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3月3日 チェンナイ


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今日はいよいよインド最後の日です。
一ヶ月前インドに着いた当初は、その日常があまりにも自然に流れるがゆえ、
本当に日本に戻らなければならない日が来るんだろうかと考えたのですが、
やっぱりその日は来るんですね。
そのことを自然に受け止められますが、やはり寂しさが募ります。

朝早く礼拝堂の行くと、そこで学習しているはずの男の子たちが、
「ブラザ-、ピーコック、ピーコック!」
“中に孔雀がいる” と笑いながら手招きします。

彼らに連れられ中に入ってみると、
ラジが床で眠りこけていて、そのお尻に葉っぱが何本か突き刺さり、
孔雀みたいになっていました。 (^◇^;)



朝早いですからね。
横になったら寝入ってしまったのでしょう。
子どもたちとラジとの楽しい関係、いいですね♪



ホームに犬が何匹かいますが、この白犬ディックはとてもおとなしく、
礼拝の時もよく中まで入ってきます。



姉妹で聖書を読む姿、これもとってもいいですね♪



学校に行くバスに乗る時も祈りを捧げます。
祈りを捧げる子どもたち、黄色いスクールバス、緑の木々、絵になる光景です。



こうやってみんなを見送るのも今日が最後だね。
子どもたちの笑顔が胸にしみます。



スクールバスには運転手のスペンドラム、そしてウシャマーがいつも一緒です。
二人の写真もたくさん撮りました。
いつも快くバスに同乗させてくれてありがとう。



ジーナも最後なので写真を撮りました。



ジーナに帰国の準備は万端かと尋ねられ、
パスポートを見せたところ、
自分の誕生日12月16日が、
彼女のおじいさん、ホームを運営する三兄弟の父親と同じであることが分かりました。
これも何かのご縁でしょう、ますますインドとの結びつきを感じます。

また12月16日は楽聖ベートーヴェンの誕生日でもあります。
そのことをジーナに話したら、
なんと彼女はベートーヴェンを知らないのです。
大学の教員をする教養豊かな彼女ではありますが、
ベートーヴェン、バッハ、モーツアルト、
そういった西洋クラシック音楽の大作曲家の名前は一切聞いたことがないようです。

インドにはインド独特の音楽文化があるということなのでしょう。
インド人はダンスや音楽が好きですが、
インドでは、インド音楽以外ほとんど耳にすることがありません。


キッチンで、スタッフたちと周りの動物たちとの一緒の写真を撮ろうと思ったら、
気まぐれなガチョウがなかなか言うことを聞いてくれません。
そんなガチョウの羽根や首をわしづかみにし、無理矢理押さえつけるハウスマザー、
その逞しさに自然(野生?)を感じます。



そんな自然とともに暮らす彼女たちだから、
よけいに写真が珍しく、興味があるのでしょう、
みんなで iPad 鑑賞です。



早めに帰ってきた子どもたちとともに、コテージでダンスを楽しみました。
後ろで本を見ている子は、歌詞を見て歌っているのです。



踊り方は適当です。
ただ手を握って動き回っているだけで子どもたちは大喜びです。 ^^☆



子どもたちが話す訳の分からない言葉に適当に返事をし、
鼻歌のような歌を歌い、気ままに踊っているだけで子どもたちは満足してくれます。
ただ相手をしてもらえる、一緒に時を過ごせる、それが楽しいのだと思います。
子どもたちはすべてを受け入れる菩薩の境地にいるのです。



最後だから写真もたくさん撮りましょう♪
みんなの温もりを感じて幸せです。 (^o^)v





日本から団扇をお土産で持っていきました。
そこには広島に関係する企業名がたくさん書かれていて、
その中にはマツダの名前もあります。

そのマツダのロゴと、スクールバスに書かれているスワラジマツダの
マツダのロゴが同じなので、
それを子どもたちに示すと、「オーッ」という声を上げ驚いてくれました。

ということで、また例によって記念撮影です。 ^^☆



この団扇は、上の写真で団扇を手に持っているプーニマにあげました。
ホームの子どもたちは、初めて見るものは何でも欲しがります。

男の子たちも撮るからね。 ^^☆



4時を過ぎ、子どもたちを学校に迎えに行きます。
今日は最後なので学校の中に入らせてもらいました。

いろんな学校に行きましたが、たいていこんな風に壁に地図が書かれています。
これはタミルナド州の州地図です。



最終学年の十年生はまだ勉強の最中です。
学年最後の試験があるようですが、
学校でも地べたに座って勉強するってすごいです。



この子たちはホームの子どもじゃありませんが、
何度も学校に通っているので、少しだけ顔なじみになりました。



ホームのスクールバスでホームに帰る途中、
こんな子どもたちが道を歩いていると、みんな一斉に笑顔で手を振ってくれるのです。 ^^☆
顔なじみじゃない子にも手を振ると、必ず向こうも手を振ってくれるし、
こんなこと日本じゃ考えられませんが、
ここインドでは当たり前です。

う〜ん、やっぱりこれって幸せの基本ですよね。
幸せは身近なところ、日常の中にこそあるのです。
そこに目を閉ざし、遠くにあるものばかりを追い求めるから、
いつまで経っても心が満たされないのです。
幸せは得るものではなくあるもの、ただそれに気づくだけのものです。

