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トリチー<2>


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<柔和な微笑み>

子どもたちの可愛い笑顔にはいつも心が救われます。
人間てこんなにも無垢で純粋な存在だったんだ ・・・ 、
子どもたちから人間持つ魂の尊さを教えてもらいます。



“輝くような笑顔” 、
子どもたちの素晴らしい笑顔を表現するには、
この言葉が最も適しているように感じます。

とは言うものの、子どもたちの性格は十人十色、
その表情にもみなそれぞれ個性があります。

子どもたちの笑顔には一様に明るさ、力強さを感じますが、
中にはその奥に、穏やかで慈愛とでも言うような静けさを秘め、
柔和な微笑みを浮かべる子どもがいます。

この写真右端の女の子などがそうです。
いつも落ち着いた動作で和やかな表情を浮かべ、
どうしてこんな深い柔らかさを体現できるのか、
それが不思議でなりませんでした。



幼い頃から親元を離れ、たくさんの子どもたちと共同生活をし、
本来なら親からの愛情を一身に受け止めたい年頃であるはずなのに、
すべてに満たされたような微笑みを浮かべ、静かなゆとりすら感じさせます。



人間の目指すもの、教育の目指すものとは、
たくさんの知識を習得し、より高い文明生活を営むことではなく、
“ただ足る” ということを知り、
こういった喜びに満ちた生き方ができるところにあるのだと感じます。


<美人三姉妹>

今回トリチーに着いたのはレセプション当日で、
自分たち以外にも遠方からの来訪者があり、
いつも泊まるクマールの自宅一階のゲストルームではなく、
スタッフが暮らす建物の一室に泊めてもらうことになりました。

男の子たちのコテージ近くにある二階建てコンクリート造の建物で、
一階の外には山羊が数頭つながれている素朴なところです。

泊まらせてもらった二階には二部屋あり、
自分たちが泊まった部屋の手前には、
キッチンスタッフのおばさんとその娘三人の四人家族が暮らしていました。

これがその三姉妹、みんなすごく可愛いくて、
この子たちとはとても仲良くさせてもらいました♪ (^o^)v



下の写真、一階から階段を昇って写真上部中央のところに行き、
廊下を通り、お姉さんの体が少し入っているのが女の子たちの部屋の入り口、
お母さんの足がかかっているのが自分たちが泊まっている部屋です。

この家族、いつも廊下を占領してくつろいでいるのです。 (☆o☆)





彼女たちには日本から持ってきたお菓子などをあげたり、
本やiPadの写真を見せると大喜び、
そして彼女たちからは身の周りの世話をしてもらい、
とても楽しく快適に過ごすことができました。

ここに泊まって四日目ぐらいにゲストルームが空いたのですが、
二人とも別々の部屋がいいということで、
飯田さんにはゲストルームに泊まってもらい、
自分は一人この部屋に残りました。

三姉妹はとても可愛いのに、
お母さんはでっぷりと肥えたいかにも “おばちゃん” といった感じで、
最初は本当の親子なのかなと少しいぶかしく思っていたのですが、
お母さんもよく見ると、目鼻立ちが整ったなかなかの美人顔です。(下の写真左側)



インドの女の子はスリムでスタイルがよく、
顔立ちが整った美人が多いように感じます。
けれど成人年齢になる頃から徐々に太りだし、
三十代以降は生活感が色濃く漂ったおばちゃんとなってしまうことが多いようです。

男性の映画スターも小太りの人が多く、
インドでは男女とも、太ることに対する嫌悪感があまりありません。

それでも町ではボディービルダーの写真を掲げたジムを時折見かけますので、
いいスタイルに対する憧れもほんの少しはあるのでしょう。


部屋は男の子たちのコテージの近くなので、
元気のいい子どもたちが外からさかんに声をかけてきます。
そこで三姉妹にシャボン玉を渡し、上から下に向かって吹いてもらいました。
シャボン玉は子どもたちにとっても人気です。



三姉妹に撮った写真をプリントしてあげるととても喜んでくれて、
彼女たちが持っている写真を見せてくれました。



彼女たちはホームから少し離れた村の出身で、
その暮らしぶりはあまり豊かとは言えませんが、
楽しい思い出の詰った写真を見せている時の彼女たちの表情は、
とてもイキイキとしています。

インドの子どもたちにとって写真はとてもとても大切な宝物、
その写真をポケットアルバムに入れたり、袋に何枚も重ねてしまっていて、
その思い出を少しだけ増やして上げることができて幸いです。


<映画>

毎週土曜日と日曜日の夜は、礼拝堂でビデオ映画を鑑賞します。
最近はプロジェクターが導入され、
大画面、大音響でアクション映画を楽しんで観ています。



ちっちゃな子は途中で寝入ったりもしてしまいますが、
みんな画面を食い入るように見つめています。

インドは映画の製作本数、観客動員数ともに世界一の映画大国です。


<夏も近づく♪>

夏も近づく八十八夜〜♪
この手遊びしながら歌う有名な日本の曲を子どもたちに教えると大人気で、
「ナチモチ、ナチモチ♪」と言って、手遊びすることを求めてきます。
  ( “ナツモチカヅク” が、ナチモチとなるのです)



