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ホームで感じたこと<3>


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文明の危うさをいつも感じてはいるものの、
その恩恵にどっぷりと浴して生活していることも事実です。

一昨日、知り合いから数週間ぐらい前から
愛用するiPadが見当たらなくなったと相談がありました。
先日久し振りに見ようと思って探したところ、
どこにあるのか分からず、またいつなくなったのかもよく分からないとのことでした。

iPadはその個体の位置情報を調べことができ、
その機能を使って紛失したものを探すことができると聞いたことがあります。
亡くなったスティーブ・ジョブズもその機能を使って盗難にあった愛機を探し出したそうです。

ですからまずは購入したドコモにそのことを相談するようお伝えしたのですが、
ドコモの販売員はとても冷淡な態度で、
「そういうサービスはしていません」と軽くあしらわれたそうです。

それではということでネットでいろいろ調べてみると、
iPad、iPhoneは、他のiPad、iPhoneを使い、
その位置を簡単に調べることができるということが分かりました。
  <iPhoneを探す>

早速それを使ってみたところ、
数メートルの誤差はあるもの、
位置情報からなくなった個体は広島市内中心部にあることが分かりました。

そしてその位置を調べ、さらには警告音を鳴らすことができる機能を使い、
その方が大雨の避難時に泊まったビジネスホテルで
無事iPadを見つけ出すことができました。

本当に便利な世の中になったものです。


日本ではiPhoneやiPadはかなりポピュラーな存在ですが、
インドではそれを見かけることはほとんどありません。

主に田舎で活動しているということもあるのでしょうが、
インドではiPadを含め、タブレット端末というものを
飛行場以外のところで見た記憶はほぼ皆無です。

インドは日本と違い、
電話は固定電話から携帯へと徐々に普及していったのではなく、
インフラ設備が簡単にできる携帯端末が、
固定電話の回線を飛ばして一気に田舎へと普及していきました。

特にここ数年は、その携帯端末が手のひらサイズのガラケーから、
大きな液晶画面を持ち、音楽プレーヤーとしても使えるスマホへと、
これも急激に移り変わっていきました。
ちなみにインドでは、日本のような折りたたみ式のガラケーは見たことがありません。

これもやはり田舎で活動しているからなのかもしれませんが、
スマホも割と小型のものが多く、
日本のように頻繁に買い換えたりすることがないからか、
薄汚れたものを使っていることが多いようです。

ですので田舎ではiPhoneを見かけることはほとんどありません。
まずは価格が高すぎるのでしょう。
インドのiPhoneも日本とほぼ同価格ですので、
インドでは超高額商品です。

今回はインドにいる間もネットができるよう、
また電話連絡もできるようにと新しいスマートフォンを買いました。
インドのスマホはすべてSIMフリーですので、
スマホを買い、SIMカードを手に入れれば、
それで電話ができ、テザリング機能を使って手持ちのiPadやノートパソコンで
インターネットやメールを使うことができます。

昨年カンボジアに行った時も現地でSIMフリーの携帯端末を買ったのですが、
それは超安物のガラケーだったので、
電話はできてもネット接続はできないものです。


インドも日本と同じくケイタイ関係の店が町のいたるところにありますが、
SIMフリーである分、どの店にもたくさんの機種が並んでいて、
どれを選んだらいいものか迷ってしまいます。





こういうところでじっくりと品定めをするのは苦手なので、
ほとんど直感的に
目の前にあったWindows Phone(ウィンドウズ・フォン)を選んでしまいました。
ウィンドウズ・フォンはスマホの世界ではマイナーですが、
見た目がなじみのあるWindows仕様なのできれいです。

Lumia540、この端末が9000ルピー、
インドの通貨1ルピーが1.7円を少し下回るぐらいですので、
約15000円といったところです。

この端末は最新のものではなく、
最も新しい通信規格4Gの電波は受けることができず、
3Gまでの対応となっています。
ですからもっともっと高額、高機能のスマホもたくさんあるのです。


インドの労働者の収入から考えると、
9000ルピーでもかなりの高額です。
インドのケイタイはガラケーからスマホに取って代わったとはいうものの、
大きくて新しいタイプのものはほとんど見かけないのは仕方ないことです。