インドにいて気づくことは、これまでまったく感じられなかったことではありません。
そのほとんどは日本にいて感じていたことですが、
それがより深く、ハッキリと体で得心できるのです。
大地の力は偉大です。


今回インド最後の礼拝、自分はクリスチャンではありませんが、
子どもたちと一緒にお祈りすると幸せを感じます。
幸せは分け合うと増える、結婚式でそんなことを言われますが、
それはこの純真な子どもたちといると実感します。



この子たちとも今日でお別れ、
みんなから、「日本に帰るな、インドにいろ」、「とっても悲しい」、「涙が出る」 ・・・
などといろんな言葉をもらい、胸が熱くなりました。 (T_T)



インドに来るたび、そしてどこのホームでもそこから離れるたび、
毎回悲しい思いをしなげればなりません。
出会いの喜びがある限り、やはり別れは辛いものです。

別れは辛いものですが、
あまりそれを強く感じるのもどうかと思います。
子どもたちから得たものを糧に、
それを何らかの形で子どもたちに返していけると確信できたなら、
別れはもっと違ったものになるように思います。

それはとても抽象的で難しいことですが、
そう感じられるよう、自らの役目をもっと果たしていきたいと考えます。


午後7時過ぎ、荷物をすべてまとめてスレッシュの家で待機していました。
するとコテージで学習しているはずの子どもたちが集まってきて、
最後の別れをしてくれました。

可愛さいっぱいの子ともたち、今はその可愛らしさがより一層強烈に感じられます。
失う時に初めて分かるそのものの有り難さ、愚かな人間の常ですね。



男の子たちもたくさん遊んでくれてありがとう。
いつもいつも笑顔で接し、 “ブラザー” と明るく声をかけてくれたことに感謝します。



スペンドラムとタンビがチェンナイの飛行場まで車で送ってくれます。
車の後部座席に乗り込み、窓を開け、
最後まで手を握り合い、手を振って別れを惜しみました。


インドとの関わりは、これまで奇跡と言ってもいいような不思議なことの連続でした。
この子たちとの関わりも、その中できっと必然として生じたものだと思います。

この子たちからこれまでたくさんのことを学び、感じさせてもらいました。
そのことに深く感謝いたします。
けれどもこの明るい子どもたちから、
親元から離れて暮らす寂しさ、悲しみといったものをどうしても感じ取ることができません。

昨年ホームを訪ねた時、
あの限りなく明るく屈託のないダッチャニが、
ホームシックになり田舎の村に帰ることを望んだ時、
ほんの少しだけ子どもの持つ心の悲しみに触れることができたように感じました。



けれどその時だけ、それ以外では、
ほとんど皆無と言っていいほど子どもたちの悲しい表情を見ることはありません。

子どもが親元を離れると寂しいように、
親もやはり離れて暮らす子どもと会いたいのでしょう。
このチェンナイのホームでは、
地元の村に住む盲目のお父さんが、何度も学校帰りの娘と接するため、
奥さんや知り合いに連れられて、バスのところに来る光景と出合いました。



離れて暮らしていても親子の愛情は変わりません。
久し振りに会う娘と手探りで接し、お菓子の入った袋を手渡し、
満足そうな笑みを浮かべるお父さん。

ちょっとユーモラスだったのは、
そのお父さんが若い男性の自転車に乗せてもらって会いに来た時は、
バスが動き出した後、二人も自転車にまたがってその場を離れていったのですが、
その時、後ろの荷台に乗せてもらっているお父さんも前の方に足を伸ばし、
ペダルに足を置き、
前のサドルに座る若者と一緒にペダルを回していたのです。

そんな光景、日本で見たことがありません。
インドでは二人乗りをする時、
後ろに乗っている人も一緒にペダルを漕ぐ習慣があるのでしょうか。

いずれにしても、たとえ障害があったとしても、
それに屈することなく、できる範囲で懸命に生きるその姿に、
インド人の持つ底力を感じます。


豊かではあるけれど、反面厳しい自然とともに生きているインド人、
それを支えているのものは逞しさ、強さです。

その強さと逞しさは肉体的なものであり、また精神的なものでもあり、
これが今の日本人には致命的なほど欠けています。

高度にシステム化した現代の日本社会に暮らせることは恩恵ではありますが、
それがもし崩れ去ってしまったら、
どれだけの人が平安な心を保ったまま生きていくことができるでしょう。
それができるかどうかが逞しさであり強さであり、
それはやはり自然とともに暮らしていなければ身に付くものではありません。


インド人にとってはたくさんの文明の機器を生み出し、
それに囲まれて暮らす日本がうらやましく感じられるのでしょうが、
日本人にとってみればその逆に、
どんな環境でもそれに屈することなく適合し、
自然とともに明るく生きている姿にまぶしいものを感じます。

自分にとっては明るく逞しいホームの子どもたちが、
やはり最も身近でお手本にすべて生き方です。

スギルタンから
「お前はまだまだインドの本当のことが分かっていない」
と言われた言葉が心に残ります。

それは逆に解釈すれば、
これからまだインドから学べることがたくさんあるという意味なのだと思います。

今回のインドの旅はこれで終わりですが、
これから生涯かけてのインドの旅はまだまだ続きます。


素晴らしき心の故郷インド、
その輝きが永遠であることを願います。



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