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〜6月17日


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6月12日、広島最後の夜、
二ヶ月以上前から今回のインド行きの準備をしていたのですが、
やはり直前になると慌ただしくなり、
Skypeで友人と話をしたり、メールや手紙を書き、荷造りの最終チェックをし、
結局この夜はほとんど寝ることができませんでした。


翌13日、毎週参加している早朝の異業種交流会「積極人間の集い」に参加し、
顔馴染みのメンバーとしばしの別れを告げ、
会終了後、その足で新幹線に乗り込みました。

新幹線で新大阪まで向かい、
今回インドに派遣してくださったアジア協会へと行きました。
アジア協会は大阪駅からほど近い淀屋橋にあります。

インドへはある団体から寄贈していただいたWindows 7パソコンを三台
持って行くことになっているのですが、
三台ともOSは日本語版なので、
それを英語表示に変更しなければなりません。

Windows 7は最上位のUltimateには、
標準で使用言語を変更できる機能が付いているのですが、
今回いただいたProfessionalにはその機能が付いていません。
協会の方はその言語変更ができないとのことなので、
出国直前、協会に寄ってその作業をすることになりました。

いろいろとネットで調べ、vistalizatorというソフトを使い、
三台中一台はすんなりと英語表示にできました。
けれど後の二台はどうしても途中でエラーが出て、
英語表示にすることができません。
大急ぎでパソコンを寄贈していただいたので、
OSが完全には初期化させておらず、
パソコン内部の何かが表示変更の邪魔をしているのだと思われます。
仕方がないので、後はインドで作業をすることにしました。


その夜はインド行きの時は恒例となっている奈良の天理に泊めてもらい、
翌14日、午前10時過ぎのリムジンバスで天理から関空へと向かいました。

今回は日本からは自分を含めて三名がインドに行くことになっているのですが、
自分だけが三ヶ月半の長期滞在をする関係で、
安いチケットを探し、一人だけ一日早い飛行機に乗ることになりました。

関空には正午前に到着し、すぐに搭乗手続きをすませます。
今回利用するインド航空は、預け入れ手荷物が上限23キロのものが二個までと、
とても緩い規定となっています。
最近はどこの航空会社も規定が緩くなっていて助かります。

午後2時10分に出発する飛行機は、
香港を経由しインドの首都デリーまで行き、
そこでインドへの入国手続きをし、
翌15日、23時間の乗り換え時間を経て国内線に乗り換え、
南インドバンガロールへと向かいます。

乗り換え時間が24時間以内の場合、
同一経路での航路とみなされ、
最終目的地まで荷物は預けたままで大丈夫だと聞いていたのですが、
念のためと思い、関空のカウンターで荷物のことを聞いてみました。

すると驚くなかれ、事前に聞いていたのとは違い、
荷物はいったんデリーで受け取らなければならないとのこと、
今回預けるのは20キロクラスの荷物が二つ、
デリーには夜遅く到着し、その日のホテルも予約していません。
大きな荷物を抱え、これは困ったことになりそうです。

その場で関空のフリーWiFiに接続しネットで調べて見たところ、
デリーの飛行場には荷物を預ける場所があるということが分かり、
一安心しました。

けれどもし関空のカウンターで荷物のことを聞かなければどうなっていたのでしょう。
デリーで自分の荷物をほったらかしで外に出て、
かなり悲惨なことになっていたはずです。
何事も再確認が大切ですね。
かろうじて難を逃れました。


飛行機の中はきわめて快適でした。
最近熱心に実践している体幹トレーニングが効いている感じで、
長時間同じ姿勢を保っていても苦痛を感じません。
目の前の液晶ディスプレーの調子が悪く、
映画を鑑賞できないのが残念でしたが、
出された食事もお酒も美味しくいただきました。

香港で二時間ほど機内で乗り継ぎ客の乗降、清掃をし、
インドの首都デリーに着いたのは、
予定通り現地時間の午後9時過ぎでした。


インドの入国審査をすませ、
すぐに荷物を預けられる場所を探したところ、
ネットでの情報通り、空港の到着ロビーの向い側の建物の中にありました。



20キロ超と20キロ弱の荷物を二つ一日預けて870ルピー、
インドの通貨単位1ルピーは、現在日本円で1.8円弱ぐらいですので、
千五百数十円というところです。

身軽になった体でエアポートメトロに乗り込みます。
料金はニューデリーの中心部まで150ルピーです。



社内はかなり近代的、さすがインドの首都です。



メトロの駅を降り、鉄道のニューデリー駅を通り越し、
旅行者向きのホテルが集まるバハール・ガンジに行きました。
ここで今夜泊まるホテルを探します。



くたびれていたので、
通りを入ってすぐのところにあるGold Regencyというホテルに決めました。
エアコンの音がうるさいですが、ベッドもきれいで快適です。
無事デリーのホテルまでたどり着けて一安心です。




