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これから


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我が心のインド




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今から二十八年前に初めての海外旅行としてインドを訪ね、
その後長い期間が開き、
九年前に日本山妙法寺サンカランコービル道場の道場開闢法要に参加し、
そこで初めて南インドのホームの子どもたちと出会いました。

そしてこの九年の間、南インドを八回訪ね、
子ともたちから多くのことを学ばせてもらいました。

いつも書いているように、
インドとの関わりは魂の必然としか考えられないもので、
そこに一点の迷いもありません。


自分はインドに行くと幸せいっぱいです。
光輝く笑顔を持つ子どもたちと接し、
その喜びの波動をたくさんたくさんもらい、
『足るを知る』、『今を生きる』という、
生きる上で最も大切なことを感じ取らせてもらっています。

その逆に自分からインドに対して何を与えてきたのか、
ホームの子どもたちは親元から離れて人恋しいのでしょう、
いつも遠来からの珍客を大喜びで迎えてくれて、
子どもたちにはほんの少しでも
何かの喜びを与えることができたのではないかと感じています。

またホームを運営するオーナーたちとも懇意になり、
日本に来た時などは心ばかりの接待をすることができ、
それはそれで価値があったと考えています。

ではこの先、インドとどういった関わりを持っていくのか、
どういう形を理想としているのか、
そう問われると、正直言って言葉に窮してしまいます。


海外への支援というと、
経済的に豊かな国から貧しい国へというのがごく当たり前の形です。
日本とインドを比べると、
インドの貧困層の貧しさ、苦しさは日本の比ではありません。
けれど貧困層を含めた子どもたちの笑顔は、
インドの方がはるかにイキイキと輝いています。

幸せとは一体何なのか、
人間は何を求めて生きていて、
文明は人をどんな方向に持っていこうとしているのだろうか、
そんなことをインドに行くたびに考えさせられます。


物質的豊かさは恵みであり、
その反面毒となる要素も持っています。

けれど原始時代ならいざ知らず、
今の現代社会に於いては、
貧困な大きな不幸を導く原因となることもまた事実です。

インドは公用語となる指定言語だけでも22もある多様性に富んだ国であり、
自分などはそのほんの一端に触れただけで、
奥深いインドの実態はほとんど分かりません。

ですから貧しさゆえの苦しみというのもその断片しか知り得ないのですが、
時折垣間見るインドの貧困層の苦しさには、
いつも胸が締め付けられる思いです。

今回は、タミルナド州の州都チェンナイにある難民キャンプに、
友人のスシルの案内で訪ねることができました。



そこのキャンプでは、インド最南端タミルナド州のすぐ北側にある
アーンドラプラデーシュ州から来た難民の人たちが、
粗末なテントをいくつも並べて暮らしています。

彼らの地元アーンドラプラデーシュ州で話される言語はテルグー語、
タミルナド州で使われているタミル語とは異なり、
その言葉の面でもキャンプ周辺で新しい仕事を見つけるのは難しい状況です。

にも関わらず地元を逃れてきたということは、
その地元ではさらに悲惨な暮らしをしていたのだろうと思われます。





彼らのサポートはチェンナイのキリスト教団体がしているとのことでした。
貧困層の多いインドでは、
宗教は生活環境を整える物的支援をしなければ
その価値を認められないとのことです。


三年前に三ヶ月半滞在したカルナータカ州の
コスモニケタン日印友好学園では、
貧しい村の子どもたちが毎日楽しそうに学校に通ってきていました。

学校に通わせてもらえる子どもたちは幸せです。
けれどインドには、
子どもを学校に通わせるだけの経済的余裕がない、
家の仕事を手伝わさなければ家族が食べていくことができない
といった家庭が数多くあり、
幼い子どもを労働に従事させる“児童労働”が大きな社会問題になっています。

コスモニケタンの学校近くでも、
昼間、学校で授業の行われている時間に、
山羊を追ったり、畑仕事を手伝ったりする子どもたちを何度も見かけました。

そんな子どもたちは、
同年代の子どもたちが楽しそうに学校で授業を受けている姿を、
一体どんな気持ちで眺めていたのでしょうか ・・・ 。






『人生万事塞翁が馬』、
どんな経験が、将来どのように生きてくるかは誰にも分かりません。
けれど極度の貧困で、周りとあまりにもかけ離れた苦しい生活を強いられたり、
学校に通って楽しい経験をしたり教養を身に付けることができず、
貧困の連鎖から抜け出ることができないというのは、
決して望ましいことではありません。

それを救うために日本から手を差し伸べるにはお金が必要です。
コスモニケタンも日本のアジア協会からの資金提供で運営されていて、
日印友好学園という形になっています。

アジア協会はコスモニケタンだけではなく、
アジア各地に学校や井戸を建設しています。

  <公益社団法人アジア協会アジア友の会>
  アジア協会のトップページの写真は、
  三年前に自分がコスモニケタンで撮ったものを使ってくださっています♪



その他にもユニセフやプラン・インターナショナル・ジャパンなど、
海外への支援をしている団体はいくつもあります。


自分もそれら団体に習って、
将来はインドに学校や施設を作ったり、
今ご縁のあるホームに入ることのできる子どもたちを増やしていきたい、
そう願っていました。

けれど今は、そういったことは、
本来自由人の自分には不向きであると考えるようになりました。
体を動かしたり、
抽象的思考で物事を探究するのは得意でも、
たとえ募金でもお金を集めるのは苦手な分野です。


自分の夢はインドの子どもたちに幸せを与えることです。
そしてそれとはまったく別のもうひとつの夢として、
生命(いのち)とは何なのか、
この時空を律しているその法則を知り、
それを多くの人たちに伝えていきたいという思いを持っています。

この二つ、これまで別々に考えていたこの二つの夢を、
これからはできるだけ近づける努力をし、
文明の毒を大きく吸ってきた日本、
これから大いに発展していこうとしているインド、
この双方が幸せになれる道、
今の巨大な文明転換期を乗り越えた後、
持続可能、永続的な新たな人類の価値観を築き上げる、
そんな道を拓いていく役割を果たしたいと考えるようになりました。

まだ漠然としか語れないことですが、
これからそれを具体的なものとしていく、
これが自からの天命だと信じます。


タミルナド州のホームはこれまて七回訪ねました。
その三ヶ所あるホームの内、
最初に訪ねたカニャクマリのホームは今年で閉鎖になります。

最も親しい関係にあった州都チェンナイのタミルミディアムに通う女の子たちも、
その大半が学校を卒業し、
ホームを離れて行ってしまいました。

今はちょうどインドとの関係を問い直す時期に来たのだと思います。


たくさんのインドの子どもたちからいただいた喜び、学び、気づき、
それを糧として、新たな一歩を踏み出します。



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