好き嫌い<2>
「好き嫌い」の判断を、表面的な思いに囚われることなく、
心の奥底から引き出すというのは、なかなか難しいことです。

好きと嫌いの感情は対極にありながら、
また別の見方をすれば紙一重の差ということもあります。

人間関係で言えば、
似たもの同士で馬が合う場合もあり、
自分と似ているが故、その人の欠点を許せないということもあります。

性格がまったく逆で、お互い足らない面を補い合う凸凹コンビもあれば、
考え方が違うために激しくいがみ合うこともあります。


もう三十年以上前、中学生だった頃、
学年誌(当時あった中一コースとか中一時代とかいうもの)の中に
学習法をアドバイスするコーナーがあり、
そこにこんなことが書かれていました。

あなたが一番苦手とする教科にチャレンジしてみよう。
一番苦手な教科は、一度好きになれば、
一番好きな教科になる可能性があります。


本当にこんなことがあるのでしょうか?
執筆者は何らかの経験に基づいてこれを書いたのでしょうが、
ちょっと常識とは違うことに驚き、この言葉が強く頭に印象付けられました。

それから人生様々な経験を経ながら、
時折このことについて思い起こすのですが、
「教科」という言葉をもっと幅広い言葉に置き換えて考えてみて、
これは深い真理を含んだ真実ではないかと考えるようになりました。

最も嫌い(あるいは苦手)なものほど大好きになりやすい。

私はこれに当てはまる経験をこれまで数多くしてきました。

子どもの頃までは、嫌いで一口も食べられないという食べ物がいくつかありました。
納豆、とろろ芋、セロリ、トマトジュース、
なぜ嫌いだったのかということを言葉で説明するのは難しいですが、
強いて言えば、口に入れた時の食感が気持ち悪い、
においが生臭く感じられる、といったところでしょうか。

けれども二十歳を過ぎた頃から、
なぜか理由は忘れてしまいましたが、
「出されたものはすべて美味しくいただく」ということをモットーとするようになり、
嫌いな食べ物を意識して口に入れるよう訓練し、
その結果、嫌いだった食べ物すべてが食べられるようになりました。

苦手を克服した食べ物は “食べられるようになった” というだけではなく、
すべてが好物となり、今では好んでよく食べています。

学校の勉強では、九教科の中で音楽が一番の苦手科目でした。
超劣等生だった私は、とにかく学校では一切授業を聞かず、
家でもまったく勉強をせず、
宿題というものもほとんどやっていった記憶がありません。

そんな状態ですから、
音楽も最初の音符の読み方、ハーモニカ、笛の吹き方といったところからつまずいて、
中学校の時は笛のテストの日にずる休みしたことがありました。

そんな私ですが、
高校生になってステレオに興味を持ち、ロックが好きになり、
興味本位でエレキギターを弾くようになり、
音楽は聴く方だけではなく演奏することにも興味を持つようになりました。

ある時知り合いにギターを貸して、家にギターがなくなり、
手持ちぶさたで手近にあった中学校時代の笛を吹くと自然と吹けるようになり、
ピアノも家にあるのを適当に触っているうちに両手で弾けるようになり、・・・
そんなこんなで今は音楽、楽器というものが生活になくてはならない
とても大切なものとなりました。

いろいろと考えてみると他にもあります。
今は文章を書くことは割と得意で、
私の文章は読みやすいと時折評価してくださる方もいるのですが、
子どもの頃は作文というのが大嫌いでした。

小学校低学年の時、
提出した作文の講評で、先生から句読点の打ち方の間違いを指摘され、
それが大きな心の傷となってしまっていたので、
とにかく文章を書くことを毛嫌いし、恐怖心すら持っていました。

それが克服できたのは社会人になってからです。
句読点の打ち方に絶対的な法則というのはなく、
人によってかなり適当で、少々のことは許容されるのだということを知ってから、
一気にトラウマが消えてしまいました。

すごく嫌いだったものがすごく好きになるというのは、
それまで抑圧されてきた思いが一気に解放され、
“嫌い” という苦しみの感情が、 “好き” という喜びの感情に
短期間のうちに変化していくからではないかと思います。

今まで足を踏み入れたことのなかった世界に入り、
新鮮な気持ちでそのものと関わることができるのかもしれません。


東洋の基本哲学のひとつに
『陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる』
というのがあります。

風船が大きく膨らみすぎれば爆発して一気に小さくなり、
縮こまったバネは、大きな反発力を持ち、
解放された瞬間、一気に大きく伸びていきます。

毎日がむしゃらに動き回っている人が、
無理をしすぎて倒れてしまい、
まったく身動きができなくなるということもあります。

長年目に見えないところで地道に努力を積み重ねてきた人は、
成果が現れはじめると、一気に大成功することがあります。

両極端は対極にありながら似た性質を持ち、
一気に対極に転ずることとがあるということです。


『生きることは学びである』という考え方からすると、
苦手とするものの中にこそ大いなる学びがあり、
いったんそれを受け入れたならば、
その自己成長に繋がる学ぶこと自体が、
大いなる喜びとなるのかもしれません。

特に苦手として長年避けてきたものの中にこそ、
自己成長の大きなヒントが隠されているかもしれません。


私は今英会話の学習をしていますが、
私程度のレベルだと、少し真面目に学習を続けると、
明らかに英語力が向上したことを体感できます。

今までまったく聴き取れなかった英会話が聴き取れるようになる、
読めなかった英文が辞書なしでスラスラ読めるようになる、
いくつになっても、能力が向上しているのを実感できることは喜びです。

これが長年苦手意識を持ち、
強いコンプレックスを抱いていた分野のものならばなおさらでしょう。
暗く抑圧された感情が一気に花開き、
新しい自分を発見する喜びで心がウキウキとしてくるはずです。


常に自分の内を見つめ、自分に正直に生き、
人の持つ感情の根幹である好き嫌いの感覚に目を向けることは、
頭でっかちになっている現代人にとっては特に大切な事です。

そしてそれと同時に、そのわき上がってくる感情の元を知り、
本当に自分にとってプラスになるような選択をすることが、
人生の幅を広げることにつながります。

感情の処し方というのは、
人間が一生かかって学ぶ奥の深いものですが、
苦手とするものの中に自分の新しい世界を開く鍵があるかもしれないというのは、
考えただけで楽しいものです。

苦手意識という「ワク」を取り払ったら、
心躍る「ワクワク」 ・・・ する世界が待っています。 (^o^)v

2009.03.13 Friday


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