鍵山秀三郎先生講演会
カーショップ「イエローハット」の創始者であり相談役、
掃除をすることで心を磨く道を日々全国に伝え歩いておられる
「日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎先生のご講演を
地元広島で聴く機会がありました。

とても素晴らしいお話しでしたので、
ここにその講演の内容をご紹介いたします。

ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる―心を洗い、心を磨く生き方
ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる―心を洗い、心を磨く生き方亀井 民治

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starsトイレに置いています。
stars己に正直であることを…。
stars人生の道を 掃除を通じて教えてくれる
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ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる


2007年7月6日
積極人間の集い 於:広島


みなさん、おはようございます。
今お話しがありましたように、小林常光さんがとても控えめに、かつあつかましく私に
「この日の朝はどうなさっているのですか?」と問い合わせをくださいまして、
「いや、その日の朝は特に予定はないですよ」と言いましたら、
「こういう会(積極人間の集い)があるので是非」ということで、お招きをいただき、皆さんの前に立たせていただいております。
よろしくお願いいたします。

鍵山秀三郎先生 ご講演

実は毎週月曜日の朝、うちの店(イエローハット)でお客様から引き取った古タイヤを引き取りに来る業者さんがいるんですね。
朝6時半頃に来て、一人でもって普通240~250本、多い時で300本以上、年末なんか500本も600本も出るそのタイヤを一人で積んで、大変なことなんですね。
それで私どもはいつもその時間に10人ほどで待っていて、手伝うんです。
10人ぐらいでやるとあっという間に終わって、業者さんはニコニコしながら帰っていくわけです。
で更に、今週は一歩進めて、私がトラックが来るまでに、トラックの荷台のところまでタイヤを出しておけばもっと早く済むだろうと思って、朝6時頃に行ってやっていたら、横っ腹が痛くなってしまいまして、今でも痛いんですけど・・・。
こういうのを片腹痛いというんですね。(笑)

でそうしますと、人間というのは不思議なものでしてね。
痛くなかった時は幸せなんです。
ところが痛くなるとどうなるかというと、この幸せだった痛くなかった時のことは忘れて、災難だと思う。
本当は何事もなく、平凡に過ごしている時が一番幸せなんですね。
ところが、この幸せだということにほとんどの人が気がつかない。
何かあった時に、そのことだけを“災難だ”、“不幸だ”と捉えてしまうことが多いんですね。
何もなかった時の幸せに感謝して、ありがたく思わなければいけないんですね。
例えば夫婦でも、何事もなく平凡に暮らしている時はいいんですけど、一旦ケンカをすると「なんだ!」というようになる。
実は何事もなく平凡で、別の言い方をすれば、退屈のような生活をしている時の方が幸せなわけです。
ほとんどの人は、その幸せに気がつかないですね。
そして退屈だ、もっとハリのある生活があるんじゃないかとか、私の人生はこんなはずじゃなかったみたいに思ってしまう。
実はこういう時が一番幸せだということを知って、そのことに感謝できる、そういう人生になっていただきたいと思います。

私は昭和8年8月18日生まれで、子どもの頃はとても裕福で何でもありました。
その何でもあるということが当たり前だったわけでして、そうしますと、何でもあって不自由ないのに、もっと何かが欲しくなるわけです。
そして今度は戦争で何もない生活に陥ると、「ハァー、前はよかったなぁ」と初めて前の生活のありがたさに子どもでも気付くわけです。
ですから、何かあって気付くのではなく、何もない時に気付けるようになったら、人間というのは本当に素晴らしいわけであります。
そういう人たちが増えれば、この世の中は感謝に満ちて、とてもいい世の中になると思います。

茨城県に田中薫という五行詩という五行で詩を書く詩人がおられまして、その方の詩を私は時々読むのですが、その中にこんな詩があります。

  幸せは小さいほどいい、大きいと持ちきれないから

  愛は小さいほどいい、大きいと返しきれないから


こういう五行詩があるんですけれども、本当にこの人、田中薫さんの言う通りですね。
大きな幸せっていうと、もっともっと欲しくなる、もっと幸せになりたいと・・・、
そして平凡な、今持っている幸せに気付かなくなる。

哲人で政治家でもあったキケロという人がいます。
かってのローマ時代、有名だった人です。
「人間というものは不思議なものだ。
 ある程度持つと、持っていることを忘れて、もっと欲しくなる動物だ」

