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2012年9月30日

今日で9月も終わりです。
スーハカレンダーによると、9月は、
「最後の詞(ことば)を和とすることで完成する」とあります。

9は完成の数字なので、
9月をもってひとつのものが終結するという意味合いです。
実際に私の身の回りでも、様々なことが総決算する方向へと動いていて、
9月の後半あたりは、かなりのプレッシャーとともに、
やるべきことをたくさん抱え走り回っていました。

総決算を終え、いよいよ実りの秋も本番です。


ホームページを通して知り合った方たちと、
メールのやり取りをするのはとても楽しみです。

嬉しい感想をいただいたり、思わぬご意見を聞かせてもらったり、
自分の書いた文章に対して新鮮な目を持つことができ、
またとても励みになります。

メールでその返事を書く時はさらに新鮮です。
その方のことをイメージしてキーボードを叩いていると、
今まで思いもしなかったことや、
また思いとしてはあっても言葉になっていなかったものが、
ポロッと表に現れてくることがあり、
「あっ、今ここに書いていること、こんどホームページに書かせてもらおう ・・・ 」
と思うことがしばしばです。

人様によって自分の中のものが引き出される、気づかされるのです。


その人との関係は、別に1対1でなければいけないということはありません。
普段身の回りの人たちを見て、
その中から気づかされることも多々あります。
「人の振り見て我が振り直せ」です。

ただその気づかされる時というのが、
相手の悪い部分に目が行った時のことが多く、
私がいくらストレートな人間だとはいえ、
モラル的にここではなかなか書くことができません。

どういう人がどんなことをし、それがいかにまずいのか、
具体的事例を出して書いていくと、
自分の考え方がハッキリと伝わっていいのですが、
それはなかなかできないですね。


けれど今日はひとつだけそんなことを書かせていただきます。

私はツイッターをやっています。
やってはいるものの、ほとんどホームページ脇の掲示板代わりで、
積極的に人をフォローしたりし、
身近な人のツイートを追うことはしていません。

それでも時々私をフォローしてくださる方(フォロワー)がおられ、
今日現在フォロワーは89になっています。

ツイッターはどういうシステムになっているのかよく分かりませんが、
私をフォローしてくださる方がいると、
メールで通知が来るようになっています。
  (けれど来ない場合もあり、その点が不可解です)

少し前にその通知があり、
開いてみると、少しメタボな女性の顔写真か載っていました。
ヒーリングサロンを開き、
人の心のお悩み相談に乗っておられる方のようです。

けれどその女性の顔は、以前もどこかで見た記憶があります。
たぶん数ヶ月前にも私をフォローしてくださり、
その時に見たものだと思われます。

その方が再びフォローしてくださったということは、
以前していたフォローを一度解除し、そして再び、という形なのだと思われます。

その方のプロフィールを見てみると、
フォローしている数もフォロワーの数も、
ほぼ同数の一万数千人でした。

一万数千というのはものすごい数です。
有名人でそれだけのフォロワーを持たれている方はよくいますが、
自らそれだけの数をフォーローしても、
その人たちすべてのツイートに目を通すことは絶対に不可能です。

ではなぜそうなったのか、理由は実に単純です。
とにかくやたらめったらいろんな人をフォローし、
しばらくしてから、
自分がフォローした人が、自分をフォローし返してくれたかを確認し、
そうでない人はどんどんとフォローを切っていくのです。

この作業を延々と続けているからその数が一万数千人となり、
フォローもフォロワーもほぼ同数となるのです。

それが証拠に、一週間ほどした後、
その方からのフォローは消えていました。


こんな人が平然と存在するのがネット社会の恥部だということを
以前も書いたことがありますが、
再びそれを目のあたりにし、
悲しくはないものの、実に情けない気持になりました。

少しでも顔を売りたくて、名刺交換をするため走り回り、
膨大な名刺を配ると同時に、
手元に山のように集まった名刺は見ることもなくゴミ箱に入れてしまう、
あなたはそんな人と友だちになれますか?
そんな人に自らの心を癒してほしいと思いますか?
また癒やせると思いますか?

現実社会ではありえないようなことが、
ネット社会では当たり前のように存在する、
これがネットを中心とした情報化社会の怖さです。

私が情けないと感じるのは、
そんなことをしている自称ヒーラーの女性に対してもですが、
それ以上に、そういった人の行為を許してしまっている、
また見逃してしまっている人が多いという事実です。


人間にとって最も大切な力は判断力である、
そう感じるようになってから十年ちょっと経ちますが、
その思いは、最近になってますます強くなるばかりです。

身の回りに情報があふれればあふれるほど、
人はその情報にどっぷりと浸かり、
その情報の波に流されてしまいます。

またその情報の中にある “立派な権威ある人の判断” を拠り所とし、
自ら考え、感じ、判断するということを放棄してしまいます。


先の事例もそうですが、
本当に大切な判断というのは、
きわめて高度な物事の中に存在しているのではなく、
ごくごく身近なものの中にあります。

高度な情報化社会というのは、
たくさんの常識、当たり前というものの上に成り立っていて、
その土台となる最も大切なものは、
ひとつひとつその意味や価値を深く考えない、ということが前提になっています。

これは社会や文明が、それまでと同様にひとつの方向に伸び続けている時は、
大きな問題を生じませんが、
今のように価値観が大きく変わりつつある時には、
すべての土台の意味と価値を問い直す必要が出てくるのです。


先のヒーラーの女性は、
これからの時代の心の問題を扱おうとしているにも関わらず、
旧時代の大量生産大量消費、効率的、機械的、
そういった相反する思想でビジネス展開していこうとしているため、
矛盾と偽善、欺瞞といったものを強く感じさせます。

けれどそのことに気づかない人が多いというのは、
それを求めている人自身が、
スピリチュアリズムと口では言いながら、
結局は旧時代と同じく物質的快楽を求めすぎているからではないでしょうか。

物質依存からの脱却は、スピリチュアリズムの入り口です。


今年の夏は全国的に猛暑、そして厳しい残暑でした。
10月に入り、いよいよ秋本番となり、
心地いい季節の中で思いっきりいろんなことに取り組める喜びを感じています。

2012年10月のスーハことばは、
「全て実践する・行動する・完成する」、
まさに実践の秋、実りの秋ですね。 (^o^)v

2012.9.30 Sunday  
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