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2月20日 カニャクマリ


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朝4時過ぎ、南無妙法蓮華経と唱える声と、
それに合わせて打ち鳴らされる太鼓の音で目を覚まします。

昨夜は用意されたシーツをすべて下に敷いたまま眠り、
上には何もかけなかったので、体が冷えてしまいました。
お陰で喉が最悪の状態です。
けれどやはり体は普通に動くから不思議です。

午前6時、お堂の中での読経を終え、
黎明の時を迎えた外を回ります。
明日からお寺の三人の方たちは、
この時期毎年恒例となっているスリランカの法要に出かけられます。
今朝はその留守の間お寺にいてくださるヨガマスターと呼ばれる方も一緒です。



建設中の仏舎利塔は、この半年間でまた少し高くなっていました。
完成時には高さ40メートルにもなりますが、完成はまだ数年以上先でしょう。



こんな風にレンガを扇形に並べ、その隙間をモルタルで埋めていきます。





職人さん二人で一日レンガ千個を並べるとのこと、
今朝はトラックで四千個のレンガが運ばれてきました。







何日かに一回、こうしてレンガが運び込まれます。
日中は暑いので、作業は早朝から行われます。
元気で明るいインドの職人さんたちです。



一段落して朝食です。
朝が早いので、結構お腹が空くのです。



四千個のレンガはすごい量ですが、仏舎利塔の大きさからするとほんのわずかです。
こんな作業がこれから何年も続きます。





いつも感心しますが、インドの職人さんたちは、
なぜ強アルカリ性のセメントを素手、素足で触れて何ともないのでしょうか?
普通だったら皮膚が裂けて血がにじんでくるはずです。



石谷上人も作業をすると、一日五百個はレンガを並べられるそうです。
ご高齢ですが、精神力が根本から違います。





この子はヨガマスターの娘さん、ようやっと片言がしゃべれるようになったぐらいです。



奥さんも素敵な方でした。
幸せそうな家族です。



昨夜来たばかりですが、早速次のカニャクマリまで移動します。
サンカランコービルのバスターミナルまでは
昨年も会ったマノハが送ってくれることになっています。

ところが大きなトランクケースを持っていることを知らず、バイクで来たため、
急遽ヨガマスターがお寺のスクーターで荷物を運び、
自分はマノハのバイクの後に手ぶらで乗って、二台で移動することになりました。

マノハは町に入ると自分の仲間たちがいるところに寄ってお茶を飲んだり、
自分の家で食事をしていけとしきりに誘います。
以前も同じようなことがありましたが、
インド人は、知り合いに外国人がいることを仲間に自慢したいようですね。
有り難いですが ・・・ 。 (;^_^A

二人にはいろいろと親切にしてもらい、
ターミナルには目的地ナガラコイル直通のバスがたまたま来ていたので、
無事それに乗ることができました。



バスの運転手と何か話をし、大きなケースを空いている座席の隙間に押し込みます。
その隣の少し狭苦しくなった座席に座るおばさんもナガラコイルまで行くようです。

今回のバスはトランクケースの料金は取られませんでしたが、
昨日乗った二本のバスは、最初は20ルピー、40円弱、
二本目のバスは一人分の座席を占領するからと、
もう一人分の別料金80ルピーを支払わされました。
インドの料金体系は当然ながら適当です。

途中のトゥルネルベリでトイレ休憩、急いでトイレに行き、戻ったところ、
一瞬乗ってきたバスの行方が分からなくなり、少々冷や汗ものでした。 (☆o☆)



昨年も同じようなことがありましたが、
昨年は小さな荷物だけで、それを持って外に出たため余裕で乗り過ごしたのですが、
このたびはそうはいきません。
一人旅は何かと不便なことがあります。
それもまた楽しみではあります。


