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2014年4月14日 ・・・ 日常という今この時

陰極まれば陽になる。
一ヶ月間不調の極みをさまよい、その後それを脱し、
今はその反動を得て、心身ともにとても充実した時を過ごしています。

今はただ “今という瞬間” の有り難さを心から味わっています。
そうなれたのは理屈ではなく、旬という時の理です。

前項に書いたように、“今” という時の大切さ説いたものに得心し、
腕時計を手元に引き寄せ、
左脳から生じる思考のさざ波から脱する必要性を強く感じるようになり、
それらが無為に時が流れがちになる不調和の葛藤の中で光となり、
それまでとは異る新しい境地を拓いてくれました。

これは葛藤があればこそ得られたものです。
葛藤があるからこそ求める気持ちが強くなり、
すべてのことに対して感覚が鋭敏になり、
引き寄せの力も強く働きます。

今の自分はそれを手にする時に至ったのだと思います。
そのためにも、必要があってこのたび葛藤を経験したのだと感じています。


今という瞬間に、今まで以上に集中することができるようになり、
過去や未来、今とは関わりのない他の場所、他の人たちに対しての
様々な想念(雑念)が、波を引くように静かになりました。

どんな時でもそのように心静かにいられるわけではないのですが、
その瞬間を少しずつ増やしていくことがこれからの課題であり、
そのためのコツとなるものを、このたび手に入れることができました。

これもやはり理屈ではありません。
本を読んで情報を知り、他人の体験談を聞いてできるというものではありません。
心の中で求め、その方向に歩を進め、
様々な経験、葛藤を経て、少しずつ体感として得ていくものです。
そしてもちろん自分もまだその過程にあります。


これまで行ってきた呼吸法や体幹を鍛えるトレーニングも、
この今という時を強く感じる一助となるものであることをこのたび感じました。
そうしたら面白いもので、
体幹(体の中心軸)と、今という時が強く結びついているということを、
これまで以上に肉体的に強く感じ、意識できるようになりました。

断片的なものにしっかりとした繋がりができ、
それを元に互いにその役割を強め合っている感覚です。


今を強く感じられるから、雑念が静まります。
また、雑念を静めることができるから、今をより強く感じることができます。

今を強く意識するようになり、
これまで多くの雑念に惑わされ、
今を大切にしないと同時に、
過去や未来もまた大切に扱うことができていなかったということを感じます。

現実は今にしかありません。
過去や未来はすべてが観念の世界のものであり、
過去のしがらみや未来への不安(希望も)に縛られるのは、
今という現実を逃避していることに他なりません。

時は今しかない。
時の流れは過去と未来があるのではなく、
今という時の積み重ねである。
このことが少しずつ深く感じられるようになりました。

今から意識を逸らせることは現実逃避であり、
意識の焦点をぼやかせ、
大切なものを見失ってしまう危険性を持っています。

今を強く感じると、
目の前のことが確実にこなせるようになります。

これまで “いつかやらなければ ・・・ ” と、
その必要性という現実から目を逸らしていたものに目が向き、
長い間課題として残っていたものが確実にクリアーされていきます。

これまで目を逸らしていたものにも、
潜在意識は常に休まずに目を向けていました。
ですから過去の課題をクリアーするということは、
より刮目すべき大切な課題に意識の力を集中させることになります。

今を見つめるから、大切なものに目か向き、
大切なものに目が向くから、より今を深く見つめることができる。
この善循環サイクルをいかに上手く回すか、
これが今最も強く感じていることです。


やはり目に見えるものと見えないものは陰と陽、対の関係、表裏一体です。
今回もそのことを実感しました。

心の中の思考や感情を手放し、今を強く意識するようになってから、
これまでなかなか整理できなかったモノに、
少しずつ手が付くようになりました。

まだ少し残っていたガラクタを処分し、
いつか時間があれば整理しようと考えていた資料を整理し、
大切な情報をまとめることができました。

今という瞬間、それは肉体的には体幹、丹田(下腹部)、肛門に通じます。
そして物質面でいえば、より身近なもの、
すべてのベースとなるもの通じます。

これもやはり善循環です。
モノを整理することにより、
余分なものに意識のエネルギーを費やす必要がなくなり、
より今に、そして大切なものに意識を向けることができます。


目に見えるものと見えないもの、
すべてのものは繋がりを持ち、互いに深く関連し合っています。
そして関連し合っているからこそ循環が起こります。

けれどその循環はいつ大きく動き出すか分かりません。
分かりませんが、春には必ず桜の花が咲くように、
いつか必ず時の理を得て、旬を迎え、
大きな循環は渦を巻くように起こってきます。

そのキッカケを掴むものは何か分かりません。
分かりませんが、すべてのものは関連し合っているのですから、
そのすべてのものが大きな循環を作り出す種となり得るのです。

種は土の中に蒔くものです。
種を日の当たる、人目の付くところに蒔いていては芽を出しません。
種は日の当たらない、人目の付かない土の中に蒔くからこそ、
少しの時を経て、目に見えない土の中で根を張り、
大きく花開かせる芽となって地上に現れます。


このたび自分自身を振り返って、
インドの子どもたち、その何気ない日常の中から深く感じるものを得たことが、
大きな幸せを導く種となったのだと感じます。

日常、なんという素晴らしい言葉の響きでしょう。
この日常の素晴らしさ、日常の中にこそ素晴らしいものが存在するということを、
インドの子どもたちは深く心に刻んでくれました。

日常とは今この瞬間のこと、
やはり幸せの青い鳥は、最も身近なところにいたのです。

2014.4.14 Monday  
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