近況_120624 |
またまた更新期間が長く開いてしまいました。 幸いなことでもあるのですが、ホームページを書く時間がまったくありません。 いただいたハガキや手紙の返事も一週間分ぐらいたまってしまいました。 それでも一昨日新しいページを書こうと途中まで書き上げたものの、 他の作業と並行して行い、寝不足で頭がしっかり働いていなかったこともあり、 間違って「保存せずに終了」をクリックしてしまいました。 (☆o☆) こういうのは結構ショックです ・・・ 。 いつも同じことを書いて恐縮ですが、 本当に日々奇跡の連続で、それがますます加速化しています。 まるでドラマの総集編、物語の佳境に入ったという感が強くあります。 偶然とは思えないようなことが次々と起こり、 自然と心の向くことを行っていると、 ベストタイミングで人やものとの出会いがあります。 「サカイさん、いい時に来てくれたね〜♪」 ここ一週間だけでも、こんな言葉を何度も聞かせてもらいました。 頭の中でふと考えていたものが、どんどん目の前に現れます。 すべてものはつながっています。 ですから人に対してすることは自分に向けてするのと同じこと、 「情けは人の為ならず」、 自分の行いは必ず自分に返ってきます。 このことを日々強く感じます。 けれど人の心は弱いものです。 そのことを頭で分かっていても、それを100%行動で表すことは困難です。 何度もその意味を深く感じさせられる体験に出合っても、 どうしても不安や疑いの心が芽生えてくるものです。 そんな不確かな経験を何度もくり返しながら、 人はすべてのものの根底に潜む生命法則を感じ取っていくのだと思います。 この数日、「情けは人の為ならず」を感じさせることが何度も起こりました。 ボランティア人間である私は、行動で奉仕をすることはたびたびですが、 お金を寄付することはめったにありません。 それでも先日あるところに少額のお金を寄付したら、 すぐにその関係先からそれ以上の額の臨時収入がありました。 ここ数年、数十万円の未回収の売掛金があって頭を悩ませていたのですが、 先日その問題に決着がつきました。 残念ながらそのほとんどの権利を放棄してしまいましたが、 これでこの問題には終止符が打たれ、 自分が「大人の対応」ができたことに一応の満足感を得ることができました。 するとその翌日、まったく偶然導かれた地方都市で、 その手放した売掛金を上回る利益の得られる話をまとめることができました。 手放せば入る、人に与えた愛は必ず自分に返ってくる、 執着を手放せば心が自由になる、 今そんなことを実生活の中で学ばせてもらっています。 平和が日常のテーマである広島で、 平和関係の会合に参加すると、参加している人たちが皆 「我々こそが戦争のない真に平和な社会を実現するんだ!」 という強い意気込みを発しておられるのに感動します。 今は時代の超大転換期ですので、 そんな夢物語のような社会が実現する可能性はまったくないわけではありませんが、 そこに至るには、 命の原点を見つめ直すというきわめて大きな壁が立ちはだかっています。 今も世界各地で無益な殺し合いが繰り広げられていますが、 過去の歴史を紐解いてみると、 今は歴史上最も平和な時代であるというのはたぶん間違いのない事実です。 近代以前の人類は、平均して15〜20%は戦争で殺され、 数百年前までは、最大の死因は殺人であったと推測されます。 この世の目に見える形として生命を有するものは、 他の生命を搾取、あるいは寄与してもらはなければ、 その生命を維持していくことができません。 この業ともいえる仕組みの根本を理解し、受け入れなければ、 真の平和の持つ意味を解き明かすことができないであろうと考えます。 今日、広島最大の商店街である本通りで、 幼い女の子に心臓移植の手術を受けてもらうための募金を呼びかけていました。 大人の人たちが総勢二十名以上はおられたでしょう、 手に募金箱を持って大きな声で呼びかけたり、 道行く人たちにチラシを配っておられます。 こんな大規模な医療支援募金活動を見たのは初めてです。 たぶん海外で心臓移植手術を受けるためには、 数千万円規模のお金が必要なのだと思われます。 その小さな命を救うため、懸命に活動することは尊いことだと思います。 そう思いはするものの、やはりその中に矛盾を感じずにはおれません。 その子に心臓移植手術を受けさせる数千万円のお金があれば、 今この瞬間に飢餓に瀕している何百人、 もしかしたら何千人の子どもたちの命を救うことができるかもしれません。 インドでは貧しさのために目をつぶされ、 手足を切り落とされ、プロの乞食にされる子どもが今も実際に存在します。 そのお金があれば、そんな子どもたちを何人救うことができるでしょう。 先日、「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という記事を読みました。 命の尊厳とは何なのか、人はどの様な形で死を迎えるのが理想なのか、 そんなことを考えさせられました。 そしてここに事実としてあるのは、 その自然の理に反しているともいえる延命措置を施すのに、 莫大な医療費がかけられているということです。 老人大国日本で、貧にあえぐ多くの若者が自ら命を絶っています。 <20代若者の死因トップが自殺・・・就職難による就職失敗が原因> もしその医療費を、未来ある若者の支援に充てることができたなら、 現状を少しでも改革する有効な手段となるかもしれません。 こういった問題に答はありません。 ありませんが、このような命のあり方に関わることに対して 自らの考えたかを即答できなければ、 真の平和を求めることはできません。 平和とは、命のあり方を考えることそのものです。 2012.6.24 Sunday |