複雑な手遊びのパータンはよく知らないので、
目の前で自分の両手を合わせ、次に相手と右手同士、
また自分の前で両手を合わせ、今度は相手と左手同士、
これを何パターンか繰り返し、
最後は「ポンポン♪」と言いながら相手と両手を合わせて終わります。

この超簡潔パターンで日本のいろんな歌、
チューリップとかてるてる坊主、桃太郎とかを歌い、手遊びすると
子どもたちは大喜びです。

けれど子どもたちは、日本の歌は最後はすべて「ポンポン♪」で終わると
誤解しているかもしれません。
それが心配です。 (^◇^;)

これも遊んでいるうちに少しずつ発展していき、
相手と向かい合って立ち、
両手のひらを押し合ったり引っ込めてフェイントしたりして、
自分の足下がぐらついたら負けという遊びがありますが、
これと融合していったのです。

夏も近づく八十八夜〜♪と歌い、手を合わせ、
最後の「ポンポン♪」を何度も繰り返し、相手の足下を崩し、
動いてしまったら負けになります。

これが子どもたちにものすごく大好評です。
子どもたちは足下が動いても誤魔化してしまうことがあるので、
少し高い石や台の上に立たせた状態ですると、
少しでも動くとそこから落ちてしまうので、
それもまたすごく楽しいのです。 (^o^)v

インドの子どもたちはとても活発なので、
こんな体を使った遊びが大好きなのです。 ヽ(^o^)ノ


<バルーン>

子どもたちはバルーン(風船)が大好きです。
風船をカバンに入れて持っていると、
バルーン、バルーンと必死になって欲しがります。



インドの駄菓子屋でも
バルーンは1ルピー(2円)から5ルピー(10円)ぐらいで売っています。
けれどインドのバルーンは品質が悪く、
新品の状態で半分以上に穴が開いていることもありました。

インドでは数え切れないぐらいバルーンを買いました。
そのバルーンを子どもたちにあげると大喜び、
バルーンを渡そうとすると子どもたちが殺到するので、
一列に並んでもらったりするのですが、
一番前に並んだちっちゃな女の子は、
嬉しさのあまり小躍りし、胸で十字を切ったりするのです。  ( ̄人 ̄)
一個たった数円のバルーンで ・・・ 、
その純粋さに心打たれます。

その子は外を掃除する時も片手に空気の入っていないバルーンを握りしめていました。
よっぽどバルーンをもらえて嬉しかったのですね。
それを見て、自分もその子以上の喜びをもらいました。

一列に並んでバルーンを渡しても、
次から次へと新しい子どもが集まってきたりして大騒ぎ、
そして弟とか妹の分も欲しいとか言われ、
いつまで経っても列が短くなりません。 (>_<)

それで業を煮やし、ハウスマザーにバルーンを渡し、
マザーからバルーンを手渡してもらうことにしたのですが、
それでもこの有様、凄まじいまでのパワーです。 w(☆o☆)w



こんなバルーンひとつで大喜びする、
これは貧しさと言えば貧しさですが、
逆にどんな些細なことにでも喜びを感じ取れる、
豊かさの象徴と捉えることもできます。

モノの豊かさには限りがありません。
子どもたちのこのバルーン一個で感じ取れる喜びを、
いつまでも忘れずにいてくれることを願います。


<折り鶴>

子どもたちは折り紙も大好きです。
自分は鶴しか折ることはできませんが、
その鶴を子どもたちは大切な宝物として扱ってくれます。

その折った鶴の羽に日本語で名前を書いて上げるとさらに喜んでくれます。
左の鶴はちぎったノートで折ったものですが、
それでも子どもたちは喜んでくれるのです。



コテージの中で、ちっちゃな子が折り鶴をしっかりと握りしめたまま眠っていました。
こんな姿を見ると胸が熱くなってしまいます。



あるコテージのマザーから、
そこにいる全員の子どものために折り鶴を折って欲しいと頼まれました。

そして夜中自分の部屋で三時間近くかけて折ったのがこの折り鶴です。
かなり大変でしたが、子どもたちがどれだけ折り鶴を好きか知っているので、
断ることができませんでした。



これからもたぶんインドでは鶴を折り続けることになると思います。
ヒロシマでは折り鶴は平和の象徴、
そしてインドでは、子どもたちとの友情の証なのです。


<トイレ掃除>

今回の旅はしんどいことが多く、それを解消するため、
部屋のトイレをきれいに掃除することにしました。
『トイレ掃除は心磨き』、
この言葉をインドであらためて、そしてより深く感じ取ることができました。

泊まっていた部屋にはベッドルームが二つ、納戸のような所、
そして簡単な水場のついたトイレがあります。
  (ここで水浴びもします!)