昨年住み込みで働くホームのスタッフに賃金を聞いたところ、
月給が5000ルピーだと言っていました。
食費がいらないとはいえ、日本円で一万円を切る金額では、
おいそれと高価な電化製品を買うことはできません。

昨年知り合い、このたびも飛行場に迎えに来てくれて、
ケイタイショップにも連れて行ってくれたスシルは、
素敵な奥さんと一歳の女の子との三人暮らしです。



彼はとても真面目なクリスチャンで正義感が強く、
なにかあるたびに「神様のお陰で・・・」という言葉を口にする
信頼できるナイスガイです。

彼の奥さんはパソコンを使って在宅勤務をしているのですが、
その代りに家の用事や子どもさんの世話をする家政婦さんを一人雇っていて、
平日はいつも午前中からその方が来られます。

インドではそういう家政婦さんの賃金相場は月5000ルピーだそうですが、
スシルはそれでは生活が苦しいだろうと考え、
8000ルピー渡しているそうです。

チェンナイのホームのあるマライマライナガールという町に、
最近日本企業の矢崎総業が進出してきて大きな工場を構えています。
そこで働く女性従業員も月給が8000ルピーかそれより上だと聞きましたので、
これがおおまかなインドの賃金相場だと思われます。


日本語の話せるスシルから
「もったいないってどういう意味ですか?」
という日本語についての質問を受けました。
もったいないというのはすごく日本的な概念ですね、
言葉だけで説明するのは難しいので、
食事の時に目の前の食材を例にしながら解説させてもらいました。

人格高潔なスシルですが、彼の口から
「もう少ししたら下女が来ます・・・」と、
家政婦さんのことを下女と言ったのにはすごく驚きました。

それはすごく差別的な言葉で今の日本では使わないということを伝えたのですが、
どうやらその言葉が辞書に載っているようなのです。

「下女がダメなら下女さんだったらいいですか?」
と聞かれたのにも笑いましたが、日本語は難しいです。
彼ぐらい話せるようになるには相当の修練が必要でしょう。

スシルとの会話は日本語ですが、
難しい表現は英語を交え、またメールのやり取りはすべて英語で行っています。


前置きが長くなったついでにもうひとつ、
海外での外貨両替は、ところによってレートが大きく異なり、
その点を注意しなければなりません。

先に書いたようにインドの通貨ルピーは、
現在1ルピーが1.7円を少し下回る程度ですが、
飛行場で両替すると手数料が高く、1ルピーが2円ちょっとの計算になります。
飯田さんと二人、そこで取りあえずの分として一万円ずつ両替して、
手にできたのは5000ルピーに満たない額でした。

その後スシルに相談し、
彼の知り合いの両替商に十万円ずつ両替してもらった時は、
1ルピーが1.7円を少し上回るぐらいでのレートで、
飛行場とはまったく異なる好条件でした。

インドのお金は国外に持ち出すことができないことになっていて、
外貨との両替はインド国内でしかできません。


何度もホームを訪ねていて寂しく感じるのは、
何らかの事情で田舎に帰ったり学校を卒業したりして、
顔なじみだった子どもと会えなくなってしまうことです。

ホームは学童期の子どもたちを預かる施設でそれは致し方ないのですが、
会えるかなと思って楽しみにしていた子どもの顔がないと、
やはりとても寂しく感じます。

今回は少し遅い時期に行ったので、
子どもたちが学年最後の試験を受ける時期と重なりました。
試験を受ける子は、今日は英語だ、タミル語だと、
試験のことを楽しそうに話してくれます。

また試験前には学校が休みになることが多く、
学年によって学校に行く子と行かない子がいたりします。

インドの学校制度はところによって異なりよく理解できない部分があるのですが、
ホームには10学年まで学校に行く子、12学年まで行く子、
また中には義務教育卒業後もホームからカレッジに通う子もいます。


4月11日、子どもたちがみんな学校に行ってしまい、
スタッフしかいないトリチーのホームで、
スタッフたちと昼食を取っていると、
学校で最後の試験の最後の科目を終えた10学年の子どもたちが帰ってきました。



その場で彼女たちも昼食を食べたので話を聞いてみると、
彼女たちにとっては今日がホーム最後の日で、
この後で着替えをし、荷物を持って自分たちの家へと帰っていくとのことでした。