と言っているんです。
ですから、今持っているもの、今置かれている環境、今の境遇、そのことのありがたさ、今こうして息をして話もできて目も見える、こんな当たり前のことをありがたいと思える人生、こうありたいと思うのです。
私は幸いにして、大変大きな災難に遭ったがために、平凡なことがいかにありがたいかということを知り、そのことにいつも感謝できるようになってまいりました。
どうか皆さん方にも、こういう生き方をしていただきたいと思います。

さて次は非凡な人生についてです。
非凡な人生というと、普通の人ができそうもないことをやる人生、とんでもない発明をしたり、偉大な事業をやるとか、そんな人のことを思いがちですけど、そんなことはないんです。
誰でも非凡な人生は歩けるものなのです。
それはどういうことかと言いますと、どんなことをやるに当たっても、どんなささいな、簡単、単純、取るに足らない、人が顧みない小さなことをやる場合でも、自分の持てる知識の中で最善のことを探し出す。
そしてそれを最善の方法で実行し、積み重ねていく、これが非凡への道なんですね。
それを「なんだこんなこと」と言って、
「こんなことは工夫の余地がない」とか「どうやったって同じだ」というような考えを持つと、それは非凡への道の反対の道に入っていくわけなんです。
ささいなことに対してでも、そうなっていただきたいと思います。

今私どもの会社では、朝掃除研修ということで、朝7時ちょっと前に来られて、私どもの社員と一緒になって掃除をして帰っていく方が増えてきました。
今も日本生命さん、帝人さん等何社からも申し込みがありまして、以前は住友生命さん、ちょっと前までは大手広告代理店の博報堂さんの社員の方が、感心なことに半年以上毎週来ておられました。
博報堂の方は三人来られていて、最初はいつまで続くかなと思っていたのですが、また来られる、また来られると、ずーっと続くのです。
そこで5月になって私が
「失礼ながら、あなたたちいつまで続くかなと思っていたのですが、感心なことに毎週来られてますね。今日は私が一緒に掃除をやりながら、掃除のやり方をお教えしましょう」
と言って、お教えしたんです。
たまたまさっきまで雨が降っていて、下に落ちている落ち葉とかゴミが雨に濡れ、下にくっついちゃっている。
そこを一緒に掃き上げた時に、三人の中の一番の長になる方が、ホウキでこうやって力任せに掃くんですね。
けれども掃いたってゴミは取れません。
それを四回も五回も同じように掃くわけです。
「あなた、それはね、一回はいいけれども、二回目は掃けないと思ったら、ホウキの使い 方や角度を変えなきゃダメです。
 それをさっきから見ていると、あなたは四回も五回も同じ使い方をしている。
 もうこれ以上何回やったって取れないと、あなた分かっているでしょ。
 同じことを何度も繰り返すのは、執念があっていいように思えるけれど、(笑)
 工夫がないですよ」
こう言ったんです。
一回掃いてこれ取れないな、二度目三度目やっても同じだな、と頭が働いたら、すぐにホウキの使い方を変えなきゃダメです。
そういう時はホウキの先の当て方を変えて、細かく小刻みに掃いていくと、下に貼り付いたものがポロポロポロポロとはがれて取れていく。
それでも取れないものは手で取るんですね。
いずれにしても、ホウキの角度、使い方、手の持ち方、・・・ホウキ一本の使い方だってたくさんの方法があるんですね。
それを瞬時にして、その時の状況に合わせて最善のやり方というものを見つけ出して、それを手がすぐに実行していく、・・・こういう風になった時、あなた自身の進歩となり、しかも掃除の技術が向上していくんです。

そういう風になる一番の底辺は何かというと、それは真心です。
真心、誠意がないとできないんです。
一番の底辺に真心、誠意というものがない人は、そのいい方法を探し出してやっていくということができないんですね。
ということで、一番大事なことは目には見えないんですよ。
誠意だとか真心だとか、その見えないことを大事にして、いつも培っていくということがとても大事なんですね。

