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帰国しました<1>


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9月30日(火)、三ヶ月半のインドの旅を終え、
無事日本に帰って参りました。

その間カルナータカ州ビジャプールにある
コスモニケタン日印友好学園というところでずっと時を過ごしたのですが、
派遣元との関係もあり、
その間ホームページをまったく更新することがありませんでした。

インドでの旅の記録を楽しみにしてくださっていた方には、
本当に申し訳ないことをしました。
心よりお詫び申し上げます。

けれどこれまでのインドの旅では毎日連続でその日のページを書き続け、
それがとても時間的に負担だったので、
そのことから解放されたこと、
そしてインドのことに限らず、
「ページを更新しなければならない」という半ば義務的な思いを手放せたことは、
心をとても自由にしてくれました。

まったく不器用な生き方しかできない人間です。
お許しください。


これまでのインドの旅は、
ホーム(児童養護施設)を訪ね、
そこで生活する子どもたちと触れ合うことが主なテーマでしたが、
今回は日本の団体が支援をし、
現地のインド人が運営する学校に駐在することが目的でした。

州で言えば、これまで訪ねていたのがインド最南端タミルナド州、
今回がその西北に隣接するカルナータカ州で、
言葉や気候は異なるものの、
人々の気質や子どもたちの底抜けに明るい笑顔や可愛らしさは
まったく変わることがありません。

今回の旅も、これまでとはまた違った経験ができ、
自分をより深く見つめることができました。
そのことはこれからまた少しずつ書いていこうと思います。


コスモニケタンのあるビジャプールから広島の自宅まで、
乗り継ぎ時間を含めて丸三日間かかります。

ビジャプールからカルナータカ州の州都バンガロールまで、
日本にはない寝台バスに乗って11時間、
バンガロールで一日過ごし、
翌朝タクシーに乗って少し郊外にある飛行場へと向かい、
国内線で首都デーリー、
そこで国際線に乗り換えて、
午後11時過ぎに香港経由で関西国際空港に向けて発ちました。

行きと帰りの飛行機は、
まったく逆向きの同じルートだったのですが、
行きはデリーでの乗り継ぎ時間がほぼ丸一日あり、
機内預け入れ荷物をいったん受け取る必要があったのですが、
帰りは乗り継ぎ時間が7時間ほどだったので、
バンガロールで荷物を預ける際に関空行きのタグを付けてもらい、
荷物はそのまま関空まで直行となりました。

今回利用したインド航空は、
23キロ以内の大きな荷物を二つ預けることができるので、
荷物をまとめるのがとても楽でした。


長〜い旅を終え、飛行機が関空に着陸する際、
窓から三ヶ月半ぶりの日本の景色が目に入ってきました。
その時湧き上がってきた感情は、
とても一言で言い表すことができません。

懐かしいといったありきたりのものではなく、
まるで未知の異国、いや異次元に彷徨い込んだかのような気分になりました。
この違和感こそが、今回の旅の重さそのものです。


飛行機を降り、入国手続きを済ませ、
預けた荷物を受け取るべく、荷物が流れてくるローラー台へと向かいます。

大勢の他の乗客の人たちと並んでいると、
衣類やお菓子、本などのあまり大切ではない壊れにくいものを入れた
大きな白い布製バッグが現れました。

それを受け取り、
もうひとつの大きなグレーのトランクケースが現れるのを待ちました。
そこには日本で受け取ったらすぐに取り出すべく、
日本円の入った財布、ケイタイ電話、家の鍵、Wi-Fiモデム、
その他カメラ、ビデオ、パソコン等、大切なものが一式入っています。

け、けれど、待てど暮らせどその大切なトランクケースがローラー台の上に出てきません。
周りの人たちはみな自分の荷物を受け取り、
一人また一人と姿を消していき、
気がついた時には自分一人になっていました。

たった一人になり、どうしたものかと思っていると、
横から空港関連サービス会社の人が近寄ってきて、
荷物のことで何かトラブルがあったのか尋ねてくれました。

もう機内に預け入れた荷物はすべて出たそうで、
預けた際にもらったタグの半券を確認してもらったところ、
どうやらトランクケースが関空には来ていないということが分かりました。


こういったことが起こりうるということは知っていましたが、
まさか自分の身に降りかかるとは思ってもいませんでした。
またどれぐらいの確率で起こるのかは分かりませんが、
サービス会社の方たちが三人ほど集まってきて、
平身低頭とても恐縮した態度で、
本当に親身になって対応してくれました。

この時点で日本円は一円ももっていません。
もちろんカード類もありません。

外貨は数千円分持っていましたが、
本来はその国以外へは持ち出し禁止の外貨のため、
日本で両替することができません。

どこかに連絡しようにも、
ケイタイ電話がないので電話番号が分かりません。
印刷した名簿も、そのトランクケースに入れています。

にっちもさっちもいかないとはこんなことを言うのでしょう。
できることと言えば、
誰か知り合いに関空まで来てもらうしかありません。

インドに行く時は、
いつも前日奈良県天理市にある平成講という天理教の教会に泊めてもらうので、
そこへ連絡しようと思うのですが、
当然電話番号が分かりません。

サービス会社の人は、
ネットと104でいろいろと調べてくださいましたが、
教会の名前や先生の名前では登録されていないようで、
どうしても調べるこができません。

幸い住所の町名は覚えていたので、
その同じ町にある教会関係の施設に連絡し、
平成講の電話番号を聞こうとしたのですが、
「あそことはまったく関りがないので・・・」ということでけんもほろろです。