6月15日、朝は5時過ぎに目が覚めたのですが、
あまり早いと町の営みはまだスタートしていないので、
9時過ぎまで待ち、チェックアウトして外に出ました。

ホテルの前の通りはメイン・バザールと名前で、
ホテルの他、いろんな店が立ち並んでいます。



まずはローフードの朝食ということで、フルーツジュースを飲みました。



インドのフルーツジュースは安くて美味しくて最高です。
機会あるごとに飲もうと思います。



こんな風に果物を売る店もたくさんあり、果物好きにはほほえましい光景です。





それにしてもデリーは暑いです。
先日は47.8度という記録的な猛暑だったのですが、
今日も40度は軽く超えているでしょう。
歩いているだけで汗が噴き出ます。
ただ湿度はさほど高くなさそうなのが救いです。

メイン・バザールから歩いてコンノートプレイスに向かいます。
コンノートプレイスは、
イギリス占領下に作られたきれいに区画整理された街の中心街です。

ぶらぶら歩いているだけでも暑いので、
地下鉄の駅へと潜ってみました。
地下は少しだけひんやりとしています。

ここにはインドでは珍しい自動販売機があり、いろんなお菓子を売っています。
けれど一般のインド人には使い方が分からないらしく、
機械の前で右往左往しています。

どうもお札をきちんと認識してくれないようで、
何度もお札を投入口から入れようとしていますが、
まったくダメみたいです。



インドのお札はたいがいボロボロになっていて、
しかもその上に落書き(メモ書き?)されているものが多く、
硬貨も同じ価値のものでも何種類かあるようなので、
自販機としてはかなりハードルが高いのです。

結局前の人は思った商品を買うことができず、
あきらめてその場を立ち去りました。
その後でピーナッツを買おうと自販機に硬貨を入れたところ、
まだ商品番号を押していないにも関わらず、
勝手にクッキーが出てきてしまいました。



な、なんということでしょう。
たぶん前の人の押した番号が記憶されていたのでしょう。
横の階段に腰掛けてその様子を見ていた女性に笑われてしまいました。
まあこういうトラブルも楽しい旅の思い出です。

コンノートプレイスでは、運転手や物売りたち、いろんなインド人から声をかけられます。
中には耳かきをさせてくれと、
こんな手帳を見せてしつこくセールスしてくる人もいるのです。



なんとも商売熱心ですね。
こんな日本語の感想を書いた手帳を見せる耳かきセールスがいるということは、
事前にネットで調べて知っていたので、
ちょっとビックリすると同時にラッキーな気分です。

こちらは「英語は分かるか?」と尋ねられ、
英文の感想と写真を見せられました。



今気がついたのですが、
上の二つの手帳は同じ種類のものですね。
それぞれ違うセールスから声をかけられたと思っていたのですが、
もしかしたら同一人物だったのかもしれません。
それともセールスマン同士、みんなで結託しているのでしょうか。

少しお腹がすいたのと歩き疲れたのでマクドナルトに入りました。
このコンノートプレイスは、舶来のブランドショップや有名店が多いのです。



こんなセットを頼みました。
税込み123ルピー、約220円ほどです。
日本のマックよりも野菜の量が多めかな。



コンノートプレイスは鳩が多いのです。



今朝になって、カメラのレンズキャップをなくしたことに気がつきました。
そこでカメラ屋さんに入り、レンズキャップを買いました。
ニコン製のレンズに付けるキャップ、
ニコンのロゴが入った(たぶん)正規品は600ルピー、
ロゴなしのは400ルピー、約700円ちょっとです。
モノは同じようだったので、ロゴなしのものを買いました。



インドのほとんどの店には神様が奉られています。
インドの神様のことはよく分かりませんが、
シバ神やゾウの神様ガネーシャがメインのようです。
また初代のシルディーのサイババもよく見かけます。



コンノートプレイスの周りにはたくさんの露店が出ていて、
その多くは衣料品のお店です。
今日は日曜日なので賑わいは普段の日とは違うのかもしれません。





コンノートプレイス中心部には巨大なインド国旗がはためていています。
カメラを構えている位置から旗まではかなりの距離があります。
その大きさを想像してみてください。