でも実際に心というものは見えないか?
見えますよ!
その人の態度、表情、仕草、その行動によって、その人がどんな心を持っているかということが、ちゃんと表われるようになっています。
ですから真心を持っている人は、それなりの態度になって表われます。
真心がないと、あの北海道のミートホープという会社の社長のように、一目見て“あの人には真心とか誠意というものがないな”と、あの態度、表情すべてに表われていますね。
という風に、心というものは見えない、けれども形を変えてちゃんと人には伝わっていくものである、こういう風に思うのですね。
ですから掃除をしている時でも、例えばゴミをちり取りに取る時の態度にも、真心がないと、ただ闇雲にやろうとする姿で表われるんですね。
こんなにたくさんのゴミがあるのに、ホウキで、その小さいちり取りに入れようとしたって入らないです。
そういう時は、おおかた手で押し込んで、それで八割方先に取ってからあとのものをホウキで掃けばいいんですけど、こんなに山のようにあるのに、これぐらいのちり取りで押し込もうとしたって入らない。
それを先に一回取って、そのあと掃くんですね。
いくらでもどんなささいな単純なことでも工夫の余地がある。
そこに自分の真心を表わすチャンスがあるわけですね。
まずそれを通して自分の真心、誠意というものを培っていく力にもなるわけで、そしてそういうことをするということはですね・・・、

変化を求める、具体的目標が見えてくる、
  ・・・という気持ちに繋がりますね。
どんなことでも変化を求め、変化が現われてくるとどうなるかというと、次の目標が見えてくる。
変化を求めない人は、何にも目標が見えてこない。
絶えず変化を求め、そのことを自分の行動で表わしていくと、やっていくうちに次々と目標が現われてくるんですね。

先月の末、うちの会社にロシアの経済視察団一行35名が来ました。
4月にうちの会社を訪問したいと申し込みがありまして、
「あーこれはロシア人にどうやってうちの会社の文化を説明しようかな。
 口では説明できないから、会社の状況を感じ取ってもらおう」
ということになったわけです。
今うちの会社の本社は、建築をしてこの1月で6年経っています。
6年経ちますと方々痛んできて、外壁が痛んでひび割れて、そこから雨水が入って少し汚くなってきたりとか、特にエレベーターなんかは、宅急便の人とかいろんな人が台車を持って入って、ボーンと乱暴に扱うものですから、下の方は傷だらけなんですね。
そういうのを時々拭いたりしているのですけど、拭いても取れないような傷が、この6年の間にいっぱい増えちゃいました。
それで私がですね、ここは拭いても塗ったりしてもダメだから化粧板を腰の方だけ貼ってきれいにしとこうと言ったらすぐにやったんです。
そしたら今度はそのエレベーターをきれいにした人間が、
「ここだけではなくそこもやりましょうか、あそこもやりましょうかと」
ということになって、次々とやっていく。
そうすると一人では足りなくなって三人、五人、十人、・・・段々と輪が拡がってみんなが
「あそこもやろう、ここもやろう」
と自分で次の目標を探し出してやっていった。
するとなんとどうなりましたか。
わずか一ヶ月ちょっとの間に、建設会社から新品で受取った時よりもよっぽどきれいになりました。

それでロシアの視察団から昨日私の留守中に本社にお礼状が届いていました。
「本当にいい会社を訪問してよかった」
視察団ですから方々を見学したんでしょうけれども、一番勉強になりました、ということを書いた喜びの礼状が届いていたわけです。

このように変化を求める気持ちは、具体的な目標が見えてくる。
そして自分でこの具体的目標を見つけますと、もうやれと言われなくてもやるようになるわけですね。
なんにも苦痛がない、自分でやろうと思ったことですから、苦痛もプレッシャーもなにもない。
と言うことで、この掃除という行為が、どんどんどんどん広まりつつあります。
またこれによって皆さんご承知のように、荒れていた学校が見事な学校に立ち直ったりですね。
暴走族が暴走行為を完全に中止をしたり、いいことがたくさん起っていますね。
それ以外にも、そうやって表に出ないけれどもいいことが方々で起っています。
今日も○○さんからそのいい例を聞きました。
仕事のことでプレッシャーを感じてイライラして部下に当たっていた人が、掃除をしはじめたら非常に穏やかになり、業績は変わらないけれども自分の人生を変えて、それによってまた部下の人たちが変わっていったというような事実を今日聞きまして、ああ、やっぱりそういういいことが次々と起ってくるんだなと思うんですね。

