があります。

けれど自分の気に入った特定の範囲のものだけにしか目を向けていなければ、
今の自分の持っているものにただ納得するだけで、
次のステップへと進めないことがあります。

その点未知の分野ともいえる、
これまで感情的に避けていたものの中には、
斬新で、新たな発見を促してくれるものが多々あることを最近強く感じます。


つい数日前、近くの書店で一冊の本を手に取りました。
月の持つパワーには以前から興味かあり、
そういった関係の本はサッとでも目を通すようにしています。

新月・満月のパワーウィッシュ新月・満月のパワーウィッシュ
Keiko的 宇宙にエコヒイキされる願いの書き方

Keiko

講談社 2017-06-28
売り上げランキング : 88

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この本には、新月の願い方とともに、
満月に対する感謝の方法が書かれていて、
それは自分にとってまったく未知のことでしたが、
これが実に理に適ったことであるということは、
一読してすぐに理解することができました。

けれど・・・、この本の著者で占星術師のKeikoという方の
文体がどうしても気に入りません。
読んでいてもそれが気になって、
正直嫌悪感が湧いてくるのです。

しばらくして家に帰り、この本に書かれていたことを思い出すと、
書かれているひとつひとつのことはとても有益な情報であり、
その情報には好きも嫌いもそういった感情を挟む余地はありません。

つまりこれなどは自分にとってまったく悪い例なのですが、
好き嫌いといった判断の元が、
そのものの本質ではなく、
本質とまったく関係の無い表面のものに依存してしまっているのです。

この好き嫌いは自らの視野を狭くし、
盲点を生み出すものに他なりません。


繰り返しますが、好きか嫌いかという感情を持つことは悪いことだとは思いません。
またそれを判断の基準にすることも悪くはないでしょう。
ただその好き嫌いの感情がどこから生まれているのかを見極めなければ、
それは自らの可能性を狭めることになってしまいます。

そしてもしその好き嫌いの感情が
表面の、本質とは関係のないところから生じていたのだとすると、
そこに自らの盲点が潜んでいることが多くあり、
それを見つめ直すことは、自分にとって宝の山を探るのと同じように
価値あることになるかもしれません。

嫌悪感の源、盲点のありか、
それを探ることが自分にとっての宝探し、
そう考えると楽しいですね。

盲点は誰にでも、どこにでもあるものです。
ですから心の中の宝物も、いろんなところに眠っているということですね♪

2017.8.16 Wednesday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.