ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2015.6.10



ヨガナンダ



2015年6月10日 ・・・ 感性

広島には、東京物語、大林宣彦監督の作品等、
数々の映画の舞台となっている尾道という街があります。

人口十数万人の小さな街尾道の表玄関であるJR尾道駅を降りると、
すぐ前の南側には尾道水道を挟んだ向島が目に入り、
北側に千光寺山がそびえ、
風光明媚な千光寺にはロープウエイで登ることができます。

また駅から東に向かって歩いて行くと、
昔懐かしい商店街がアーケードに軒を連ね、
さすがに時代の波でシャッターを下ろしている店も多いものの、
他の町にはないちょっと趣向を凝らした品揃えをしている店や、
たぶん戦前の頃から変わっていないのではと思われる
古い店構えの雰囲気をそのまま残している店があったりします。

尾道は観光客が多いということもあるのでしょうが、
尾道の古い、今風の言葉で言うところのレトロな感じは、
とってつけた感じがほとんどなく、
ごく自然のまま古(いにしえ)の空気が残っているという風情が魅力です。

また尾道は坂が多いことでも有名です。
尾道駅から千光寺山を登っていく途中には、
数多くの民家や店が並んでいますが、
そこに至る道はとても細く、また曲がりくねっていて、
ほとんど軽自動車ですら入り込むことができません。


  喫茶石岡からしまなみ海道 新尾道大橋を望む

尾道水道を望むことができるその坂の町は、
その坂道ゆえに生活するのにとても不便で、
古い民家は空き家になっているところも多いのですが、
駅前の商店街と同じく、
まるでガラパゴス島の如く古きよき日本の佇まいをそのまま残しています。

その町の一角、千光寺の少し下あたりに、
昔からの親友である石岡さんご夫妻が経営する喫茶店、
喫茶石岡があります。

古民家をそのまま喫茶店として活用し、
きれいに整備された室内には、
壺、掛け軸、日本人形、琴、鼓、茶器、そして着物等、
日本の伝統文化を感じさせる品々が飾られています。

先の日曜日、二年半ぶりにここを訪ね、
その記念に、喫茶石岡を紹介するスライドショーを作りました。
短いものですので、是非ともご覧ください。



五年前に訪ねた際は、喫茶石岡を紹介するページを書いています。
  <喫茶「石岡」 尾道>


ご主人の石岡さんとはもう二十年ぐらいの付き合いで、
以前は警察署に勤務しておられましたが、
今は退職し、尾道市の職員として、
街から少し離れたところにある人口数百人の百島(ももしま)という
小さな島に駐在しておられます。

石岡さんは超が付くほどのにこやかで円満なお人柄です。
そこが何事もハッキリとものを言う自分とは対極であり、
それゆえに長くおつき合いしていただけているのだと思います。
素晴らしき人格者である石岡さんとご縁を持っているということは、
自分にとって大きな誇りです。

喫茶石岡は奥さんが運営されていて、
完全予約制で、古の風情をのんびりと楽しみたいというお客様に対し、
こだわりの手網焙煎のコーヒーや、工夫を凝らした料理を提供されています。

その奥様もご主人同様とても穏やかな方で、
そのお二人とともに、先の日曜日は、
心落ち着くくつろぎの一時を過ごしました。


昔懐かしい日本の街並みをそのまま残した尾道、
そこにある喫茶石岡、部屋には伝統的な調度品が数多く並び、
窓からは遠く尾道水道が目に入り、
心のこもった美味しい料理、そしてビール ・・・ 。

そんな中でお二人と楽しい会話に花を咲かせていると、
完全に日常の生活リズムから脱却し、
頭の奥にある扉が静かに開かれていくような感覚を覚えました。

普段頭の中を駆け巡っている様々なことが息を吹き返し、
あたかも新たな命を与えられたかのように躍動し、
有機的なつながりを持とうとしてくるのを感じます。

その有機的感覚に包まれながら頭に浮び、
ハッキリと分かったのは、
『百万都市広島の雑踏で生活する今の暮らしの中では、
 確実に感性が鈍くなってきている』
ということです。


自分は言語型人間なのだと思います。
何か新たなものと出合ったり、衝撃的なことがあると、
その事物を象徴するような言葉が瞬間的に頭に浮ぶことがよくあります。

この時に頭に浮んだ言葉、それが “感性” でした。
感性というのは抽象的な概念で、本当はあまり好きではないのですが、
その時は、その言葉が頭の中にひらめきました。

このことは広島市の街中で暮らし、
日常の生活に追われていては気づくことはできなかったことです。
尾道で、古きよき日本の暮らしぶりを思い起こす体験をし、
頭の中、心の中にある深い部分が目を覚ましたのだと思います。


感性とは何なのか、
たくさんの情報があふれる社会に暮らし、
そこから得た情報、知識、これを自分にとって真に役立つ知恵に変えていく、
これが感性の持つ大きな役割のひとつだと感じます。

知識を知恵に変えるエネルギー、潤滑油、
この感性の力が今の自分には枯渇している、
こんなことを、生まれて初めて、尾道という地で感じ取りました。

最近はなかなかホームページが更新できていません。
書きたい思うテーマ(知識)はあるのですが、
それがなかなかまとまった文章(知恵)にすることができないのです。
これもやはり感性の欠如が原因です。


けれどこのことに気がつくことができて幸いでした。
気づく、知るということは、次のステップに進むための大切な第一歩です。

感性が鈍りつつあるという現実を感じたのはやはりショックですが、
それとともに感じたのは、
これからどのように対処し、感性を磨いていったらいいのか、
さらには今まで気づきことができなくて申し訳ないという、
自分自身に対するお詫びの気持ちです。


『自分を愛する』、これは現代人にとって最も大切な課題のひとつですが、
この自分を愛するためには、
自分が本当に何を感じているのか、まずはそのことを知らなければなりません。
そしてそのためにも、感性を研ぎ澄ましておく必要があります。

今から二十年ほど前、
人生どん底に落ちて土木の仕事をしていた時は、
休みの日になると急くように山に向かっていました。
あの頃は体の奥底から自然の安らぎを求めていたように感じます。

そう考えてみると、最近は日本にいると自然と触れ合う機会がほとんどありません。
インドにいて、豊かな自然とともに暮らしていると、
自然や生命と遠ざかった生活が、
いかに人間の基本的感覚を狂わすかを強く感じるのに、
日本とインドではあまりにもその暮らしぶりが異なるので、
その時感じたことを活かすことができていません。

今から急にライフスタイルを変え、田舎暮らしに、といったことはできないのですが、
まずは今の暮らしの中で、
どのようにしたらより自然な感覚を取り戻すことができるのか、
それを考え、実践していこうと思います。

2015.6.10 Wednesday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.