と言うことで、掃除というものは変化を求める。
変化を求めるという気持ちが湧いてくると、皆さんも覚えがありますよね。
例えば、ここまで掃除しようと思っていてこまでやってくると、ちょっと向こうにゴミが見えてきて、もうちょっとそこまでやっちゃうということが。
私もよくあります。
もう今日は暑いし、そこまでやればいいやと思っているうちに、だんだんだんだんと遠くまで行っちゃって。(笑)
いやホント、そうですよ。
うちは今そうとう遠くの方まで行っています。
通る人が「どこの人ですか?」って、
「いや、あそこのイエローハット」って答えると
「こんなところまで来るんですか!」ってビックリする人がよくおられます。

最近は「いつもご苦労さんです」なんて挨拶されたり、話しかけられたりして、・・・
けど本当は話しかけられると困るぐらいですね。
立ち話をしてしまって。
こっちは早く次をやってしまいたいと思っても、立ち話をされちゃったり、犬の散歩の途中で声をかけられたりしてですね、掃除の手が止まってしまうことが多いんです。
でもこれによって何が起きているかというと、今までまったく何の関わりもなかったその地域に、そうやって次々と人の会話というものが生まれてくるんですね。

残念ながら今の東京では、隣の人とでもまず話をする機会はありません。
両隣の人だって、私は表で会ったら分からないでしょうね。
私は毎日朝早く家を出て、夜遅く帰り、日中家にいませんので、そんなもんです。
ある時ですね、私が用があって昼間家に帰ったら、隣の人が垣根越しに草取りをしておられた。
そこで、あっこんな時だ、と思って、
「いやー、うちはいつも留守してまして、お世話になってます」と言ったら、
変な顔をして私を見るんですね。
よっぽどうちが迷惑をかけているのかなと思ったら、それは隣の人じゃなくて、植木屋さんが来ていたんですね。(笑)
私は隣の人の顔を全然知らないんです。
ある時子どもが小さい時、近所のお店に買い物に行ってたら、まったく知らない人が丁寧に挨拶するんですね。
「これ誰かな」と思ったけど挨拶すると、
「隣の○○です」と言われて・・・。
そんなもんですよ。

それがなんとですね、この東京都心部で、まったく縁もゆかりもない、どこに住んでいる人かもしらない人が、非常に懇意に会話をするようになる、こんな素晴らしいことはないと思いますね。
近所の菅刈小学校の子どもたちが何人も
「おはようございまーす」、「おはようございまーす」と声をかけてくれます。
緑のおばさんが私たちがずーっと掃除をしていると、
「ご苦労さんです。いつも」、「暑いのにすみません」、「寒いのにすみません」と声をかけてくる。
「お陰で子どもたちがとてもきれいな道路を歩けて助かります」とか、もうどんどんどんどん会話がはじまるわけなんですね。
ですから是非皆さん方も、小さなことをキチンとして、非凡な人生を歩んでいただきたい、これが今日皆さん方にお話しする主題でございます。

掃除のような単純なこと、しかし単純だから簡単にできるとはいえない。
いつでもできそうで簡単、単純だけれども、いつでもできるわけではない、それは心に誠意、真心というものがなければできないです。
また、いいと思ってはじめても継続できないですね。
わずかな間なら誰でもできますが、長く続けることができないですね。
ですから続けていくためには、底辺にその人の真心、誠意というものがある。
もうひとつは、工夫するということ、工夫する心がない人は継続できないですね。
どんな単純なことでも工夫をして、よりよくしていくという気持ちを持ちながら、それを絶えず実践する、こういう風になっていただきたいと思います。

日本はいまだかってないほど豊かな国になりました。
私の74年の人生の中でも、こんな豊かな時代はありませんでした。
貧しい生活といっても、昔の貧しさとは全然違いますよね。
昔の貧しさというのは、本当に何もない貧しさでした。
今は貧しい貧しいといっても、それは欲しいものが買えないとか、贅沢ができないとか、わがままが通らないといった意味での貧しさです。
わがままや贅沢をしなければ、昔と比べると必要最低限の暮らしは十分にできます。
その成果として人間の寿命も延びています。
私の子どもの頃は、だいたい50代の末か60代はじめぐらいで亡くなっていましたね。
それが今や20年、25年以上寿命が延びているということは、いかに食べ物がよくなって、着るものがよくなって、住まいの環境がよくなって、医療設備が進んで、・・・もうすべてのものが進んできたから、こうなったわけです。
ただ単に食べるものが多くなったり、着るものがよくなってこうなったわけではなく、すべての環境が人間が長生きできるように進化したんです。
それは一人二人がやったことではなく、みんながやってきたことです。
日本国民みんながですね。