インドのパンは美味しそうですね。
甘いものはあまり好きではないのですが、
上段真ん中のクリームがたくさん入ったのが美味しそうです。



この子たちは一生懸命ボールペンを売っています。
一本数円程度の値段ですので、
ついつい言われるままたくさん買ってしまいました。



こんな幼い子どもまで物売りをしなければならないのがインドの現実です。
児童労働はインドに限らず、貧しい国々に於ける重要な課題です。

あんまりたくさんのインド人に声をかけられ、
そのすべてにノーと答えるのはくたびれてきたので、
彼らの誘いに乗って両替をしてもらうことにしました。
右のオニーサンがかぶっている麦わら帽子は、
昨年ダイソーで200円で買い、今回インドに持ってきたものです。



結局少し高いレートで両替させられたのですが、
それがいいとか悪いとか、騙されたとか騙されないとか、
そんな次元ではインドは語れないような気がします。

金は天下の回りもの、富める者から貧しい者へ、
すべてを自分の立場から見た損得で物事を判断するのは、
なんだかギスギスしておおらかなインドの風土には適さないように感じます。
そんな風におおざっぱに考えて日々を過ごすのも、
インド流かと思います。

彼らにすすめられ、政府が運営しているという百貨店へ行きました。
通りかがりのオートに声をかけ、10ルピーで連れて行ってもらいました。



着いたところはきれいな内装の高級品店で、
まったく好みではないのですぐに店を出ました。
店の近くを少し歩くと乗って来たオートの運転手がまだいたので、
再び10ルピーでコンノートプレイスまで引き返してもらうことにしました。



このおじさんにも帰り道、
ティーをご馳走するからと茶葉を扱っているお店に無理矢理立ち寄らされました。
そこはティーを飲むことはできず、ただ高級な茶葉がたくさん並んでいる店で、
ここも少しだけ話を聞いて早々に立ち去りました。
たぶんここで何か買い物をすると、
おじさんにバックマージンが入るようになっているのでしょう。
インド人は本当に商魂逞しいです。

コンノートプレイスはさっきよりも強い風が吹いています。
やはり何人かのインド人が旗に向けてシャッターを切っていました。



コンノートプレイスは地下にもたくさん店があったのですが、
もうショッピングはあきたので、元のメイン・バザールの方へと引き返すことにしました。
今度は地下鉄に乗って戻ります。



今日は日曜日なので家族連れが目に付きます。
目の前に可愛い兄弟たちがいたので、地下鉄と一緒に写真に入ってもらいました。



デリーのどこか分からない駅で降り、方向が不案内のまま少しだけ歩いてみました。
店の前に束になって垂れ下がっている電線がすごいです。



少し歩くだけで汗が噴き出ます。
けれどさすがにインド人は暑さに強いようで、ほとんどの人たちが帽子をかぶらず、
汗をぬぐう人もほとんど見ることはありません。
やはり自分の肉体は日本人です。

こういう時の最高の憩いはやはり美味しいフルーツジュースです。



グラスいっぱいのジュースの上には、甘いソフトクリームがのっかっています。
インドにいると普段の何倍も甘いものを口にします。

このおじさんたちとはにこやかに話をしていたのですが、
なぜかカメラを構えると急に真面目な表情になりました。
あまり写真に慣れていないのでしょうか。



なんとなく方向を調べてニューデリー駅の方へと歩いていると、
同じような機械がたくさん積み上げられたところにたどり着きました。
いわゆる専門店街です。



インドではこの据え置き型の冷風機をよく見かけます。
側面の編み目の中には天然素材のわらが詰め込まれていて、
そのおおざっぱさがインド的です。





ニューデリーの駅に近くなると、露店の数が増えてきます。
こんな風にお香をもうもうと焚いている店が多いのです。
食べ物とお香の香りは合わないような気がしますけどね。



昔の日本を思い出す、靴磨きや靴修理の店もたくさんあります。
この女性はサンダルを修理してもらっている間、素足のまま待っていました。



昨夜もこのニューデリー駅構内を抜けていきましたが、
昼も夜も大勢の人たちでごった返しています。



とにかくすべてが混沌として雑多な感じは、
首都デリーの中心駅近辺でも変わりません。



ホームも人があふれていますが、夜中はここにたくさんの人が寝転がっていました。
インド人の寝入りっぷりのよさには感服します。



駅の反対側に抜け、今朝も通ったメイン・バザールで安いTシャツなんかを買っていると、
ビールを提供するレストランの看板が目に入り、
その誘惑に負け、店に入ることにしました。

店内は旅行者と見られる多くの外国人客で混雑していて、
二人がけのテーブルに相席することになりました。

目の前に座っている青年のそばに「地球の歩き方 印度」と書かれた本があったので、
てっきり日本人かと思って声をかけたら、台湾から来ておられる旅行者でした。
地球の歩き方には中国語版があるということを初めて知りました。



