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子どもたちの暮らしている集落は、
日本の家と比べるとかなり質素で貧しい家が集まった、
まさに村と呼ぶにふさわしいところです。
乾燥地帯で大きな樹木があまり多くないこの地域では、
ほとんどの家が石やブロック、コンクリートで作られていて、
屋根や壁がトタン板という家も少なくありません。
(多雨地帯では、椰子の葉で編んだ家などが見られます)
子どもたちは自分の家に来てもらうのが大好きです。
「カム・ツー・マイハウス」(家に来て!)という嬉しい言葉をもう何百回ももらいました。
村の中には、日本の一戸建て住宅に匹敵するような立派な家も、
わずかではありますが存在します。
けれど多くの家は薄暗い昔ながらの建物で、
家畜とともに暮らし、部屋数も二つ、三つ、
あるいは家族数人が一部屋で暮らしているというのも珍しくありません。
コスモニケタンに通ってくる子どもたちの家のスタイルも様々ですが、
貧しい暮らしをしていても、
それを恥ずかしがったりすることはありません。
満面の笑みで手を引っ張られて子どもの家に行くと、
あまりの貧しい暮らしぶりに一瞬心が痛んでも、
その笑顔の輝きに心救われる思いがします。
これは村によくある家の形です。
横長の建物の正面は左右対称になっていて、
左右に扉がひとつずつ配置されている、二軒がひとつになった集合住宅です。
中には8畳程度の広さの部屋があり、
そのスペースで家族の人たち全員が暮らしています。
窓はあっても小さなもので、
外側には防犯のための鉄格子があり、
木の窓扉の一部が採光のためのガラス板になっています。
奥の方には掘り込まれたかまどのようなところがあり、
そこで火をたいて料理をしますが、
家によっては簡易型のガスコンロを使っているところもあります。
着ているものは多少汚れたり破れたりしていても、
それをきちんと着こなし、
いつも凜とした姿勢でみずみずしい表情を浮かべている子どもたちが、
とても貧しい質素な暮らしをしているのを知ると、
やはり日本人的感覚でとても違和感を覚えます。
豊かすぎる日本人は、その豊かなモノに依存し、
その豊かさこそが幸せであると深く信じていますが、
インドの子どもたちのイキイキとした笑顔と接すると、
それはどこかに間違いがあるのではと思わざるを得ません。
インドの子どもたちから、
本当に大切な “豊かさ” とは何かを教えてもらっています。
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