しかしその一方で、精神的豊かさ、心の豊かさというものを放ってしまいましたね。
目に見えるものばかり、そういうものを追い求めるようになりました。
それはたしかにモノは目に見えるし、手で触れるし、価値も
「これ5000円ぐらいかな?」とか値段もつけられるしですね。
一方心というものは、さっきお話ししたように目に見えない、手でも触れない、したがって価値も付けられない。
まあそういうものですから、ついおろそかにしがちになり、そんなもので人間は豊かにならないということで、精神的なものを無視してきました。
そして目に見えるモノ、お金、そういうものを追い求めてきたんですね。
それでは人間、日本人は、これだけモノが豊かになって、幸せになったのか?
決して幸せとは言えません。
で、日本は平和か?
平和じゃないです。
家庭の中は、今どんどん戦争状態になっている。
そういう家庭が増えているから、世の中に忌まわしい犯罪がどんどん増えているんですよ。
家庭という最小単位が壊れてきている、だから社会の秩序が保たれなくなり、何をやっても平気なような、犯罪を犯しても、裁判でなんだかんだと言い逃れをして、そして明らかにこの人がやったと分かっているのに、証拠がないということで無罪放免になってしまう。
またやりますよ、その人は。
うまくやったということですね。

それは何か。
一番最小単位の家庭が平和でないということ。
そのために、世の中に心が荒れすさんだ人が増えてきた。
で、しかもそれが放任されているという、そういう徴候が強いからだと私は思います。
昔だったら10年に一回ぐらいしか起きないような恐ろしい事件が、今は毎日のように起きてますよね。
経済だけ繁栄すればいいということではない、やっぱりこんなことが起きない世の中にならなければと私は思っています。
そのためには、最小単位の家庭が平和、平穏で、そのことがありがたいと思う気持ち。
今何もぜいたくをしなくても、美味しいご馳走を食べられなくても、清潔でカラッと乾いた下着に着替えられて、乾いた布団に寝られて、少し暑くても扇風機と団扇で暑さをしのげるまで我慢しようとか、そういう中に幸せを見つけていく心、こういうものがとても大切だと思うのですね。
それを物質的なものばかり求めていくと、絶対に幸せにはなれない、これは私の持論であります。

私は個人的に何も贅沢していませんし、したいとも思わない。
することは罪悪だと感じています。
それじゃあと、よく人からこんな風に言われます。
「あんたみたいな人ばっかりだと、モノが売れなくなって、経済が回らなくなりますよ」
それがまわるんですよ。
なぜ大量に売らなければ経済が回らないかというと、みんな安物を買いたがるからなんです。
安物ばかり買いたがるから、例えばこの商品が1000円で5個売れればいいと思っているところを700円にすると、5個売れればよかったものが、50個売らなければならなくなる。
つまり45個はいらないものを売っているということになるわけですね。
いらないモノを売ろうとすると、ものすごく骨を折りますね。
本当に大変ですよね。
いらないモノを売るんですから、これが今の日本です。
だからみんなヘトヘトにくたびれてしまっています。

それでみんな人の労働を評価してあげなければならない。
私は昨夜ホテルグランビアに泊まりましたが、ホテルに置いてあるもので使ったのはタオル一本だけです。
あとは洗面台にいろいろ置いてありましたが、使っていません。
一昨日は香川県の丸亀というところで、地方としては立派なホテルに泊まりました。
その前の日は博多のハイアットリージェンシーというとてもいいホテルでした。
それこそとてもいいものが置いてありました。
しかし私は何ひとつ使いません。
私が使わなければ、その分だけホテルは利益が出る。
私が使えばホテルの利益を削って、しかもゴミが出る。
何ひとついいことはない。
それじゃ、今度モノを納める人のものが売れなくなるんじゃないかと心配する人がいるんですね。(笑)
そこなんですね。
そこで私がホテルの人に頼みたいのは、このカミソリを一本買う時に、1円安くしろなどとは言わないで、1円高く買おうじゃないかと言ってもらいたいんです。
そういう風にすると納めるものの数が減ってもちゃんと成り立っていくんですね。
それを毎回「1円安くしろ」、「1円安くしろ」と言われ続けると、納める方は、今まで1000個納めていたものを2000個納めなくてはならなくなってくるんですね。
今の日本はこんなムダなことのためにヘトヘトになっている、そんな風に思いますね。