ここはインド人スタッフのための部屋なので、
備え付けのブラシで簡単に落ちる汚れは取れているものの、
長年蓄積された垢のようなものがしっかりとこびりついています。

掃除前の様子は汚いので撮っていません。
これは懸命に掃除をした後の写真です。



町にある雑貨屋でトイレ掃除の洗剤と金属たわしを買ってきて、
床には這いつくばり、ゴシゴシと徹底的に磨き上げました。

たぶんこの建物ができてから、
そんな風に磨き上げる掃除は一度もされたことはないのだと思います。
同じところを何十回、何百回と繰り返しこすっていくと、
本来ホーローが持っている真っ白な輝きが蘇ってきます。

そうなってくると面白いもので、一時間ちょっとぐらいでしょうか、
夢中になって磨き上げました。

そしてその途中、ふと気がつくと、トイレの入り口に隣の家族四人が立っています。
インド人でもしないトイレ掃除を外国人のゲストがしているのは、
まったくもって奇妙に映るのだと思います。
けれどもそういった姿を見せるのも、
インド人に対する美意識教育だと思い笑顔で掃除を続けました。

きれいになった便器を見て、彼女たちも微笑んでくれ一安心です。
これで彼女たちの部屋のトイレもきれいにしてくれたら万々歳です。
ちなみに掃除に使った道具はすべて置いて帰りました。



便器の汚れは九割以上きれいになりましたが、
残りはどうしても深くこびりついて落ちないものが少し、
そして設置工事の段階で付いたであろう塗料や接着剤の飛沫がどうしても残ります。

白い便器向こう側に点々と残っているのはたぶん接着剤のようなものです。
インドではこのような状態のまま工事を終えてもノープロブレムです。
けれどこれらも金属のヘラがあったらもっときれいにできたでしょう。
次回はもっと道具を揃えて再挑戦したいと思います。

トイレを掃除することで、とても心がスッキリし、
救われたという感覚が湧き上がってきます。
これは日本でトイレ掃除するのとはまた少し違った感覚です。

この喜び、できればインド人にも感じ取ってもらいたいものですが、
インドの汚いものは汚いままという価値観も、
自然に根ざした生き方で、それはそれで意義があるかもしれません。

互いの価値観を尊重し、真剣に対峙し、そこから学び合う姿勢、
これを持つことから真に有意義な交流が生まれるものと信じます。


<最後の晩餐>

午後6時半過ぎ、子どもたち全員での夜の礼拝が終わると、
みなそれぞれのコテージへと帰っていき、
そこから8時半までは学習の時間です。

トリチーでの最後の夜、礼拝が終わってから一人町まで出かけ、
頼んでいた写真のプリントを取りに行きました。
その写真はハウスマザーが写っていて、
どうしてもそれをプリントして欲しいと頼まれたのです。

出来上がった写真を持ってホームに戻り、
マザーのいるコテージに行き、外から声をかけました。
女の子のいるコテージは、規則で中に入ることができません。

写真を窓からマザーに渡すと彼女は大喜び、
コテージの女の子たちと一緒になり、是非とも中に入れと誘ってくれます。
彼女も今年から外国人男性は中に入ることができないと知っているのですが、
その上で自分を招き入れてくれました。

そんなマザーや子どもたちの姿を見ているとまたまた胸が熱くなり、
いったん部屋に戻り、夕食がはじまる8時半に再び来る約束をしました。

これがトリチーでの今回最後の晩餐です。
午後8時半、学習を終え、夕食の支度をする女の子のコテージに、
入り口の監視カメラを下をかいくぐって入りました。



子どもたちとの楽しい夕餉(ゆうげ)、
まったく何と言うことのない、ごくごく普通の日常生活のひとこまです。
けれどこの日常が限りない喜びに満ちています。

これは自分の主観に基づく思いです。
けれど価値観とはこの自らの主観がすべて、
自分が幸せだと感じ、満ち足りていると感じられたならば、
もうそれに勝るものはないのです。



幸せは日常の中、今ここ、この瞬間に満ちているのだ、
インドの子どもたちから、いつもこのことを教えてもらいます。



別れの時、たくさんの子どもたちから、
今度はいつ来るの? 来年も来る? 日本に帰らないで、とっても悲しい、・・・
こんな言葉をたくさんたくさんもらいました。

心が弱いからでしょうか、
大きな喜びの裏に、いつもそれと同じだけの悲しみ、寂しさを感じます。

子どもたちと触れ合うのが楽しい分だけ、
別れには大きな辛さが伴います。


いつも思うことです。
この子たちの真の幸せに繋がることはなんだろう、
自分はそれに対してなにができるのだろう、
これは今の、そして今後も変わることのない永遠の課題です。



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