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2016年7月21日 ・・・ 現実を生きる

この時空の基本法則のひとつが共生です。
すべてのものは、周りのものと何らかの関わりを持つ相対的存在であり、
周りとのいい関係、バランスを保つことによってその存在を維持しています。

女性と男性、その数がほぼ同数であるがゆえ、
人類は長く子孫を絶やすことなく歴史を刻んでくることができました。

植物と動物も、互いに酸素と二酸化炭素を排出し、吸収する
逆の役割を担っているがゆえ、
互いにその命を生かし合うことができています。

このバランスは命を保つ上で極めて重要な法則であり秩序ですが、
この秩序も時として崩れ去る時があり、
その崩れた秩序を立て直し、
これまでとは別の、また新たなる共生関係を築こうとする動きが循環であり、
この循環が進化へとつながります。


時空の法則は極めて単純であり明解ですが、
人類の文明や科学技術はあまりにも高度に発達しすぎていて、
一本の木に例えるならば、極めて背の高い巨木となり、
数え切れないぐらいの葉が生い茂り、
本来樹木にとって最も大切である根や幹、
あるいはそれを育んでいる大地というところに目が向かなくなってしまっています。

巨木に於ける一枚の葉というのは、
新たに開発された科学技術や発明といったものに相当するでしょう。

その葉っぱが巨木の生命にとってプラスになるのかどうなのか、
本来はまずそのことを考えなければならないのですが、
そんなことを言っていては、
秒速で進化する科学技術の発達に追いつくことはできません。

『便利で技術の発達した環境に暮らせることは幸せである』、
このことがあたかも宗教的教義であるかのような前提となり、
日々人類は文明を積み重ねていっています。


植物は葉っぱを介して光合成をし、
それ自体は生命を維持する大切な役割を担っていますが、
一本の木はバランスでもって成り立ち、
しっかりと根を張っていない、または十分幹が育っていない樹木に
大量の枝が生え、葉が生い茂ってしまっては、
根から吸収した養分を全体に行き渡らせることができず、
それらの重さも支えきれず、
いつか必ず近いうちに倒れてしまいます。
今の人類はまさにそういった状態です。


ひとつの物事の価値を判断するのは極めて困難なことです。
そのものが与える短期的な影響は分かりやすいのですが、
長期的なものは因果関係も多岐に渡り、
明確な数字で表すことは不可能です。

遺伝子組み換え食品のことがよく話題になりますが、
病害虫に強く、除草剤にも負けない耐性を持つよう遺伝子操作された農作物は、
簡単な作業で収量を増やすことができ、
農家にとって明らかに大きなメリットがあります。

けれどこれは誰もが感じるように、
自然の、特に生命の根幹部分に手を加えた不自然な人工物であり、
その影響が、今後子孫まで続く長い期間、
どのような影響が出てくるのか、みな一様に不安を覚えています。

エコノミックアニマル、最近はあまりこの言葉も耳にしなくなりましたが、
経済、お金、効率至上主義の現代人は、
短期的な利益が得られるものばかりを追い求め、
長期的で不確定の不安にはつい目を背けてしまいます。

日本で消費される大豆の7割はアメリカからの輸入品、
そのアメリカ産大豆の94%は遺伝子を人工的に組み替えられたものであり、
現在人類は、壮大なる人体実験に取り組んでいると考えたらいいでしょう。


遺伝子組み換え食品に限らず、
すべての科学技術の恩恵は、これと同じ側面を持っています。
科学技術の与える利便性、快適性は明かですが、
それはまた同時に、人類にとって大切な何かを奪い取っています。

自分はそれをインドの貧しい子どもたちから感じ取っています。
日本と比べ、利便性、快適性に欠けるインドの貧しい暮らしは、
人間が本来持っている生命力を賦活させ、
心、魂の底からの笑顔を湧き上がらせてくれます。

今は時代の大転換期であり、
世界各地で民族紛争やテロが勃発していますが、
そういったものがなく、最低限の食料が確保されているならば、
文明の発達具合とそこに暮らす人々の幸福度は
反比例するのではないかと感じられます。

文明が発達することが悪ではないのですが、
残念ながら人類は、それを享受する知恵を持つに至っていないのです。


とは言え文明の発達は、
今の人類社会を支える根本的な流れですので、
これを否定したり止めたりすることは不可能です。

ただそれを “活かす知恵” を持たなければなりません。
その知恵というのが、この時空を律する法則を知ることです。

まずはバランス、
今は時代の流れは極めて速いので、
すべてのものがひとつの極に偏ってしまう傾向にあります。
ですからそれを是正すべく、その対極というものを強く意識するのです。