家が最も近い子は歩いて三分とか3キロとか言っていましたが、
たぶんこの子たちとは今後再び会うことがないのかと思うと切なくなります。

これが10学年の女の子たちの集合写真です。



数年前初めてトリチーのホームを訪ねた時はちっちゃかったのに、
みんな立派に成長し、
やはりホームの果たすべき役割は大きいと感じます。


そう言えば、昨年までトリチーのホームにいて、
今年は見なくなった男の子を町中で見かけました。
みんなで学校までの道のりを集団で歩いているその横を、
少し恥ずかしそうな嬉しそうな顔をして歩いていました。

これは二年前に撮った写真ですが、
左後ろの青いシャツを着ているのがその彼です。
バックの木になっているのはパパイヤです。



今彼がまた別の学校に行っているのか働いているのか分かりませんが、
その笑顔が逞しさを感じさせるものだったことが印象に残っています。


トリチーでは飯田さんと二人、別々の部屋に泊まるべく、
昨年同様飯田さんはクマールの家の一階のゲストルーム、
自分は男の子たちのコテージの近くにあるスタッフルーム二階に泊まりました。

スタッフルームは簡素な設備で、
自分が泊まった部屋の隣はキッチンスタッフのおばさんとその娘が住んでいます。
昨年は可愛い娘さんが三人いたのですが、
上の二人はカレッジに通うためにホームを出ていて、
下の娘も一年経って随分大きくなっていました。
これは昨年撮った写真です。



キッチンスタッフのお母さんは英語がほとんど話せませんが、
上の娘二人はカレッジかと聞いたら、大きくウンウンとうなずいていました。



下の子も一年でこんなに貫禄がつきました。



前の前のページにアップした水やりの写真でホースを持っているのも彼女です。




その他にもまだ学年途中でホームを去ってしまった子もいて、
そんな子も今どうしているかとても気になります。

チェンナイにいたラッティカメリー、
彼女は可愛いだけではなく、
その落ち着きから神々しさや慈愛といったものをも感じさせる女の子でした。



上の写真は三年前のもの、
右端にいるのがラッティカメリー、彼女も今はもうチェンナイのホームにいません。

彼女からは以前、聖なるもの、浄とは何かを教えてもらいました。
一昨年記述した文章を転記します。

今朝もいつものようにギュウギュウ詰めのバスに乗って子どもたちと学校に向かいました。
その途中、自分が座っている前の床に腰を下ろしている女の子が、
膝のあたりにいた蚊を叩きつぶしてくれました。
その子はいつも控えめでとても可愛らしい女の子なのですが、
蚊をつぶした後に残った血を見てもなにも驚くことなく、
ごく自然な動作でその血を右手で拭ってくれました。
そしてその手はそのままで、特に汚ながることも、
ハンカチや布で拭くこともありません。

その数秒の出来事の中に、
インドの人の持つ逞しい生命観を見ました。

彼女の名はラッティカメリー、
昨年撮った彼女のこの写真は、
自分の中で特にお気に入りの一枚です。




当時彼女はまだ十歳であるにも関わらず、
聖書に視線を落とす彼女の姿から、
まるで聖母のような慈愛すら感じられるではないですか。

その彼女が目の前の他人の膝についた血を、
ごく自然な動作で拭い、
その血の “汚れ” をも自分の中の自然の一部として受け入れてくれるのです。


インドに行く直前、ケイタイ電話の調子が悪くなり、
ショップに持って行って診てもらいました。
その時窓口で対応してくれた若い女性はとても丁寧で、
服装からも清潔感のある好感の持てる方でした。

彼女にケイタイの状態を説明しながら手渡すと、
いつもしているのであろうごく自然な動作で手元にある大きなフエルトのような布を持ち、
ケイタイが直接持ち手の左手に触れないようその布の上に置き、
ケイタイの操作を始めました。

その時に何か感じていた違和感、その “何か” が、
今ここインドにいて、ひとつの思いとして増幅されます。


聖なるものは、邪を排した果てにあるのではありません。
その邪をも受け入れる寛容さの中にこそある、
わずか11歳のラッティカメリーからそのことを学ばせてもらいました。