ちょっと話は横道に逸れますが、
自分の天理教の先生は、
教理の原点に頑ななまでに忠実に生き、信仰していて、
そのため教会の本部組織と上手くいかないことが多々あり、
本部組織から疎んじられ、
他の教会関係の人たちにもよく名前が知られているそうです。

たぶん大きな組織を持つ宗教団体というのは、
どこもその組織の中心は大きな問題を抱えているものと推察します。
『形あるものは崩れる』、『よどんだ水は腐っていく』、
今はその時代の理が如実に表に現れています。

だからと言って宗教すべてがダメだと言うわけではありません。
自分はたまたま天理教と縁がありましたが、
どの宗教でも、その信仰によって魂に磨きをかけている人はたくさんおられると思います。

大切なのは “何を” という自分の外ではなく、
“それとどの様に” という、自分とそのものとの関わり方、
あるいは自分自身の内面です。

自分も今は天理教を信仰しているわけではなく、
他の宗教と同じく、その教えの中から真理の糸口をさぐり、
自分なりの生命の実相をつかむ一助としています。

またそんな自分を受け入れ、
もう四十年ほどの付き合いの中で、
様々な真理を己の生き様で示してくださった先生。
その先生と、自分の精神世界の原点となる最初の時点で出会えたことを、
深く誇りに感じています。


そんなことで、天理教組織からは疎外されている先生と教会ですが、
  (平成講は講という名称で、正式な教会としては認められていません)
唯一教会本部との接点となってくれている教会があり、
その教会のことを思い出し、そこに電話をし、
平成講の電話番号を聞くことができました。
その教会は典日分教会といい、サムシンググレート村上和雄先生の元ご実家です。

せっかく苦労して手にした電話番号ですが、
残念ながら今は教会には誰もいないようで、
何度呼び出しても発信音が鳴るだけです。


この時点でできるとこはすべてやり尽くしました。
もうできることは何もありません。

荷物が関空にないということは、
インドか経由地の香港にあるということです。
たぶんなくなっていることはないだろうとのことですが、
今はまったく分かりませんし、短時間で問題解決することはあり得ません。


この間時間がどれぐらい経ったでしょう。
バタバタしていたので時間感覚はほとんどありませんが、
一時間近くは経っていたと思います。

このような思いがけない事態に遭遇し、
最も驚いたのが、
バッグが行方不明になったということではなく、
こんなことになったにも関わらず、
自分の心がまったく乱れていないということです。

心の中は平静そのもの、
まるでそよ風が吹いているようです。

これも一言でその心情を表すことはできませんが、
どうしたって成るようにしか成りません、
またこんなことはなかなか経験できないことであり、
これは新たな世界の始まりを示す何かだとも感じられ、
かすかな期待と喜びすら湧いてきます。

それと本当に親身になってくれているサービス会社の方たちが、
三人ともみな若くてキレイというのも喜びを感じる大きなポイントです。 (^o^)v
銀行員のような紺色の制服がとても素敵ですしね♪ (*^・^*)


取りあえず今は何もできないので、
荷物がひとつ欠けた状態で税関を通り、
サービス会社のある二階フロアーに移動し、
その前にあるソファーに座って次の展開を待つことにしました。

関空は無料でWi-Fiが使えます。
幸い背中に背負っているリュックにはiPadが入っていて、
これで知り合いにメールを打つことにしました。

まずは今回のインド行きの派遣元に帰国報告をと思い、
アジア協会の田中さん宛のメールを開きました。
iPadでメールはほとんど打ったことがないので、
慣れない手つきで画面を操作し、
件名を入れながらふと顔を上に上げると、
な、なんと、目の前にその田中さんがおられるではないですか! w(*゚o゚*)w

田中さんは自分の到着便を知っていたので出迎えに来てくださったそうですが、
いつまでたっても到着ゲートから出てこないし、
ケイタイはまったく通じないので困り果て、
いよいよ帰ろうと思い、
その前にお腹が空いたのでローソンで何か買おうということで、
上の階にわざわざ上ってこられ、そこでバッタリ自分と出くわしたということです。

何と言うことでしょう、
インドの関係では奇跡のようなことが日常的に起こるのですが、
またこんなところで不思議なサインを見せられました。

天の助けとはこのことを言うのでしょう。
まさに田中さんは天の助け人であり、
やはり人は誰しもが天であり、神そのものの存在です。
そんなことを感じます。


その田中さんと二時間ほどインドで出合った様々なことを話をし、
お金を受け取り、無事新幹線で広島に戻ってくることができました。

新幹線が広島駅に着く少し手前、
右手にナイターの観客で湧く広島新球場が光り輝いています。

不思議なものですね、
関空に着いた時はものすごく違和感を覚えた日本の風景が、
広島に着く頃にはすべてきれいに切り替わり、
広島駅周辺の景色が昨日まで同じように見てきたかのように感じられます。

荷物のことでゴタゴタし、
田中さんとインドのことを振り返り、
意識が変容したのでしょうか。
これは自己分析するのが難しいですが、
今回はインドで自分なりに充実した時を過ごすことができ、
インドに名残惜しさを感じると同時に、
この流れを活かし、
早く日本での新たな日々をスタートさせたいという思いを強く持っていたので、
その思いが日本への違和感を急速に払拭させたのかもしれません。


家には合い鍵を隠していたのですんなりと入ることができました。
久し振りに嗅ぐ畳の匂い、
日本人として、日本の地に無限の可能性を感じます。


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