この青年は黄さんという名前で、
ついさっきベナレスからデリーに入ったばかりで、
まだ今夜泊まるホテルも決めていないとのことでした。

話してみるとなかなかの好青年のようなので、
どこかホテルを決め、荷物を置いてここに戻ってきてから
一緒に街を観光しようということになりました。

まずオートに乗って一緒に行ったのは有名なインド門です。
その雄大なスケールに感激です。



さすが有名な観光スポットらしく、たくさんの物売りが声をかけてきます。



可愛い女の子がいたので、お母さんと一緒に写真を撮らせてもらいました。
インド人は写真を撮ることに対してとても寛容なので助かります。



名前を入れたオリジナルの腕に巻く、ミサンガって言うのかな、
それが2ルピーだと何度も可愛い女の子からすすめられ、
安いのでひとつ作ってもらうことにしました。

すると同業の女性がたくさん集まってきて、
友人の名前を書けと手に持ったノートとペンを押しつけてきます。



結局2ルピーというのはパーツ一個の値段で、
完成品は20ルピーとのことでしたが、
それでも36円ほど、日本の感覚では破格値なので、
たくさん作ってもらうことにしました。

こんな感じでアルファベットの入ったパーツ(駒)を編み込んでいきます。
これは年季の入った女性の手です。



けれど20ルピーだと言っていた値段も、
「これは長い名前だから50ルピーだ」なんてことも言われたのですが、
さすがにそれは拒否をして、一律20ルピーを支払いました。



完成品はこんな感じ、なかなかいいと思います。
手前の黄色いのは “SKAI” となってAが抜けていますが、
間違いを指摘すると電光石火の早業で編み直してくれます。
熟練の技はすごいです。



大勢でキャーキャー(ギャーギャー?)言って、結構楽しかったですよ。



黄さんはまだデリーはどこも観光していないとのことなので、
さっき行ったコンノートプレイスにオートで行きました。
まずは暑いので一休み、スターバックスに入ります。



ここも以前行ったマレーシアのスターバックスと同じくカップに名前を書き込んでいきます。
日本も同じことをするのでしょうか、
日本ではほとんどスターバックスに行ったことがないので分かりません。



黄さんはアメリカンのホットを頼んだのですが、
それを作る際、堂々とホットコーヒーにお湯を加えていたのがインド的です。

好青年黄さんにコーヒーをご馳走したらとても恐縮してくれたので、
「日本の津波被害の際は、台湾からたくさんの愛とお金をもらいました。
 これはその時の感謝の印です」
と、あたかも自分が日本の代表になったような気分でお礼を言わせてもらいました。
ちょっといい気分です。

コンノートプレイスは芝生に座ってゆったりできるところがあり、
そこに座って休憩したり、いろんな店を見て回って時を過ごしました。



夕方になり、飛行機の時間が近づいてきたので黄さんと別れを告げ、
地下鉄で飛行場へと向かいました。
地下鉄は切符を買うのにも行列です。
約10分ほど並びました。



デリーの飛行場、インデラ・ガンディー空港には出発一時間半ほど前に着き、
預けていた荷物を受け取り、無事搭乗手続きをすませました。
これから南インドカルナータカ州の州都であり、
インド最大のIT都市であるバンガロールへと向かいます。


バンガロールには午後11時前に着き、
ここで一時間半遅れで到着する日本からの二人と待ち合わせすることになっています。
建物の外は暑いと思われるので、
荷物受け取りカウンターの近くで座って待つことにします。

そこでちょうど一時間半待ち、もうそろそろかなと思った時に気がつきました。
自分が乗ってきたのは国内線、二人が乗ってくるのは香港からの国際線です。
国内線と国際線では到着ロビーが異なります。
大慌てで国際線の方へと向かいました。

けれど待てど暮らせど二人の姿を見ることができません。
国際線は入国審査があるので、到着してからロビーに出てくるまで時間がかかります。
念のために到着時間を調べて見ると、約30分遅れで到着のようです。

そんなこんなで不安を抱え、そこで更に一時間以上待ち、
アジア協会スタッフの田中さん、長年の支援者である渡部さんと出会うことができました。
通常はインド到着前に飛行機の中で入国カードを渡してもらえるのですが、
二人の乗られた便はそれがなく、飛行場に着いてからもカードを求めて長い距離を歩き、
とんでもなく時間がかかってしまったとのことでした。
旅にはトラブル、あるいはトラブルと呼べないまでも、
思うようにならないことがつきものです。