こういうムダなことをしないためには、このことに気付いた心ある方々が人の労働を評価する、これが大切です。
冒頭にお話ししたタイヤの積み込みだって1本何百円か払っていますから、うちの社員が手伝わなくてもいいんです。
一人で積んでもらってもいいんですけど、うちはその人の骨折りというものを評価して、この250本、300本を一人で積んだら大変だろうなと、いつも10人、それ以上の人が待ちかまえてドンドンドンドン積みますから、あっという間に終わりますね。
しかもうちの会社は、ゴミを回収に来る人、廃油を取りに来る人、そのタイヤを取りに来る人たちのために温冷蔵庫というものが下に置いてありまして、必ず今の時期は冷たく冷やしたコーヒー、冬は持てば熱くなるような飲み物を用意してあげているんですよ。
そうするとうちに来る人は、みんなニコニコニコニコしているんですね。
仕事そのものは辛い、過酷なものであっても、ニコニコして仕事をしていますよ。
と言うことで、くどいようですが、人の骨折り、苦労というものを評価して、その評価に少しでも応援をしてあげる。
そのことによって、その人たちは非常に心が穏やかになって、家でも職場でもいい生活を送れるようになるでしょう。
そういう人が日本中に満ちてくれば、日本はこんなイヤな犯罪ばかり起きなくなる、というのが私の持論でございます。

今日は広島県警の先川さんがお越しいただいています。
この先川さんが非行の多い学校をよくしようと努力して、その努力が実り、とんでもない学校が今や普通の学校に変わりました。
大変なことです。
非行少年の多い学校が普通の学校に変わるということが、どれだけ社会的意義のあることか、すごいことだと思います。
それだって何とかしようという誠意を持って続けてきたからなったんですね。
一人一人の力は決して偉大で大きくなくても、継続すれば偉大な力になる。
これが私の持論です。

なぜかというと、私自身は自分の持てる力はなにもありません。
学校もほとんど農作業をしながら通い、農繁期は学校に行っていませんし、普通の日も試験勉強や予習、復習をしたことがありません。
そういう生活をしてきましたから、学歴も知識も技能も何にもない。
でもこんな私でも、いいことをしようと思い続けて、そしてやり続ければ大きな力になった。
そこで本当に頭のいい人とはどうでしょうか。
決して立派な大学を出たということではありません。
いいことをいつも考えている人、これが頭のいい人です。

さて最後に、最近広島大学の町田宗鳳先生という方が、広島の掃除の会に来てくださいました。
先月は、うちの会社にも掃除に来られまして、私も一緒にやりました。
そして排水溝の中の汚泥をすくい上げた。
これはあまりにも汚いですから、ちょっと見ていてくださいと、私がこの汚泥をよどみの中からゴミを選りだして、この土は公園の中の土に戻すんですよと分けました。
ミミズ、ゲジゲジ、いろんなものがいっぱいで汚いものでした。
そうしましたら町田教授が私も一緒にやりますと言って、それを仕分けしてくださった。
なぜ仕分けるのか?
それは泥と落ち葉とゴミを一緒に捨てれば、泥の中に含まれている土壌菌が全部失われてしまう。
この1立方㎝の土の中には、何億という土壌菌が生きているわけです。
この土壌菌が地球を維持しているのです。
そして落ち葉の中にも分解酵素が含まれています。
こういうものを地面に戻し、循環させていくというのが私の思想です。
ということで、その汚泥を持ち上げて、分けて、吸い殻だとかセロファンだとか土に戻せないものは丹念に落とし、そして後は公園に持っていって敷地に戻しているんですね。
こういうことをやってまいりました。

人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス 1085)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス 1085)町田 宗鳳

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この町田先生から本をいただきまして、この本を読みました。
その中にニーチェの言葉が出て参りましたので、これをご紹介いたします。
ニーチェというと、ものすごい難しいことばかり言っていたのかと思ってましたら、そうでもないですね。
誰にでも分かることを言ってました。

  地球には皮膚がある。
    この皮膚はたくさんの病気を持っている。
      その病気の中で、最大の病気は人間である。


この人は1844年に生まれ、1900年に亡くなっていますから短命ですね。
56歳、当時としてはそれが平均的な寿命だったとは思いますが、たくさんの本を残しています。
その本の中で言っていることは、これは町田宗鳳先生の本を通して私が知ったんですが、