少し前に、たくさんの情報が巷にあふれているがゆえ、
数少ない自分にとって大切なものを見極め、
それをしっかりと見つめていく、ということを書きました。
これがバランスを取る基本です。

たくさんある情報の中には、画期的と思えるものがいくつもあります。
また素晴らしい教えを説く人もいるのですが、
そういったものでも、この時空にあるものはすべて相対的存在であり、
100%いい面ばかり、絶対的に素晴らしい人格者というものは存在しません。

どんなものでも人でも、
特にそれが素晴らしいと思えれば思えるほど、
そのもの、人が持つ負の側面を見つめ、
それを意識しながら関わることが何より大切であり、
それがひいてはそのものや人を尊重することにつながります。
これもバランスです。


現代人は、年中冷暖房の効いた環境の中で生活することができ、
足腰を踏ん張って作業しなければならないということがほとんどなくなりました。
トイレもほとんどの家は洋式便器で、
今の大部分の子どもたちは和式で用を足すことができなくなっています。

これは単に習慣が異なったということではなく、
快適性が増したことによって肉体が衰え、
身体文化が喪失したということです。

一昨年駐在したインドの村では、
子どもたちがとびきりの笑顔を見せながら水汲み、水運びをしていました。



主に労働によって鍛えられた身体、その身体文化は、
人間の生きる根本である “生きる喜び” を湧き上がらせます。

これは遺伝子組み換え食品の弊害と同じく、
数字や理屈で表わせるものではありません。
表わせるものではありませんが、身体感覚として感じ取れるものです。

どんなに素晴らしいと思える現代技術にも、
その裏には大きな恩恵とともに、負の側面が必ず潜んでいます。
それを知ることは何よりも大切であり、
もしそれが自ら感じ取ることができないのなら、
その危険を予知し、排除する何らかの制度を社会の中に取り入れるべきです。
これは自由主義経済の流れを否定することにもなりますが、
それぐらいのインパクトのあることをしなければ、
人類は今後少なくとも数百年単位での持続可能な社会は築けないでしょう。


今世界中で「ポケモンGO」といアプリが大ヒットしています。
これは現実世界にゲームを投影した拡張現実(AI アーグメント・リアリティー)であり、
こういったAIやVR(仮想現実 バーチャルリアリテイー)は、
人間の根本的感覚である肉体感覚を麻痺させる危険性を持っています。

通勤ラッシュにもまれている都会のサラリーマンの目は
死んだように沈んでいるのに対し、
インドの子どもたち、貧しい国の人々の目が明るく輝いているのは、
強い足腰を土台とした身体文化が生きているからだと感じます。

この中心軸をしっかりと維持できる身体感覚が、
研ぎ澄まされた五感を維持し、
それが目の前の現実世界を正しくとらえ、
大地に根ざした暮らしとともに、正常な感覚、感情を育んでいるものと感じます。

『地に足の着いた生き方』という言葉がありますが、
現代人、これは日本だけではなく、文明の発達した国はすべてそうなのでしょうが、
大地という最も大切な “現実” から足を離してしまい、
コンピュータデバイスのディスプレイに映る仮想、拡張現実にのみ
心を奪われています。

これは本物の現実と、仮想、拡張現実という作り物との
バランスが崩れているということとともに、
そのバランスを取るための礎となる身体感覚や現実感が失われてしまっているという
二つの面で大きな危機なのです。

これは「ポケモンGO」が新たに生み出したものではなく、
これまでの文明の発達の流れの中で、
必然的にまた新たなひとつの危機的段階を踏み進めたのだと感じます。


「ポケモンGO」については、様々なメディアが大きく取り上げていますが、
その報道量の十分の一でも、
そこから生まれる危険性について語ってもらいたいものだと感じます。

この拡張現実ツールの生み出す危機は、
たんに交通事故や犯罪が増えるとかいった単純なものではありません。


科学技術の発達を止めることはできません。
ですからその恩恵を享受するため、
その対極にある、人間が生きる上での根本を見つめ直すことが必須です。

現代をよりよく生きるキーワードは、
捨てる、選別する、数少なく、足腰、中心軸、現実、大地、根っこ、幹、
そしてただ足るを知る、
こういったところにあるのです。

2016.7.21 Thurseday  
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