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旅を終えて<2>


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昨年のインドの旅で、最も心に残ったキーワードは『条件』でした。
自然と密接に暮らすインドの人たちの環境に対する適応力は、
日本人のそれとは比べものになりません。

きめ細やかな心くばりと知恵、努力によって、
与えられた環境を少しでも改善していこうとする日本人の持つ文化は
素晴らしいものではありますが、
インド人の与えられた環境を受け入れ、
その中で不満をこぼすことなくただ黙々と行動を重ねる姿勢には、
深く心打たれ、学ぶところが多くあります。

親元から離れ、厳しい規則や制約があるホームで暮らす子どもたちから、
愚痴めいた言葉を聞いたことも、態度に触れたこともほとんどありません。

自分にとって南インドのホームはまさに天国そのものです。
それだけ素晴らしい思いができるのは、
自分の心の中が喜びで満たされているだけではなく、
そこに暮らす子どもたち自身が、心の底から喜びを表現しているからに他なりません。

その深い喜びの思いを持ち、
ホームの子どもたちは、日々淡々と、そして逞しく生きています。

ホームの子どもたち全員が勉強熱心というわけではありませんが、
真面目に学習に取り組む子どもたちから、
“学ぶために条件は必要ない” 、
“真剣に学びたいという意欲があるのなら、どんなところでも学ぶことができる”
という、極めて大切なことを教えてもらいました。

個人用の学習机を与えられていないホームの子どもたちは、
各自思い思いの場所でテキストを広げて勉強します。

机もない、まともな灯りもない、参考書もなくあるのは薄っぺらいテキストだけ、
そんな中、薄暗い外灯の下、地面に腰を下ろして懸命に勉強をしているのです。



この姿を見て、心動かされない日本人はいないでしょう。

日本人はあまりにも恵まれすぎています。
恵まれすぎてしまい、様々な条件が与えられて当たり前だと思い、
その恵まれた条件に対して感謝することができなくなっています。

またその条件が満たされていなければ何もすることができない、
とてもひ弱な民族に、日本人はなってしまいました。


経済先進国である日本がインドと比べて何もかも劣っているということはないのですが、
インドに行くと日本にはないいい面ばかりに目が行ってしまいます。
やはり過去世インド人だったことを自覚する自由人には、
インドの空気が肌に合っているのかもしれません。

そんなインドに少しずつ心身ともに馴染んでいき、
インドの常識が自分の常識と深く重なるようになってきたがゆえ、
今回の旅でようやく『日常』という、
最も身近で、最も大切なものに目が向くようになりました。

そんなインドで今回も様々な体験を重ねてきましたが、
それをまとめて言葉で表現しようとしても、
なかなか適切な言葉が浮かびません。

インドでの出来事はすべてが “日常的” であるがゆえ、
それらのことは頭の中に鮮明に記憶として残ってはいても、
取り立てて言葉として表に出てこないのです。

それとは逆に、日本に戻ってきてから、
“日本の日常” に強い違和感を覚え、
それに対して様々な思いが湧き上がってきています。

元々、過去の慣習や周りの人たちの行動に合わせ己を律するというのが
苦手なタイプだったのですが、
今回インドから帰ってきて、ますますその傾向が強くなりました。

それはもっと自由に、もっと己に正直に生きるべきだという考え方に、
より深く確信が持てるようになったこと、
そして様式美ともいえる高度にシステム化した日本の社会は、
やはり一度崩壊しなければ新しい持続可能な社会は築けないだろうと強く感じるからです。


今の日本に求められているものは、車に例えるならば、
きれいに舗装され、サービスエリアも完備されている高速道路を
快適に走れる高級車を作る技術ではなく、
この時代の大きな転換期を乗り切るため、
どんな悪路でも故障せずに走ることができ、
故障しても簡単に修理できる構造を持つ車であり、
またその修理ができる技術です。

そのためには、対極の価値観、生き方を持つインドの文化が、
日本にはどうしても必要だと思えてなりません。

どんな『条件』をもものともせず、
逞しく、そして明るく喜びを持って生きることのできる文化、
それを『日常』の中に見いだせる暮らし、
このことを真剣に求める必要があるのです。


けれどそのためには、今の社会構造を根本から変えていかなければなりません。
競争原理に基づく資本主義社会は、
与えられた『条件』に満足することなく、
さらなる好条件を求めるよう、そこに暮らす人々の欲求を刺激します。

また新たなる欲求を生み出させるため、
人の目を己の内から外、『日常』(ケ)から非日常(ハレ)へと導き、
人は終わりなき競争へと駆り立てられるのです。

それはインド社会に於いても同じことであり、
急速に経済発展するインドで、
今の子どもたちの持つ輝かしい笑顔がいつまで保たれるのだろうか、
そんなことを考えた時、
やはりすべての意味での先進国である日本の役割は極めて大切であると
思わざる得ません。


日本人として、インドと関わりを持つ者として、
自分はこれから何ができるのか、何をしていくべきなのか、
そのことをいつも考えています。

これはなかなか考えて結論の出ることではありませんが、
インドと深いご縁を与えられたことを見つめ、それを感じ、
目の前の『日常』を喜びとともに受け入れていくしかありません。

インドとの関わりに於いては、
これまで数え切れないほどの不思議な導きを体験してきました。
ですからインドと関係を持つことに対しては、
自分の中で躊躇や疑問は微塵もありません。

これはとても恵まれたことであり、
それに深く感謝すると同時に、
それを受け止める己の感性により耳を澄ませていきたいと考えています。


そして四度目の南インド訪問から帰った早々ですが、
また新たにインドからの導きがありました。

二年ほど前、アジア各地で井戸や学校を作り、
貧しい地域を支援している公益社団法人アジア友の会という団体の
代表の方とご縁ができ、
このたびそこからの依頼で、
インド カルナータカ州ビジャプールというところにある学校に、
六月中旬から三ヶ月半、運営をお手伝いするために行くことになりました。

カルナータカ州は、これまで訪ねてきたホームのあるタミルナド州と同じ南インドで、
タミルナド州の北西に隣接しています。

そこの貧しい農村地帯の学校に通えない子どもたちのため、
無償で通える学校を作り、
現在、四百数十名の幼稚園・小学校・中学校の子どもたちが在籍しているとのことです。

また詳しいことは後日報告させていただきますが、
これはインドからの新たなる導きであり、
インドで果たすべき自分の役割をより深めるチャンスだと感じ、
心して勤めさせていただこうと考えています。


インドとのご縁はこれからもますます深まっていくでしょう。
そしてそこで得たものを、このホームページで、
そして己の生き様すべてで表現していきます。

魂の故郷インド、そこは限りなく深い憧憬を感じ、
己の原点を見つめさせてくれる学びの場です。



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