  地球には皮膚がある。
    この皮膚はたくさんの病気を持っている。
      その病気の中で、最大の病気は人間である。


本当にそうですよね。
人間以外の動物、植物で、地球を痛めているものはありません。
人間だけですよ、地球を傷つけ、穴を掘ったり、ゴミを作ったりしているのは。
他の動物でそんなことをしているものはないでしょう。
ミミズなんかは人間が作ったゴミをちゃんと地球に戻したりしてくれてますよ。
その他の動物でも、地球のゴミをきれいにしてくれている動物がたくさんいます。
にも関わらず、人間だけがそのゴミをきれいにしないで、どんどん生み続けている。
今ニーチェがもう百年生きていたら、どんな風に言ったでしょうか。

ということで、地球上の最大の病気にならないよう、私たちはこの地球を保護する方向に向かっていきたいですね。
それには、生きている限り資源を使わざる得ないけれど、使った資源をゴミとして捨てないで、何度でも使い、ムダにしないようにしていただきたいですね。
これが私からの皆さんへの願いです。
ありがとうございました。



<< 質疑応答 >>

昨今、掃除をすると運がよくなるとか、お小遣いが入るとかよく聞くんですが、本当にそんな効果があるんでしょうか?

たしかに掃除をすると、非常にいいことが起ります。
私も掃除を通してたくさんの幸運と巡り会いました。
しかし期待をしてはダメです。
それを期待してやったら卑しくなります。
何事もそうですね。
何か見返りをしてやったら、何の意味もないというのが私の考えでございます。
無心に、何の期待も無しにやった時に、何か自分のところにいいことがもたらされるというのは間違いないんですね。
ですけど、これをやったらあの人がこうしてくれるんじゃないかとかいう風に、いつも心の底に期待を持ちながらやると、落胆することになりますね。
期待通りにならない、なーんだつまんないなと、こんな風になるわけですね。
ですから期待せずにやるということを私はおすすめしますね。
いいことが起きる、これはもう間違いない、私が保証します。


心の掃除と同時に、体の掃除ということで、鍵山相談役が心がけていることは何ですか?

私はこれまでいろんな目に遭いましたけれども、人を恨むとか、憎むとか、そういう念を持ち続けないようにしています。
こういう念のことを攀念痴(はんねんち)と言って、人を恨んだり、憎んだりする念は、あたかも木にしがみついてよじ登るが如く固執するという意味なんですね。

鍵山秀三郎先生 心と体の健康

絶対に許さないとか、今に見ていろとか、どんどんエスカレートして、そういうものを持つと自分の正常な機能が維持できなくなり、夜疲れて眠ろうと思っても頭がその念に取りつかれて眠れなくなってしまう。
そうなるわけですね。
そういうものを持つと、自分が疲れて損をするだけですね。
相手は大いびきをかいて寝てますよ。
ですから私も人間ですからそういう念が生まれますけれども、私はそれを消すことができる。
肉体と同じで、私は自分の心を鍛えてきました。
またつまんないことをやったな、そんなことを思ってどうなるんだ、と自分自身を叱咤して、こういうことを戒めてきました。
それによって今、この歳になって、そういう念が湧いても、スーッと春の雪のように自分の力で消すことができるんですよ。
これが私の健康の唯一の元です。
他には何もやっていません。
しいて言えば、掃除を毎日していることが肉体的健康法ですけど、精神はこれですね。


食事はいかがなんでしょうか?

食べ物はほとんど菜食です。
ほとんど野菜と穀類、少々魚は食べますが、肉はゼロではないけど、ほとんど食べません。


鍵山相談役は人の名前をよく覚えておられ、講演の中でもいろんな話がスラスラと出てきて、本当にすばらしい頭脳だと思うのですが、何か方法があるのですか?