ナガラコイルに着いてホームのスギルタンに電話をすると、
今マダラムドラで打ち合わせをしているので、
そこまでオートに乗って来てくれとのことでした。

けれどこの “マダラムドラ” というのがくせ者です。
カタカナでより正確に表記すると “マドゥラムドゥラ” みたいになるのでしょうか、
この発音が日本人にはどうしてもできません。

なんとかオートの運転手に地名を話しましたが、
最初はまったく違うところに連れて行かれてしまいました。



ここでもiPad でマダラムドラの裏にあるモンキーマウンテンの写真を見せたり、
地域を図で説明したりして、なんとか懐かしいマドラムドラ、
アンブマナイと呼ばれるところに着くことができました。



ここはホームを運営する三兄弟のお母さんが暮らしているところです。
ここも自然がいっぱい、ココナッツの木もたくさん生い茂っています。



隣のレンガ工場をのぞいてみると、可愛い女の子が二人、
たぶんご両親であろう大人の仕事を手伝っていました。



けど写真を撮って挨拶すると、向こうの微笑みながら手を合わせて挨拶を返してくれました。
これもインドではごくありふれたことですが、
このありふれたことが幸せの基本ですね♪



これはマンゴーの木です。



そしてパナナ。



これはパパイヤです。



不思議なご縁のトーマスが建てた平和供養塔は、
今も変わらず門の近くに立っています。




スギルタンとホームに戻る途中、
盲学校の校長であるスギルタンの奥さんの学校に寄りました。
白くてきれいなCSIチャーチの裏側が盲学校です。



ここはこれまで何度も来ていますが、
まだ学校の中に入ったことはありません。
今日はスギルタンから「中に入ってみろ」と言われたので、初めて入りました。



ここの日本地図もちょっとおかしいですね。 (-_-;)



インドは親日国だし、町には日本製のものがあふれているのに、
どうしてこんなことになるのでしょう?
何事にもおおざっぱだからかな?



向こうから歩いてくるのがスギルタンの奥さんです。
今日の学校での仕事が終わったようです。



ここは男の子ばかりの学校のようです。
耳の聞こえない子どもたちが、珍しい外国人が来たということで、
“ウーウー♪ ワーワー♪” といった感じの歓声を上げています。
彼らも写真を撮って欲しいようなので、みんな並んで撮りました。



みんなに向かってレンズを向け、シャッターを押しました。
普通だとここで撮った写真を見せてくれ〜とばかりに
子どもたちが押し寄せてくるものですが、
耳の聞こえない彼らには、シャッターの音が聞こえません。

シャッターを押しても微動だにしない彼らを見て、
耳が聞こえないというのはどういうことなのか、あらためて実感しました。



音の世界を持たない彼らにとって、視覚の世界は他の子どもたち以上に大切です。
撮った写真が映るモニターを食い入るように眺め、
嬉しそうな声を盛んに上げていました。

豊かではあるものの、この過酷なインドで、
彼らは今後どのような人生を過ごしていくのでしょう。
この子たちのことを思うとまた胸が痛みます。

彼らの中には聴覚以外の障害を持っている子どももいるようですが、
この子たちと自分はあまりは住んでいる世界が違いすぎます。
この子たちのことは、たぶん十分の一も理解できないでしょう。
彼らから重いプレゼントをいただきました。


カニャクマリのホーム(ジオンプラ)に着くと、
学校を終えホームに戻っている子どもたちがみんなで遊んでいます。
「サッカ〜イ♪」、名前を覚えてくれているようで、
遠くから声がかかります。



男の子はやっぱり元気だな〜♪



女の子はちょっと恥ずかしそう。





けど iPadで半年前に撮った写真を見せると、
みんなでワイワイ騒いでいます。



みんな可愛いから記念の写真を撮っちゃいます♪



ここの礼拝は各コテージで行います。





祈りの言葉を唱え、聖書を読み、賛美歌を歌い、手を合わせます。



礼拝の後は学習時間、ここではお香が焚かれます。



朝から移動で慌ただしかった一日も無事暮れようとしています。
これからまた新たなる子どもたちとの日々の始まりです。



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