子どもたちはいずれホームから去って行きます。
いなくなってしまってから寂しい思いをするのなら、
今ホームにいる子どもたちにもっと深く関わっていきたい、
悔いを残さないようにしたいと思い、
これまであまり交流がなかった子とも意識して接するようにしました。

飯田さんは主に男の子たちと遊んでくださっていて、
その飯田さんから聞いたところによると、
あるとても積極的に近づいてくる男の子には両親がいないとのことでした。
それがゆえその子は他の子よりもより深く愛情を求めてくるのでしょう、
そんなことも知らず、少し疎ましく感じていた自分を恥ずかしく思いました。

ホームのみんなで遊園地に行った時、
最後の集合場所である出入り口近くの売店のところで、
その男の子がさかんに手を引っ張り、
そこで売られているペンダントが欲しいと言ってきました。

ペンダントはいろんな売店でいろんな種類が売られていますが、
日本円でせいぜい数十円といった価格です。
その子にはそれまであまり相手をしてあげられなかった贖罪の意味も込めて
ひとつペンダントを買ってあげたかったのですが、
たくさんの人で賑わっていたのと、
たぶん彼にも遠慮があったのか、結局買うことができませんでした。

それでもその子の心の寂しさを感じ取り、
少しの時間でもずっと一緒に相手をすることができ、
自分の心に安らぎを感じることができました。


チェンナイのホームには、
現地語で授業をするタミルミディアムの学校に通う子と
ホームの隣のイングリッシュミディアムに通う子どもたちがいますが、
これまでタミルミディアムの子どもたちとは親しく交流してきたものの、
なぜかイングリッシュミディアムの子どもたちとは疎遠になっていました。

タミルミディアムの子たちと交流している間も、
いつもそれを遠巻きに見ているといった感じで、
これではいけないと思い、
日本に戻る直前、最後にチェンナイのホームを訪ねた際、
意識してイングリッシュミディアムの子どもたちと関わるようにしました。



一緒に写真を撮ったり、少し話をしたりシャボン玉を飛ばしたり、
そんな程度のことですが、それでも子どもたちはとても喜んでくれて、
「明日は飛行機に乗って日本に戻るよ」と話したら、
何人かの子が「I miss you.」、寂しいよと言ってくれました。



子どもたちはバルーンや折り紙に始まり、
ありとあらゆるいろんなものを欲しがりますが、
それらがなくても、ただそばにいて、じっと子どもたちを見つめているだけで
喜んでくれるみたいです。

ホームに行くと、累計数百人の子どもたちを相手にすることになり、
自分にとって子ども一人一人の存在はそんなに大きなものとはなり得ないのですが、
普段から決められた規則に則った生活をし、
めったに来ることがない、
いろんな文明の利器や面白いものをたくさん持ってくる海外からの珍客は、
きっと大きな刺激と喜びを与えてくれる大切な存在なのだと思います。

ですから自分もそのことを意識し、
子どもたちとより真摯に接しなければならないのですが、
いつも限界まで子どもたちに振り回されてクタクタになり、
後になってその接し方を大いに反省したりするのです。

今もまたそうなのですが、
この志、心がけと実際の行動のギャップに苦しめられ、反省することになり、
だからこそ、そこからまた新たなものが生まれてくるように感じます。


純真な子どもたちは己の心を映す偉大な鏡だということを何度も書きましたが、
本当にインドの子どもたちのパワーは強烈で、
あの寡黙な飯田さんも男の子たちに何度もヒゲを引っ張られるほどで、
その強引なまでの強烈さのお陰で大きなものに気づかせてもらえます。

今回の旅では、言葉にできるような新たなものをたくさん感じ取った
わけではないのですが、
これまで感じていたひとつひとつのことがより深く心に残る旅だったような気がします。

インドに向かう前はいつも事前準備が大変で、
その準備の出来具合でそれからの旅の充実度が違ってくると感じています。

それと同様で、今回の旅の意義というものも、
今後それをどう活かしていくかで変わってくるものと信じます。


今回のインドの旅は心に残る素晴らしいものでした。
そしてそこで生まれた思い出は、
きっとこれからの人生に何らかの影響を与えてくれることでしょう。

遠いインドに行くことだけではなく、
人生そのものもひとつの大きな旅だと考えます。

これからもいろんな経験を積み、
時には反省をしながら、その旅をしっかりと楽しんでいきたいと思います。



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