それは感動するということです。
歳を取ると記憶力が悪くなるというのは、何事にも感動しなくなるからです。
私はほんの些細なことに対しても「ああそうか!」という風に感動するんですね。
たとえば本を読んでもですね。
今年になってから、塩野七生の「ローマ人の物語」という本を読みました。

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) 新潮文庫
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫塩野 七生

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stars薄さがいい。独特の文章は段々慣れます。
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28巻出ていまして、私はこれを絶対に読もうと思って、いっぺんにまとめて買いましたね。
本当にいい本でした。
みなさんはいっぺんに28巻買わない方がいいですよ。(笑)
中には無駄にされる方も出てきますから。
これは本当にすばらしい本でして、読んでいくうちにですね。
ローマ皇帝が、何度も同じ人が繰り返し繰り返し出てくるんですね。
それを読んでいるうちに、それを覚えようと努力したわけでもないのに、
そうか、この人はこんなことをしたのか、こんな悪いことをして殺されたのかとか、こんなことに感動しながら読んでいると、いつの間にか歴代皇帝の名前が頭に入ってくるんですよね。
例えば初代ではないけれど、皇帝制度の最初を作ったのがユリウス・カイザー、これはラテン語で、英語ではジュリアス・シーザーです。
そしてその養子になったオクタービアスという人が跡を継いで初代の皇帝になると、マウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ、ガルバ、オト、ヴィティリウス、ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス、ネルヴァ、トラヤヌス、バトリアヌス、アントニヌス・ビウス、マルクス・アウレリウス・・・
という風にですね、これ歴代の皇帝です。
これは少々間違えても、みなさん分かりませんね。(笑)
感動するということですね。
これが頭に入る元です。
ですから、だんだん歳を取ると記憶力が薄れるというのはウソでして、歳を取るごとに感動しなくなる。
これが私の理論です。
それからもうひとつは、ミョウガを食べると物忘れがひどくなると言うでしょ、あれもそうじゃない。
ミョウガを美味しいと思う年頃になると記憶力がうせる。
子供は食べないですからね。
そういうものです。


私は通る道を、犬を散歩させながら掃除しています。
ゴミが多い日は嬉しいし、少ない日は寂しいなと思うのですが、これは病気でしょうか?


いや、それぐらいの気持ちで取り組んでいただければいいですね。
私なんかもそうです。
ゴミの少ない日は、掃除していてもハリがないなと、・・・下水でも詰まっていると、これをきれいにしたらいいなと張り切りますが、詰まってないとつまんないです。(笑)


掃除の会に何度か参加させてもらって、公共の場を掃除するのは楽しいのですけど、家に帰ると掃除したくなくなるのですけど、どうすればいいですか?

いや、私も実は家の掃除はほとんどしたことがないです。
だいたい家にいませんから。
私は一年365日、一日中家にいるということはありません。
まるまる一日朝から晩まで家にいるということはないんです。
そのくらい方々出かけておりますので、つい家のことは後回しになりますね。
皆さんからいろいろ資料や本をいただく、すると机の上に置くようになる。
家内には「とにかくお父さん、外もいいけど、たまには家の方もやってください」
と言われるんですけど、つい後回しになります。
けれども私はやる時には徹底して全部広げて、分類し直してキチッとしますよ。
やったら私は徹底してやりますから。
けれども、いつもはやれないですね。
今日も今晩家に帰るのは11時頃になります。
明日は留守中の用がいっぱいたまっています。
明後日は仙台に向けて出発しちゃう。

で、やらない人、掃除しない人はですね、
  そのうち  まとめて  一氣に  だれかが
これがやらない人の共通点です。
あなたの場合、私ほど時間がないわけではない。
やろうと思ったらできる。
これを反対にして、
  毎日  少しでも  できるだけ  私が
このように置き換えてみてください。


地元の小学校でトイレ掃除をすることになったのですが、校長先生が父兄からクレームがつくからということで、子供にビニール手袋をはめさせて掃除をすると言うのですが、どうすればいいですか?

どうぞ手袋をはめてやってください。
でもね、ほとんどの子供は途中で取ります。
取れと言わなくても、ほとんど取ります。
手袋をはめるよう指導するところはあります。
父兄の中にはやかましい人がいて、ばい菌が入ったらどうするんだとか言う人もいるんですね。
そうすると校長先生も、ついそういうことが起きないようにということで・・・。
けどそれは決して否定はしません。
どうぞやってください。
ただし手袋をしていても、きちんと洗面器にクレゾールの消毒液を用意して手を漬けるとか、そういうことは万全にしていただきたいですね。
手袋はどうぞ禁止しないでやってもらったら結構です。
私たちは子供に「手袋をしなさい」と言ってすすめるぐらいですから。
けど二度目、三度目になるとやらないですね。
ほとんどすすめても手袋をしなくなります。


鍵山秀三郎先生 ありがとうございます

鍵山相談役、いいお話をありがとうございました。

2007.07.14 Saturday



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