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2016年6月23日 ・・・ モラルある社会

人それぞれみな考え方には違いがあるものの、
誰しも自分の持っている考え方が正当であり、
他の人も自分と似たり寄ったりの考え方をしているものと、
ついつい思いがちになるものです。

長い人生、たくさんの人たちと接する中で、
人によって考え方が異なるということは分かってはくるものの、
なかなか自分と異なる考え方を受け入れたり、
またそれ以前に、それに気づくことすら難しいものです。

毎週金曜日の早朝は、積極人間の集いという異業種交流会に参加しています。
朝7時から始まる会では最初にゲストスピーカーの話を40分間聴き、
その後50分かけて約三十名の参加者が一言ずつコメントを述べていきます。

ゲストスピーカーとして来られる方は様々で、
面白くて興味が持て、共感できるものもあれば、
そのまったく逆のものもあり、
話としては時によって当たり外れがあるのですが、
会の楽しみはゲストスピーカーの話だけではなく、
参加者一人一人のコメントが実に多彩であり、
それを聴くだけでも行く価値があるというものです。

自分にとっては取るに足らないところで感動する人もいれば、
まったく思いもつかないような意見を述べる人もいて、
そこに人間の持つ価値観の多様性を見るのです。


世相というか、世間一般の考え方を知るためには、
「便所の落書き」と揶揄されることもある
匿名掲示板2ちゃんねるの書き込みが興味深いものです。

本体の2ちゃんねるはほとんど見ることはありませんが、
それをまとめた「まとめサイト」は定期的に見ています。
下劣な意見が多いのですが、
匿名であるがゆえ本音が出ています。

昨日見たまとめサイトには、
以前ここにも何度か書いた、
スーパーやコンピ二の食料品を棚の後ろ、
新しいものから取るということについて書かれていました。

<痛いニュース(ノ∀`) : コンビニ店長激怒 「商品を棚の後ろから取る客はマナー違反!古いものが売れ残って赤字」 - ライブドアブログ>



コンビニの店長とされる人が、
商品を後ろの新しいものから取る人がいて、
そのため廃棄しなければならないものが多くなり、赤字となり、
激怒しているということを2ちゃんねるに投稿し、
それに対する様々な書き込みをまとめています。

意見としては「新しいものを手にするのは当然だ」という意見が多いようで、
それも世間一般の考え方としては当然かなと思われるのですが、
それらの意見ひとつひとつが自分にとっては興味深いので、
その意見とともに自らの感想、考え方を述べています。

これはいい悪いではなく、感じ方、考え方の問題です。

> パンもオニギリも新しい方のが美味しいから。

今コンビニで販売されている加工食品は添加物山盛りで、
数ヶ月経ってもカビも生えない工業製品です。
ですから製造日が数日、数時間違っても、
普通の人には味の変化は分かりません。

> 庶民の知恵です

これは知恵ではなく私利私欲です。
『先入れ先出し』の原則を守り、モノの流通をスムーズにし、
安価で質のいいサービスを提供してもらえるよう
消費者一人一人が節度を持って行動する、
これが本当の知恵というものです。

> じゃあ陳列しなきゃいい。

そう言えば、インドの文房具店はみんなそうでした。
商品はすべて店員のいるカウンターの奥に並べてあり、
それをひとつずつ客の求めに応じて取りだして見せるのです。
これは当然手間がかかりますし、コストもかかります。
また商品定数も限られてくるでしょうし、売り上げも下がるでしょう。
そうなると結局損をするのは消費者自身です。

> 商品選びは消費者の権利
   何でも客が有利なんよ


これはとても大切な問題です。
先に辞任した元東京都知事の騒動では、
“厳しい目を持つ第三者” の弁護士から出た
「不適切ではあるが違法ではない」という言葉が流行語のようになりました。

商品選びは消費者の権利と言えば確かにそうかもしれません。
これは法律に違反することではありません。
けれどモラルがなければまともな社会をつくることはできません。

乗り物の中で、年寄りや身体の不自由な方に誰も席を譲らない、
困っている人がいても手を貸すことをしない、
道端にゴミが落ちていても誰も拾わない、
法律に抵触しなければすべて許される、
そんな社会がどのようなものか想像してみてください。

森永ヒ素ミルク中毒事件、豊田商事の問題、
様々な社会的事件で弁護士を務めた故中坊公平氏は、

法は最低限の道徳、大切なのは道理
公共の意識なしに社会は成り立たない
法律は最低限の基準であり、 法律の上にモラルがある


ということを幾度となく述べています。

ほぼ単一民族で共通の価値観を持つ日本人の中には、
何事もルールで縛るのではなく、
相手を思いやる『察する文化』というものがありました。

今これが西洋文化の流入とともに消えていこうとしています。
モラルとは強制されるものではなく、
一人一人の自覚の上に成り立つものです。

このモラルが薄れ、己の権利ばかりを主張する人が多くなった結果、
「なんでも客が有利なんよ」というような考え方を当たり前とする、
モンスターペアレント、モンスター○○○と呼ばれる人たちが現れたのです。

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> 古い物と新しい物を同じ値段で売りつける方がマナー違反だろ

消費期限によって価格を変えることが、
どれだけ手間とコストがかかることか考えてみてください。
またそうなれば、
新しいものは当然今よりも高い価格で販売しなければ採算が取れません。

そしてそれは消費者に「少しでも新しいものに価値がある」という意識を
より強く植え付けることになり、
それは今の過剰なまでの清潔志向と同様、
決して人を幸せにしないものです。

インドのひとつの水槽の水ですべてをまかない、
清濁あわせ持つようなおおらかな生命観、浄・不浄の感覚、
それこそがこれからの人類が “必ず” 目指していかなければならない
持続可能な共生社会のひな形だと考えます。

> 店の都合と客の都合は合致せんもんな

それは己の利だけを求めるからそうなるのであって、
それをひとつにするのが各自の持つモラルです。


これは法律(ルール)ではなくモラルの問題であり、
各自の意見が異なるのは当然です。

けれど自分の考える “いい社会” とはどういったものなのか、
それを成り立たせるにはどういったルールやモラルが必要なのか、
そのことを考え、それに基づいた行動を取ることが求められます。

自分がこの棚から食品を取ることについて考えるのはこの三つです。

1.消費期限が多少違っても味や品質にはほとんど差がない。

2.新しいものを選んで取ることによって物流が悪くなり、
  長い目で見て自分や他の多くの人たちが不利益を被ることになる。

3.「自分さえ新しいものが食べられればいい」
  「自分さえよければいい、他の人には古いものを買わせればいい」
  そう思って取った行動、その時の思いは必ず天に伝わり、
  いつか必ず自分に返ってきます。



ルールは明文化された客観的なものですが、
モラルは各自が心の中に抱くもの。
このモラルこそが、豊かな社会を築く礎になるものと考えます。

2016.6.23 Thurseday  
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