バンガロールの建物の外に出て、
その意外な涼しさに驚きました。
まるで高原の冷気といった爽やかさで、灼熱のデリーとはまったく違います。
バンガロールは標高920メートル、「インドの庭園都市」と呼ばれているそうです。

到着時間が随分遅れたにも関わらず、
建物の外では今晩宿泊するホテルの方が待っていてくださいました。
そのホテルの車に乗り込み、アジア協会御用達のホテルへと向かいます。

バンガロールの飛行場は市内中心部40からキロほど離れていて、
ホテルまで車で一時間近くかかります。
その間は最近開通したというきれいな高速道路が整備されいて、
そこには牛も人もおらず、自転車もなく、
まったくインドを感じさせない近代的で垢抜けしたイメージです。
さすがはバンガロール、以前から別荘地として栄え、
近年IT都市として勃興してきた街だけあります。

もう真夜中ではあるものの、街角でたむろしたり寝っ転がったりしている人がいません。
またゴミもほんど落ちておらず、インドの他都市との差を感じます。
やはりインドは大国、広いですね。


ホテルに入りベッドで横になったのが午前三時、
少しだけ睡眠を取り、午前九時にロビーに集合し、朝食を取りました。

泊まったホテルは「UNO-IN」、日本人専用のホテルで、
オーナーのジョビーさんは、日本に留学していたことがあって日本が堪能です。
そしてその日本留学当時からアジア協会の活動に加わっていたとのことです。



ホテルの中で目的地ビジャプールに行った時の準備をし、
その後少しだけバンガロール市内を観光しました。
バンガロールという名前は旧植民地時代に付けられた名前で、
2006年以降はベンガルールが正式名称になっています。
けれどこの名前はまだ定着していません。

きれいな歴史的建造物である州庁舎を見学しました。
残念ながら敷地の中に入ることはできませんでした。





この銅像は、インド憲法を創案したインド独立後初の法務大臣アンベードカルです。



アンベードカルは不可触民出身であるにも関わらず高い学位を得て、
差別運動に尽力した偉人です。
日本ではほとんど知名度がありませんが、
インドの多くの学校では、ガンジーやネルーらとともに肖像画が描かれています。

アンベードカルの業績を知ると、
いかに尊敬に値する素晴らしい人物であったかがよく理解できるでしょう。

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“政府の仕事は神の仕事” 、さすがは神様の国です。





こちらはその向い側にある高等裁判所、
こちらもきれいな建物ですが、中に入ることができません。



高等裁判所の方から州庁舎を眺めます。
州庁舎手前では工事をしています。



看板には、 “ここでお酒を飲むな” 、 “児童労働禁止” と書かれていて、
インドの現状がよく分かります。



しゃれたバンガロールの街でショッピングを楽しみました。
中心部には高級でおしゃれなビルが立ち並んでいます。
アジア協会の田中さんとツーショット。



フィズを頼んだら、こんなきれいなのが運ばれてきました。
けれどほとんどアルコールは感じられませんでした。



ホテルに戻り、いろいろ用事を済ませていたら、
夜行列車ギリギリの時間になってしまいました。
大急ぎで車に荷物を積み込んで、車を駅まで走らせますが、
夜行列車の出る駅はいくつかあるらしく、
それを電話で問い合わせるだけでも一苦労です。

なんとか出発時刻ちょっと前に駅のホームにたどり着きました。



インドの列車は数十分遅れるのが当たり前、ここでしばしの休息です。
ビジャプールへは、ジョビーの奥さんで日本人の由起さんも同行してくださいます。



駅のごちゃごちゃした感じはいかにもインドっぽくていいですね。
こういうところをフラフラ歩くのが大好きです。



売店のところに可愛い女の子がいたので、またまた写真を撮らせてもらいました。



写真を撮らせて欲しいと言うと、ちょっと恥ずかしそうにはにかみ、そして喜んで、
本当にインドの女の子ってめちゃめちゃ可愛いです。



三十分くらい遅れて列車がやって来ました。
今回は四人一室の一等寝台を借り切りです。



こんなのんびりした列車の旅もいいものです。
一等寝台は贅沢ですが、大量の荷物を安全に確保しておけるので安心です。



列車の旅はゆったりと進みます。
これは朝方に撮った写真ですが、沿線はこんな平原が限りなく続いています。



列車はゆっくりと走ったり止まったり、
少なくとも二つの大きな駅で三十分間ほど停車していました。
単線ですから仕方ないのかもしれませんが、インド的悠久の時の流れです。



朝食を食べ終わるともうすぐビジャプール、
いよいよ日印友好学園コスモニケタンが近づいてきました。



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